「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年01月18日

Jimmy's Hall (邦題『ジミー、野を駆ける伝説』)は、最高の人間賛歌だった。

Jimmy's Hall (邦題『ジミー、野を駆ける伝説』)を見てきた。私としては珍しく封切り初日に! だって待ちきれなかったんですもの。
http://www.imdb.com/title/tt3110960/
http://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy%27s_Hall

結果、中盤以降はずっとひとりで爆笑していてあんまりちゃんと見れてないので、もう一度見に行きます。何度も、「おお、この言葉!」と思ったのだけど、ひとりで笑い転げているうちに忘れてしまった(笑)。次はメモ帳持って行く(『麦の穂をゆらす風』でも同じことをしたが、『麦の穂』は全然笑えなかった)。

なぜ笑えたか。だって「エクストリーム交渉」なんですもの。しかも2時間の劇中に2回も本格的な交渉のシーンがあり(神父対ジミー、別の村の同志たち対ジミーたち)、なおかつ、全編ずっと基本的にtalk(交渉、対話、議論)してた(笑)。あのかわいい緑の中で。

同時に、「交渉、議論」をとっくり見せるというのはとてもケン・ローチらしく、また月明かりの中でのあのシーン(ケン・ローチは今もフィルムを使ってます)の美しさと愛しさと切なさと心強さ(篠原涼子か)は、妙に女性たちが力強いこの映画(映画というか、アイルランドはほんとにそうなんですよ。劇中でもモード・ゴンの名前が一度出てきましたが)に肉体と肌を与えていて(それでも、もうとことん、文化的に「カトリック」なんですよ)、とても、とてもケン・ローチらしい「人間賛歌」でした。すばらしい。私のように20世紀の北アイルランド紛争からアイルランドに目を向けた人は、最後はボビー・サンズのあの言葉(30年後に、「敵」であったはずのピーター・ロビンソンがDUPの党大会で繰り返したあの言葉)を思わずにはいられないと思う。

ケン・ローチはアラエイ(80歳間近)になり、この作品の英国での封切りのときには「この映画で長編劇映画は最後」と言ってたと思います。そうならないことを強く願ってますが、でも、この映画が最後になっても納得。ケン・ローチの映画が好きな人にはたぶん同感していただけると思います。集大成というか、ケン・ローチのすばらしいところの詰め合わせ。

ただ、これもまたケン・ローチらしいことなのだけど、「ファシスト」の単純化した造形は、《物語》の必定とはいえ、あまりに紋切り型に見えるかもしれない(ウィキペディアでは英語圏の「映画評論」筋のウケの悪さがはっきり出てますが、この単純化はもちろん、英保守筋、アメリカ筋などではウケないと思います。同じような単純化はアメリカ筋でウケまくっている映画で当たり前のようになされているけれど、誰の何を浮き立たせるための単純化かというのがね)。ケン・ローチの「子供たち」(本当の息子に限らず)があの時代のアイルランドを物語ることがあれば、彼ら「青シャツ」にも、語らせてほしい。私は彼ら「青シャツ」についてもっと理解したい。共感はしないと思うけれど、理解したい。(ま、この映画に描かれていた以上に語るべきものなどない、ということかもしれませんが。最後のシェリダン神父のコメントから見ても。)

映画はジミーたち共産主義活動家(ごく少人数)と、オキーフらのファシスト(青シャツ)と、シェリダン神父(美声!)の教会の「三つ巴」の構造なんだけど、教会のあの原理主義性は今もなお「妊娠中絶の禁止」とか「信仰冒涜の禁止 (blasphemy law)」といった形でしっかり残ってる。「共産主義」というか「アカ」への警戒は、アイリッシュ・インディペンデント紙で今の普通のニュースの基調だし(一方で、ダブリンなどでは「労働者の連帯」系の人が議席を獲得している)。

ジミーがシェリダン神父と対立しつつ、神父を「信念の人」としてレスペクトしてること、神父がジミーの言葉(「あなたの心の中には、愛よりも憎悪が多い」←一部文言を背景と同じ色にしてあります)にぐらついていること(神父の保守主義には、悪意などまったくないが)、若い神父(『シャーロック』のモリアーティ)の《熱狂、狂信》への抵抗……その重層っぷりが、これはもうケン・ローチならでは。「権威、権力」の捻転。ほとんどハンナ・アーレントですよ。

この映画が扱っている「問題」は、まだ終わっていない。とかいうとアイルランドの保守的な人に怒られるかもしれないけど、再開したホールでアイルランド語の歌を教えるシーンは、私には東ベルファストのプロテスタントの間でのアイルランド語学習の取り組み(亡くなったデイヴィッド・アーヴァインの夫人が積極的に活動しているが、北アイルランドのプロテスタントにとって、かつてアイルランド語は「敵の言葉」だったし、今もなお政治というレベルでは「火種」であり続けている)を思わせたし、宗教的原理主義と世俗主義の対立は、今まさにアイルランドだけでなく世界的にアクチュアルな問題。その中で、人間はいかにstay humanするか。歌い、踊り、笑い、お茶を飲むか。

しかし警官、お母さんにお茶勧められて台所にいって落ち着くなよwww (←一部、テクストを背景と同じ色にした。)あのシーンがもうおかしくておかしくて(「おい、それは罠だ!」と誰も気づかないのが田舎なんですよね。ちょっと『Waking Ned』のすっとぼけ感に通じるものが)、あとあのでっかいティーポットがかわいくて、もうね。

食器なんかも、あー、あの時代の!という感じでしたね。それも、アンティーク・マーケットじゃなくてチャリティショップに出てたようなの。うちにもありますよ。ロンドンのハマースミスのチャリティショップから連れてきたお皿が。

映画の作りは、『麦の穂をゆらす風』ととてもよく似ていて、要所要所で「村の外部からもたらされるニュース」が決め手になる。『麦の穂』ではアングロ・アイリッシュ条約(マイケル・コリンズ)、『ジミー』ではヴァチカンの使者のアイルランド訪問(エイモン・デヴァレラ)。

あの場面、Patheのニューズリールを使ってたけど、私まで「うぬー。デヴァレラめ」と思いました。元からデヴァレラ嫌いなんだけど。(ジミーがアメリカからアイルランドに戻れたのは、デヴァレラが政権をとったからだったが、その後、デヴァレラは「変化」への期待をさくっと裏切る。そこにも「悪意」はなかっただろう。)

ジミー・グラルトンは、『麦の穂』でいうと、デイミアン・オドノヴァン(キリアン・マーフィー)の側。ジミーの仇敵のオキーフはテディ・オドノヴァンの側だけど、テディよりさらに過激な保守派。『麦の穂』でデイミアンが最後ああならず、生きながらえるためにアイルランドを後にしていたら、ジミーになっていたかもしれない。

「ジミーのホール」こと、ピアース&コノリー・ホールのピアースはポドレイグ・ピアース、コノリーはジェイムズ・コノリー。ホールの正面、ステージの壁に肖像がかかってましたね(左にかかってる横顔がピアース、右のひげがコネリー)。2人とも1916年イースター蜂起の指導者(首謀者)で、蜂起が鎮圧されてすぐに英国に処刑されています。コノリーは『麦の穂』でも始終言及されていた思想家。
http://en.wikipedia.org/wiki/Patrick_Pearse
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Connolly

映画の主人公の「ジミー」ことジェイムズ・グラルトンも、ウィキペディアのエントリあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Gralton

彼の率いた集団(革命的労働者集団)は、アイルランド共産党の前身となりました。で、アイルランドの共産主義のことなら、リムリックとかが有名なのだけど、ケン・ローチはリートリムのジミーを描いた。アイルランド共産党のサイトに、ジェイムズ・グラルトンについてのページがあります。
http://www.communistpartyofireland.ie/s-gralton.html

1886年生まれの彼は、若いころ英軍に入ったけどインドでの軍務を拒否して(植民地主義への反対)、以後、イングランドやウェールズで肉体労働。1909年に渡米しニューヨークでさまざまな仕事をしたが、1916年蜂起に触発されてコノリーの著作を読み、1922年に帰郷してホールを建設。その後すぐにアイルランド内戦の中で「政府軍」となっていたかつてのIRB/IRAと対立、追われるようにアメリカに戻り、1932年に高齢の母親の面倒をみるために帰郷。映画の物語はそこから始まります。

映画を見る前に知っておくといいかもという歴史の流れは、独立戦争後に内戦になったこと(これが『麦の穂』)と、コスグレーヴ政権下での保守主義、教会とのべったり(教会が教育を独占した)と、その後のデヴァレラ政権の成立……日本語では、テレンス・ブラウンの本ですかね。アイルランド史は岩波文庫や文庫クセジュのがありますが、あの暗い時代のことについてはあまり詳しいものはないかも。(「ケルト」とか「妖精」とかのじゃだめです。あと、70年代、80年代のずぶずぶの「ナショナリスト史観」のもあんまり。)

4772004734アイルランド―社会と文化1922~85年
テレンス・ブラウン 大島 豊
国文社 2000-05

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4560057915アイルランド (文庫クセジュ)
ルネ フレシェ Ren´e Fr´echet
白水社 1997-05

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400322311Xアイルランド―歴史と風土 (岩波文庫)
オフェイロン 橋本 槇矩
岩波書店 1997-11-17

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あの時代のベルファスト、フォールズ・ロードとシャンキル・ロードの連帯についてなどは、ちょっと調べてみます。

しかし、2014年にニュース以外で最も深い衝撃を受けたのが写真美術館での岡村昭彦で、その岡村が「アイルランドにはすべてがある」と言っていたんだけど、まさにそうですね。本当に、すべてがある。

アメリカの赤狩りのジョーゼフ・マッカーシーもアイリッシュなんですよ。カトリック。
http://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_McCarthy

いずれにせよ、もう一度見ます。はい。

あ、そうだ。割と最初のほうでforgivenessという語が出てきたんだけど、字幕(太田直子さん。鉄板!)は「許す」でしたよ、「赦す」ではなく。意味としては確実に「赦す」。これ、「誤訳」なんかじゃなくて「表記の問題」なんです。使える漢字と使えない漢字の問題。そーゆーこと気にしないで原稿が書ける人がうらやましいですよ、ほんと。

俳優さん、みなよかったですね。ジミーはすさまじくかっこよかった(コートを着た背中など特に)。オキーフの娘の喜びに満ちたダンス(それゆえに、彼女に起きたことの痛みが胸に迫る)、腰痛のおじさんのダンス、その音楽、ジミーがNYCからアイルランドの田舎に持ち帰ってきた「黒人のダンス」……だから、もう一度見ます。はい。




映画のはじめのほうで、放置されてる「ホール」にジミーが再び足を踏み入れるところ。17日に映画を見に行ったんだけど、その前日、16日にこんなツイートを見てて、それを思い出しましたよ。



Many years gone, RIP Liverpool Irish Centre

Mick Fealtyさん(@mickfealty)が投稿した写真 -




※リヴァプールのアイリッシュ・センターは別の場所で活動しているようです。この閉鎖されたセンターについては、2013年の記事が見つかりました:
http://www.liverpoolecho.co.uk/news/liverpool-news/new-liverpool-irish-centre-restoration-3009023
The Grade II*-listed building is in a very poor state and its fine Adam-style plasterwork badly decayed. Numerous plans have failed to find a new use for the building since the Irish Centre closed in 1997.

The most controversial idea surfaced in 2005, involving conversion into a hotel with a four-storey glass cube on top.

The Wellington Rooms were designed by Edmond Aikin and paid for by public subscription. They were hailed as a “house of mirth and revelry for the amusement of the upper classes of society”.

Wayne Colquhoun, of Liverpool Preservation Trust, said: “Let’s hope a long-term end use can be found which respects its architectural integrity and protects our legacy of Georgiana.”


これはリートリムの「ジミーのホール」とは全然違うもの(アイルランドの島の外にある、アイルランド人のための施設)なのですが。

2011年の内部公開のときの映像。映画とは関係はないので埋め込みはしないでおきます。
https://www.youtube.com/watch?v=o1f6SubO_6I



ケン・ローチの「引退」説(この映画の撮影時に既に目が……)について、映画公開前のアイリッシュ・タイムズ。
http://www.irishtimes.com/blogs/screenwriter/2014/04/05/first-trailer-for-ken-loachs-jimmys-hall/
Having met Ken quite a few times, I wouldn’t say he is the sort of fellow who would be happy tending roses for the rest of his life.

ジミーの帰郷を歓迎する集まりで、みんなが「おまえがおとなしくしていられるかどうか、賭けるか」って盛り上がってましたね。

The picture looks, on this evidence, very much like an unofficial sequel to The Wind that Shakes the Barley. We are dealing with a post-revolutionary society that seems governed by forces more reactionary than those just overthrown. But it looks as if the people come out if it pretty well. For all his anger, Ken Loach has always been optimistic about the decency of human beings. (So has Donal O’Kelly, for that matter.) There is much to look forward to here.

これですね。これ。

で、Jimmy's Hallでケン・ローチが仕掛けた「お笑い」のトラップは、「エクストリーム交渉」のほかにもあるんですよ。詳細は下記参照。というか、この「ビショップ・ブレナン」の役者さんを参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kicking_Bishop_Brennan_Up_the_Arse
https://www.youtube.com/watch?v=O6WHYGkiB8A

(・_・)

※この記事は

2015年01月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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