kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年01月16日

フランスは、「言論の自由」を叫んだ舌の根も乾かぬうちに、デュードネを法廷送りにした。

シャルリー・エブド編集部襲撃事件のあと、というよりそれに続いて起きたコーシャ・フード(ユダヤ教の戒律にのっとった食べ物)のショップの襲撃事件のあと、いずれこの人の名前を見ることになるのだろうと思ってはいた。

http://www.afpbb.com/articles/-/3036542
フランスの男性コメディアンで、その言動がたびたび物議を醸してきたデュードネ(Dieudonne)氏が14日、パリ(Paris)で先週に起きた一連の襲撃事件の実行犯の1人への共感を示唆した発言をめぐり身柄を拘束され、裁判にかけられる見通しとなった。司法筋が明らかにした。

……問題の発言は、デュードネ氏が交流サイト(SNS)のフェイスブック(Facebook)に投稿した「今夜はシャルリー・クリバリのような気分だ」というもの。シャルリー・エブド紙襲撃事件の犠牲者を追悼するために世界中に広まった「私はシャルリー」とのスローガンと、8〜9日にかけて女性警官1人とユダヤ人4人を射殺したアメディ・クリバリ(Amedy Coulibaly)容疑者の名前を組み合わせている。

これは直接的に「テロ行為の賞賛」だろう。ただしこの「FBでの愚かな発言」だけで引っ張られたというより、ここらでしめておかないと調子に乗って何するかわからない(どんな煽動を始めるかわからない)ということではないかと思う。

前にデュードネ・ムバラ・ムバラの名前を見たのはこのときだ。2012年、ニコラ・アネルカがWBAをいきなり退団したとき。



以下、この「NAVERまとめ」のページに今日(正確には昨日)書き足したことをコピーする。

2015年1月、フランスの首都パリにある「お騒がせ」の小部数風刺メディア、Charlie Hebdoのオフィスが2人のガンマンに襲撃され、編集長や風刺画家ら10人と警備の警官が殺されるというとんでもないテロが起きました。現場から逃げていた銃撃犯は2日後に立てこもりの末に死亡、彼らとは別に男がユダヤ食のスーパーを襲い、4人の市民が殺されるという大流血は世界に衝撃を与えました。

事件後、被害者との連帯のため「私はシャルリーである Je suis Charlie」というスローガンが、Twitterのハッシュタグになり、リアル世界のプラカードではフランス全土を覆い尽くさんばかりの勢いに。各地での追悼&抗議集会は未曾有の人出。何百万人とかいう単位の人が集まり、当局が数えるのを断念したと伝えられました。

群集事故が起きなくて本当によかったです。パリは1961年10月17日、群集に発砲に群集事故でひどいことになっていますね。




CHにさんざんネタにされてきた国民戦線党首も地元での集会に。聖書の言葉で語るとフランス人はうきーっとなるかもしれないけど、「汝の敵を愛せ」精神を示すチャンスは逃しません……という感じですね。政治的にはとてもクレバーです。でも、殺された画家たちは墓の中で……いや、まだ埋葬されてないから、墓の中じゃなくて棺の中でもんどりうっているんではないでしょうか(「墓の中でもんどりうつ」という成句が英語にはある)。




同時にナイジェリアでは2000人も同時に惨殺されていたのですがもう誰も#BringBackOurGirlsとは言いませんでした。

あまりの流血、あまりの暴力。感覚がおかしくなりそうです。

「私はシャルリーである」ことは熱狂しているうちに簡単にできたかもしれないけれど、私たちひとりひとりが「人間」でいることは、難しくなってきています。


デュードネの法廷送りには、英語圏では、「呆れるよりない」という反応が目立つ(法廷を使うか、と)。「日曜日のあの感動的なパリの行進」を、政治家たちは懸命に「ムード作り」に利用しようとしたけれど、数日経過してみれば、うまくはいっていないように見える。ただし、「報道されない側」(つまり極右・排外主義の側)ではどうなのか、わからない。イスラエル首相の「欧州の反ユダヤ主義に懲りたみなさん、いつでもイスラエルにおいでください」的な姿勢は、最初は「ばっかじゃねーの」扱いされたけれど、少し時間が経過してsink inしたところでどう出るかは別だろうし。






たまたま流れてきたグレン・グリーンウォルドの言葉。彼は弁護士時代に「言論の自由」に関するきわどいクライアントを弁護したことがある(One of his higher-profile cases was the pro bono representation of white supremacist Matthew F. Hale, in a series of First Amendment speech cases)。




(これでまた読み通すのに30分くらいかかる長い記事が書かれるのであろう。)

見事なお笑いの声、ジョン・ステュワート(米):




理性の声、タリク・ラマダン:




「言論の自由を守らなければならない」。そうなんですよね。今度は「言論の自由」を制限しにかかってきたのは、AQAPの戦闘員(と思われる兄弟)ではなく、国家権力なので。




法廷送りになる前、警察が動いていると報じられた段階での驚きの言葉。




※日本でよく言われる、"「海外」では「ネオナチ」は「法律で取り締まられている」" というのは、限りなく「デマ」と言ってよい話。まず「海外」というのがどこなのかがわからないとどうしようもない(フランスも海外だが、インドも海外で、ブラジルもキューバもモンゴルも北朝鮮も海外である)。そしてネオナチに関する法律は「取り締まる」というより「起訴しやすくする」ものだ。何度でも起訴され、何度でも主張を広めるために利用されうる。

※この記事は

2015年01月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:15 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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