kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年01月15日

キーワードは「不必要な unnecessary」。これに尽きると思う。(シャルリー・エブド創刊者がCharbのマンガに呆れている)

自分でもうんざりするほど書いた(過剰が無になることを期待して)のに、驚くべきことに、まだあれについての話は終わっていない。なぜ、みんな、あれについてそんなに話したがるのか。こりゃもう、「私には興味のない芸能人」だと思っておくのがベターだ。AKB 48ということにしよう。「シャルリー・エブドはAKB 48である」。はい、これで気にならなくなった。もう見かけても目の焦点を合わせることはない。

……ということができればよいのだが、あの汚い絵は見ずにいることができない。そこはさすがアーティストの作品なのだ。吸引力が違います。

そのアーティスト、編集長のCharbことステファン・シャルボニエールさん。銃を持ってオフィスに乱入してきたクアチ兄弟が「Charbはどこだ!」と叫んでいたという生存者証言があるが(←リンク先、読むと取りつかれるような記事なので注意してください。hauntingという表現がぴったり)、襲撃犯兄弟はとにかくあの編集長が絶対にゆるせなかったらしい。

その編集長について、とっくにシャルリー・エブドからは離れている創刊者(80歳)が「あれはやりすぎ」で、「チームを死に引っ張っていった」と別の媒体で語っているという記事が、英インディペンデント&アイリッシュ・インディペンデントに出ていた。何とも「メシウマ」感の漂う醜悪な記事だが(インディにはよくあることだ)、元が醜悪なメディアだから醜悪な記事にされていてもさほど気にならないのはせめてもの救いか。(このくらい罵倒して書いたって構わないでしょ、人を侮辱する権利を訴えていた媒体なんだから)

この媒体の成り立ちについては、2012年に「お騒がせ」をしたときに書いてるので、それを引用しよう。
http://matome.naver.jp/odai/2134804816765516301
で、この「風刺雑誌」、始まりからして何というか…… "In 1960, Georges "Professeur Choron" Bernier and François Cavanna launched a monthly magazine entitled Hara-Kiri." って、日本人としては、ああ、はいそうですかとしか言いようがないじゃないっすか、この誌名。

この『月刊ハラキリ(アラキリ)』は、1961年に発禁になり、66年に再登場 (The publication was banned in 1961, but reappeared in 1966)。69年に『週刊ハラキリ』も創刊 (In February 1969, Hara-Kiri Hebdo was launched, and then renamed L'Hebdo Hara-Kiri in May of the same year. なお、Hebdoは、フランス語で "weekly" の意味です)。

宮武外骨かよ。

そして1970年、火事で大勢が亡くなった悲劇と、シャルル・ド・ゴールの死去をマッシュアップした不謹慎極まりない記事をだして、また発禁。(笑)

ここで、この発禁処分を回避するために、『ハラキリ』が『チャーリー(シャルリー)』と名前を改めた(つまり、シャルル・ド・ゴールの名前由来でしょうね……ウィキペディアにはほかの「チャーリー」がメインの由来だ、といった記述がありますが、そっちがカバーだと思います)。

こんなはちゃめちゃな雑誌でしたが、1981年に廃刊。読者がいなかったことが原因と、ウィキペディアには「要出典」で書かれています。

そして1991年、『ハラキリ』→『チャーリー』の主要スタッフが再度立ち上がる! 今度は湾岸戦争に触発されて!(爆笑)最初は別の名前で刊行していたが、92年に『チャーリー』の名前を引きついて再スタート!

……なんだこれ(笑)
http://en.wikipedia.org/wiki/Charlie_Hebdo


そして2006年(2005年9月のユランズ・ポステンのムハンマド戯画の半年近く後)に、今回のテロのあとで「こんな媒体でした」と紹介する記事でよく参照されていた、ピンク色の地に描かれた泣いている預言者の絵(「バカばっかりに愛されて、つらい」というセリフ)の表紙の号を出して炎上(シラク大統領が批判し、パリのグランド・モスクなどによって法廷沙汰に)。このときの編集長(Charbの前任者)の言い草がすごいんだけど(これはさほど嫌いじゃない):
法廷で編集長は、「イスラム教徒がユーモアを理解しないというのは人種偏見であります」と持論を展開、一方で原告側弁護人は「このメディアに掲載された戯画は、イスラム教徒とテロリズムを直結させております。それこそが人種偏見であります」

で、Charbの前の編集長、この件では結局無罪になったが、2008年に、(今回の事件のあとでジョー・サッコが1枚ものの漫画でしっかり書いていた)Sine氏という書き手による「反ユダヤ主義」のコラムの却下ということをやらかして地味に炎上、09年にその編集長が退任して、そして2011年にまた「ムハンマド」ものをやって顰蹙を買い、2012年9月に「ムハンマドの戯画やるよ」と予告して、炎上。etc etc. もううざいから後の話はコピーしなくてもいいっすよね。要するに「炎上商法」。出版業界、どこも厳しいですからねぇ、みたいな。

こんときのジャーナリスト、ジェナン・ムーサさん(アル・アンTV)の激怒のツイート:



※私は私なりに、こういう一次資料にリアルタイムで接してきているんで、CHというこのクソ媒体のやってたことは「ヘイトスピーチ」だと認識しています。相手が「いやだ」といってるのをしつこく繰り返してるし、繰り返すことによって煽動してるじゃん。その辺の話は、当時の記録を読んでください

で、インディペンデントの記事でこの媒体がCharlieになる前の「中の人」(ハラキリという名称のころの人)が、テレグラフに語った内容が紹介されてる(なんだ、元記事テレグラフか。ならテレグラフ見ればいいんだけど、もうクリックするのもたるいのでこのままで)。
Henri Roussel, 80, who contributed to the first issue in 1970 when the magazine was known as Hara-Kiri Hebdo, had written to editor Stéphane Charbonnier – who goes by the name “Charb” – to say of the divisive drawings: “I really hold it against you.”

Referring to the editor’s decision to print a drawing of Prophet Mohamed on the front cover in 2011, Mr Roussel – who publishes under the pen name Delfeil de Ton – wrote in this week's French magazine Nouvel Obs: “What made him feel the need to drag the team into overdoing it?”, The Telegraph reported.

The cover of the magazine consisted of a drawing of Prophet Mohamed, which said “100 lashes of the whip if you don’t die laughing!” under a banner saying “Charia Hebdo” in reference to Sharia law. Soon afterwards, the magazine’s offices were burned down in a firebomb attack by arsonists who have not been identified.

Delfeil adds: “I believe that we are fools who took an unnecessary risk. That’s it. We think we are invulnerable. For years, decades even, it was a provocation and then one day the provocation turns against us.

“He shouldn’t have done it, but Charb did it again a year later, in September 2012.”

いやもうほんっとに、キーワードは「不必要な unnecessary」。これに尽きると思う。やりすぎのギャグが滑って舞台から落ちた程度だったらよかったのに。

で、御年80歳のこのアンリ・ルセルさんのこの発言に、現在のCHの弁護士が激怒。こちらはフランスの媒体でこう語っていると。
However, the claims made by the magazine’s founder angered Charlie Hebdo lawyer Richard Malka, who has worked for the publication for the past 22 years.

He told Mathieu Pigasse, one of the owners of Nouvel Obs and Le Monde: “Charb has not yet even been buried and Obs finds nothing better to do that to publish a polemical and venomous piece on him.

“The other day, the editor of Nouvel Obs, Matthieu Croissandeau, couldn’t shed enough tears to say he would continue the fight. I didn’t know he meant it this way. I refuse to allow myself to be invaded by bad thoughts, but my disappointment is immense.”

……で、こういうのをイギリス(とアイルランド)が眺めて「フランス人って奴は」とニヤニヤしているんですよ。ほんとにやな光景。心がすさむからバーミンガムに行って人間性を回復しないと

(げははははは、ひゃははははは)

と少し回復したところで、アイリッシュ・タイムズのコメント欄。アイルランドのメディアのコメント欄はさほどひどく荒れないので(ガーディアンとかインディペンデントはひどい)ざっと見てみると、日本語でよく見る意見と似てるんじゃないでしょうか。というか、これが「中庸」を望む人間の声ってことでは。少し抜粋。
- those cartoonists were idiots. theses so-called cartoons are designed to insult. dressing them up as some kind of pseudo-intellectualism makes them no less provocative/offensive. why deliberately insult people? why stoke an already febrile situation?

- The security services with their experience of Algeria, other North African countries and ongoing internal problems in France must surely have advised the newspaper people that their approach was not the wisest. Leave the magazine - yes they did have that choice but the herd or group mentality trumps that ! Again, there has been and still is no political approach to the issue. However the issue will not go away and may or will be reflected in voting patterns.

- it would be interesting to know the motivation of this editor-the sceptic in me suggests that his primary motive could be increased circulation. And how free are employees?


まだ葬式も終わってないという点では、もうちょっとそっとしておくべきかもしれないけど(ご家族がいらっしゃるのだから)。

あと、上のほうの引用部で「日本人として」と書いたけど、それ。

1つ前のエントリ(英語で書いた)に入れてあるんだけど(右下の署名見ていただければわかるのですが、これはCharbの作品ではありません):



これね、第二次大戦中の連合国の「日本人像」をそのまま、2011年になっても使ってるんですよ。(下記のは第二次大戦中のDr Seussの作品。)


via https://apus-b.wikispaces.com/WWII+propaganda

こういうのをさあ、「報道機関」って言っちゃいけないと思うんだよね。

これはただの無知、怠惰、傲慢。思い込みを面白おかしくかけば戯画になるわけではない。こんなことをなぜプロに言う必要があるのかと……。

だから、"Je ne suis pas Charlie" だったんですよ、私は。
http://nofrills.seesaa.net/article/412356672.html

それでも、CH編集部襲撃で12人、その後の別の男の銃撃事件で警官1人とコーシャフードの店の4人と、あまりに死体が多すぎる。しかも不必要な死。生きてれば、「あなたの媒体はなぜ70年前の戦争プロパガンダのステレオタイプを今もなお使うのですか。この画家は実際の日本人を観察する気もなければ、そういう画力も取材力もないんですか」と問い詰められたのに。そこから「対話」が発生したかもしれないのに。でも一気に、こんなに大勢殺されてしまった。その規模にただ人が圧倒されるような形で。

でもそれだって、ナイジェリアの「2000人」とかいう信じがたい規模の殺戮よりこの事件が注目され語られたことの理由になるかどうかっていうと……ね。ましてやその「語られていた」内容の多くは、「CHはいかにすばらしい媒体であるか」とか「文化論」的なことだったわけで。

でも正直、1つの事件でoverwhelmされているときに、さらにひどい事件が起きても、反応できないんだなっていうことはわかりました。(以下、ツイートの日付も含めてコンテンツ。)











襲撃事件直後、いかに「どうでもいいこと」が話題になっていたか(それも「世界のトップクラスのメディアの記者たち」や知識人の間で)を書き留めておく。1つだけ。




本当に、最大の関心事が「このメディアはCHの汚い戯画を再掲載するかどうか」、「あのメディアはどうか」だったのだ。最大の関心事が。みんながその話をしていた。「みんな」が。

ばかじゃないの。

日本の新聞記者も相当のタコツボ、視野狭窄だと思わされることがあるが、これもさして変わりはない。

一般人の言語感覚とそては、たぶんこうだろう。アイリッシュ・インディペンデント(アイルランド共和国)の記事のコメント欄より。

Incitement to hatred v fun cartoons ....
If the result of your cartoons is murder perhaps you have incited hatred.

http://www.independent.ie/world-news/europe/charlie-hebdo-attacks/murdered-editor-dragged-staff-to-their-deaths-with-provocative-cartoons-says-charlie-hebdo-founder-30909846.html

「ヒロイックな言論の自由の戦士」というより「やりすぎの無定見」。(ただしだからといって、殺されて当然ということは、断じて、ない。言論には言論で、せいぜいペンキをぶちまけて器物損壊で逮捕されるくらいで。そうすることで変えていくしかないのだから。)


※この記事は

2015年01月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼