kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月16日

「何を言ってよいかはわからないけど、おまえたちを大切に思っていることは変わらない」と父親は言った……acceptする・されるということ

2014年の大晦日、Twitterで「悲痛」としか言いようのないニュースを知った。米国のオハイオ州で、ひとりのティーンエイジャーが高速道路に徒歩で入り、トラックの前に身を投げて自殺した。彼女は男性の身体で生まれてきた女性で、親からは「ジョシュア」という名前を与えられていたが、自分は「リーラー Leelah」という女の子だと自覚していた。しかし彼女の親は、自分たちの子供が「リーラー」であることを受け容れようとしなかった。「神様がおまえを男の子としてこの世に生まれさせた。神様が間違うはずはない。間違っているのはおまえだ」として、宗教的カウンセリングにつれていき、「リーラー」が「ジョシュア」であることを受け容れさせようとした。彼女の親は「クリスチャン」と呼ばれるような「熱心な信仰者」だったのだ(宗派は、私が見た範囲では報じられていない)。

リーラーは高校生で、学校ではトランスジェンダー (TG) として名乗り出るより受け容れられやすいと考えて「ゲイ」だと言っていた(TGがこのようにゲイを、いわば「利用する」ということについては、そのこと自体に不快感を覚える人もいるだろうけれど、ここは彼女の選択だということで流していただきたい)。学校ではそれは特に問題にならなかったようだ。しかし家では彼女は彼女として受け容れられることはなかった。唯一、ネットでだけ彼女は彼女でいられたのだが、親は彼女からそのネットを奪ってしまった(スマホ、パソコンを取り上げた)。そして落胆し、失望し、疲弊して絶望した彼女は、土曜日の夜というか日曜日の早朝の時間帯にトラックの前に歩き出した。

子供が死んだことを告知するFacebookの投稿で、彼女の親は「息子のジョシュアが事故死した」と書いた。地元の報道も、最初はそのように扱った。「交通事故で男子高校生が死亡した」というように。だが、彼女はネット上に彼女の物語を書き残していた。彼女はTumblrをやっていて、普段はいろいろと好きなものをぺたぺたと貼り付けていた(日本のセーラームーンの絵もあるし、きゃりーぱみゅぱみゅの写真もある)。その最後に、「これが公開されているということは、私は死んでいます」という投稿があったのだ。

こうして、ネット上のリーラーの友達たちが、親が「娘のリーラーが自殺した」ことを認めていないことを知り、それはあんまりだと思ったのだろう。最初はLGBTの媒体が「トランスジェンダーの女の子が自殺した」ことを報じ、それを受けて地元の一般メディアも「男子が事故死」を「女子が自殺」に書き換えた。少なくとも、真実は殺させてはならないと人々は言葉によってできることをした。それが全米に伝えられたのだった。




#LeelahAlcorn 「私が私として、受け入れられない」ということ。
http://matome.naver.jp/odai/2142000571807684501


それから半月。

最後まで「本当のわたし」がacceptされることのなかったひとりの若い人間のあまりに悲痛な死のことがどうしても頭から離れずにいるのだが、世の中にはリーラーの親のような人間ばかりではないということもまた、伝えられている。




@Mashable のツイートの写真は、ローズ兄弟 (the Rhodes Bros) という双子で、私は知らなかったのだがYouTuberというか、YouTubeタレントとしてけっこう人気のようだ。写真の右がアーロン、左がオースティン。アメリカにJedwardがいたらこんなふうだろう。

「YouTubeをごらんの皆さん、こんにちは〜」と、おそらくいつもの調子で画面に現れた彼らは、「新たな1年の初めに、父に伝えようと思っていることがあります」と述べて、ビデオカメラの前でお父さんに電話をかける。そして……その一部始終を8分半ほどのビデオにまとめて、彼らは自分たちのいつものアカウントにアップしている。

※8分半の時間がある人は、言葉がわからなくても、見てみてください。モデルの仕事もしているらしい端正なルックスの彼らは、「顔をくしゃくしゃにして感情をむき出しにする」タイプではないようだけど、映像からは感情が伝わってきます。



ためらった挙句、ようやく電話をかけて、呼び出し音が鳴る間ずっとどきどきしていて、ようやく電話に出たお父さんに、兄弟はなかなか話を始めることができない。何か重大なことだろうと気づいたお父さんは、好きなだけ時間を取りなさいということを言って、じっと待っている。そしてアーロンが「お父さんには、YouTubeを見て知ったなんてことになってほしくないから、直接言うために電話をした」と告げて、「これからも変わらず、僕のことを大切に思ってほしい」と言う。そして、「僕はゲイで、オースティンもゲイだ」と電話に向かってしっかりした口調で言う。




子供が親に、カム・アウトした。その結果がこうだったから、このビデオはここにあって、ネットでバイラルして、私が東京で見ているのだろう。

お父さんの反応は、電話の音声が割れていて聞きづらいから、最初っから彼らが字幕をつけてアップしている。だから英語が聞き取れなくても大丈夫だ。

スクリプトのようなものは、いくつかの媒体がこの「双子のカムアウト」を記事にしているので、それらを参照。例えば:
http://www.people.com/article/rhodes-bros-come-out-to-dad-on-youtube

「仕事のせいか、よりacceptable」だというお父さんは、「おまえたちは、お父さんとはずいぶん違う世代(世の中)で育っているから You grew up in a much different generation than me」と述べたあとで、「何を言ってよいかはわからないけど、おまえたちを大切に思っていることは変わらないよ。自分の人生なんだから、自分で生きなさい」ということをはっきりと言葉で伝える。兄弟は感極まってぼろぼろと泣きだす。

19歳でカム・アウトした双子と、それを記録したビデオの公開を、ネットは暖かく迎えているようだ(もちろん、呪詛のような言葉を投げつける人もいるだろう。でもそれはきっと、彼らとは関係のない人だ。彼らとは関係ない宗教の活動家が、「ネットの話題」を利用して、自分の主張を多くの人に届けようとするようなことは行なわれるだろう)。彼らのカム・アウトに勇気付けられる人も大勢いるだろうし、お父さんの率直で思慮にあふれた度量の深い対応に光を見る人も大勢いるだろう。希望の光であれ、導きの光であれ。






オースティンのアカウントから:








「話題になっているから」という理由で軽い気持ちで見てみたこのビデオは、半月前のオハイオからのあまりに悲しいニュースを思い出させた。アーロンのTwitterをさかのぼってみると、「一番の友達だった実家の猫が死んでしまった」という写真つきのツイートがあり、その写真の1枚で子供のころの彼は「Ohioなんとか」とプリントされたトレーナーを着ている。







米ニューヨークでは、地下鉄内で「ホモなんてのはとんでもないことだ」云々とお説教を始めた人が出て、それより大きな声で(というよりものすごい美声で)歌を歌ってそのお説教が聞こえないようにした人がいるという話題がある。曲目は、映画 "Willy Wonka and the Chocolate Factory" の I've Got a Golden Ticket




(非常にどうでもいいのだが、この程度の乗車率でcrowdedと表現されている。東京住民からすれば「えっ。これは "混雑" と呼べないのでは」という感じで、ちょっと戸惑う。)

リーラー・アルコーンが、こういうのを見て、自分もその一部だと信じることができていたら、と思う。リーラー自身だけではない。彼女を「彼」と扱い続けた親も。




4591005313てぶくろをかいに (おはなし名作絵本 4)
新美 南吉 若山 憲
ポプラ社 1970-10

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※この記事は

2015年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:55 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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