「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月19日

ドイツの「反イスラム運動」、Pegidaについてのメモ(特にスコットランド、グラスゴーでの動きについて)


※ただし「2015年1月18日にもドイツ公共放送の討論番組”ギュンター・ヤオホ”に幹部のカトリン・エルテルが出演する等、メディア戦略を転換させる動きもある」。また、NHKの記事にアクセスできない場合はこちらから(記事のみ、ビデオなし)。



この「体制」を、「シオニストがなんちゃらする政府」云々という言葉で語っていれば、それはほとんど何の留保もなく「反ユダヤ主義」の「ネオナチ」であると考えてよかろう。つまり、下記画像参照。「そして」というか「しかしながら」というか、ペギーダはそれでないという体裁をとっている/それであるという体裁をとっていない。(そして私はその「体裁」を信用しようとは思わない。イングランドであれこれ見ている以上は、あれらの「体裁」を信用するのは宣伝を見て「この鎮痛剤って、半分はやさしさでできているんだ〜」と思うくらいの怠惰だと思う。)

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※画像内に表示されているリンク先に注意。ウィキペディアを除いて、見事にそれ系ばかりだ。

「ペギーダ Pegida」については、ウィキペディア日本語版にしっかりとしたエントリがあがっている(私はドイツ語は一言もわからないので、ありがたく拝読させていただく)。「ペギーダ」とは、すなわち「西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者」(ドイツ語: Patriotische Europäer gegen die Islamisierung des Abendlandes、略称:PEGIDA)。この「イスラム化」とは要するに「シャリーア法の導入」で、「ロンドニスタン」と揶揄されるロンドンおよびイングランドについてのこの方面のニュースを追ってきた者には「クリシェ」化した「派手なだけの過激派のスローガン」でしかないのだが(Sharia 4 UKとか)、最近になって「イスラム過激派」を意識しだしたような欧州大陸ののんびり屋さんたちには「国教化の目論見」云々という大真面目な話としてうつってるらしい。また、日本語圏ではごく少数だが「あれは過激派なんかじゃないですよ?」という発言者がいて(私自身が脅されてからは自分からは見ていないので最近のことはよく知らないが)、それを「イスラムの声」的に解釈しているのんびり屋さんたちがいるのだが、それは別の話だ。

で、過激派のスローガンを真に受けてガクブルしているのんびり屋さんたちにお伝えしたいのは、もしもーし、過激派のスローガンを言い換えて恐怖をばら撒いているそれは、基本的に、Creeping Shariaとかいう、「極右」(つまり反対側の過激派)の煽動ですよ(2012年からある)、ということだ。
http://www.theguardian.com/commentisfree/2012/apr/16/twitter-users-turned-on-english-defence-league

ともあれ、そういう扇動者が(多くの場合EUに反対しつつ)国境を越えて連携したりしようとしているわけで、それはイスラム過激派がそうやって連携していた(ロンドンとハンブルクとベルギーの中規模の都市とがつながっている、というように)のと、少なくとも形式としては同じパターンだ。



「スコットランド」ってのは、これです、これ。




スコットランドのSunday Mail(名称がややこしいのだけど、スコットランドのSunday Mailは平日はDaily Recordで、イングランドのDaily Mirrorの系列。イングランドのMailとは関係なし)がツイートしている写真は、ペギーダのドレスデンでのデモだが、そのペギーダがスコットランド、しかもグラスゴーで人を集める活動に着手しているというのが報道内容だ。

GERMAN anti-Islamic group Pegida have been growing rapidly since the Paris terror attacks. Now a Scottish wing has emerged with organisers visiting Glasgow last week.


グラスゴーは、広く知られている通り、コミュニティの分断が深いところがある。つまり「レンジャーズのサポの一部とセルティックのサポの一部」の対立。これは単なる「サッカーのライバル・チームの対立」ではなく政治的なもので、北アイルランド紛争の「ロイヤリスト/ユニオニスト」(つまり「ブリティッシュ・ナショナリスト」)と「リパブリカン」(つまり「アイリッシュ・ナショナリスト」)の構図がそのまま、持ち込まれている(ということは、以前に書いた)。

2014年9月のスコットランド独立可否レファレンダムの結果が出た後にも、ちょっとあったのを覚えている方もおられるだろう。これも当ブログの過去記事から。(リンククリックするだけで読めるようにしてあるんだから、過去記事、読んでね。)

結果が出たあと、都市としては「Yes(独立賛成)」の結論を出したグラスゴーで、ひと悶着あった。全体の投票で勝利した「No」陣営の側のフリンジ、「ロイヤリスト」と呼ばれる過激派が、北アイルランドでやるのと同じように、「勝ち誇り」の集会を開いて、「負けた側」をあざ笑った。グラスゴーでは、北アイルランドのセクタリアンな「カトリック対プロテスタント」という対立の構図がそのまま、「セルティック対レンジャーズ」というサッカーのフーリガニズムになっている(むろん、両クラブのサポーターの、本当にごくごく一部でのことだが)。サッカーで荒れるのはよくあることだというし、何より、警察がパニクらず、keep calm and carry on して事態をコントロールしていた。

それについて、現地からの報告を中心にまとめたのが下記だ。

スコットランド、「独立」可否の投票結果が出てから、勝った側がかなり暴れた。(グラスゴー)
http://matome.naver.jp/odai/2141119884460930601


ドイツのペギーダとしては、この「ロイヤリスト」の集団との連携を探ろうとするだろう。(エディンバラでオルグするんじゃなくてグラスゴーってのがね……。)

デイリー・レコード……じゃなかったサンデー・メイル記事より:
They only launched a few months ago but tens of thousands of people have marched in cities across Germany in support of Pegida – which stands for Patriotic Europeans Against the -Islamisation of the Occident.

Now a Scottish wing has emerged and we can reveal German organisers -visited Glasgow last week with plans to stage an anti-Islam demonstration.

...

The Pegida pair were in Glasgow last -weekend and visited pubs where they tried to recruit members.

A Pegida Scotland and North East -England Facebook page was launched early last Sunday.

...

Gerry Gable, of anti-fascist group Searchlight, said: “I’ve never seen so much international activity in my 50 years editing Searchlight magazine.

“Pegida may prove to be a recruiter for the extreme right and a precursor for a lot more violence. But I don’t believe they are as strong as they report and they only seem to attract huge numbers in Dresden.”

http://www.dailyrecord.co.uk/news/scottish-news/hateful-here-german-anti-islam-extremists-4998372


Searchlightの人が「Searchlightの編集を50年してて、これほどの国境を越えた動きを見るのは初めてだ」とコメントしているのは、非常に重要なポイント。

ウィキペディアより:
2015年1月、ペギーダの広報担当とされるフランク・インゴは下記の組織・運動を公認していると言明し、国外でもフランス・オーストリア・スイス・イタリア・オランダ・スェーデン・ノルウェー・イギリス・ブルガリア・スペインにも関連団体があり、デンマーク・ポーランド・ベルギー・ロシア・チェコ・フィンランド・ポルトガル・スコットランドでも準備の段階だと述べている。但し、具体的にどのような連携や関係性があるかということは2015年1月12日現在の時点で言及していない。


(エントリがとてもよく書かれているので、ドイツ語のわからない私は手を出すことがはばかられる……。ノートに投稿してくるかな……。いや、邪魔にならない程度に字数を抑えて、更新しておこうか)(→更新してきた。「他国への波及」のセクション。)

※この記事は

2015年01月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 18:01 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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