kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月16日

「真実は、バランスである。しかしその反対、つまりアンバランスは、嘘ではないかもしれない」




「真実は、バランスである。しかしその反対、つまりアンバランスは、嘘ではないかもしれない」。元から「バランスなんていらない、とれないものはいらない」的な意味でバランス感覚が欠如しているわたしの言うことじゃないかもしれないが、Twitter見てると「バランスの取れてなさ」(特に #BringBackOurGirls でミシェル・オバマが出てきて以降の)に魂を食われそうになる。なので、本を読むとかしなければならない。私が今見ている画面に、次から次へと新しい情報が表示されてこないような環境を取り戻す必要がある。先日上野に見に行ったホドラーの絵にほんの一筆だけ入れられていたコバルトブルーのように、適切な距離でじっくりと向き合わないと見えないものがあるから。

4622083574隠喩としての病い エイズとその隠喩 (始まりの本)
S.ソンタグ 富山 太佳夫
みすず書房 2012-09-11

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しかしこのソンタグでさえ、「サラエヴォ」に関しては「バランス」を欠いていたと、やはり思うのだ。それも決定的に。「セルビア人は自己を被害者として提示する」とサラエヴォにいた彼女は批判的に書いている。しかしセルビア人は「加害者」であったのだ。国際社会が一致協力して食い止めるべき蛮行の実行者だったのだ。

しかし、セルビア人が「100%の加害者」でなかったことは、セルビア人が「100%の被害者」ではなかったのと同様だった。

すべては「バランス」だった。そして「真実は、バランスである。しかしその反対、つまりアンバランスは、嘘ではないかもしれない」のだった。

あの時代の「人道的介入 humanitarian intervention」論は、つまり「保護する責任 responsibility to protect (R2P)」論は、2011年のリビア介入を最後に死んでしまった。90年代からの10年間はあれほど盛り上がっていたのに。R2Pを誰も口にしなくなったのはなぜだったのか。どのようにそれは死んでしまったのか。

アメリカのインテレクチュアルズはたぶんその検証の作業を積極的にはしないだろう。ああだこうだ言い訳をしながら、ただ忘れてしまうだろう。

ああ、サマンサ・パワー。あなたにはがっかりです。

4623055884集団人間破壊の時代―平和維持活動の現実と市民の役割
サマンサ パワー Samantha Power
ミネルヴァ書房 2010-01

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コソヴォについての文章で、スーザン・ソンタグはこう書いていた。これは、2011年のリビアについて当時米オバマ大統領の側近中の側近だったサマンサ・パワーが主張したことと重なり、リビアが一段落したかのように見えた段階で既に「内戦」と呼ばれ始めていたシリアについて、サマンサ・パワーが(少なくとも公的な態度としては)無視していた状況にも当てはまることだ。そして2014年に米国務省が恥知らずにも「自衛権? 何をおっしゃっているのかわかりませんが」と述べた「パレスチナ」(アメリカの立場では「国家」ではないといわれるかもしれないので、カギカッコをつけておく)についても。

The principal instances of mass violence in the world today are those committed by governments within their own legally recognized borders. Can we really say there is no response to this?

--- "Why Are We in Kosovo?", The New York Times (2 May 1999).


そして、ソンタグがセルビアを非難して書いていたこの一文。これは、今、イスラエルにこそ当てはまっているのではないか。

War is a culture, bellicosity is addictive, defeat for a community that imagines itself to be history's eternal victim can be as intoxicating as victory.


そして、これは?

And if the word "cowardly" is to be used, it might be more aptly applied to those who kill from beyond the range of retaliation, high in the sky, than to those willing to die themselves in order to kill others.





同じ時のなかで同じ時のなかで
スーザン・ソンタグ 木幡 和枝

反解釈 (ちくま学芸文庫) 他者の苦痛へのまなざし 私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963 こころは体につられて 下

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※このエントリは、Seesaaブログで提供されている「ツイートの引用」を使っている。RTしたものと自分のツイートはこうやって「引用」できる。ただし、何かにリプライしたツイートでInclude parent Tweetをオフにすることは、Seesaaの機能だけではできない。なので本エントリは多少読みづらいと思う。それでも、ツイートしたまま放置しておくとか、1日のツイートを全部まとめて表示するよりはよいだろう。

※この記事は

2015年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼