「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年05月08日

「袖摺りあうも他生の縁」的な1枚の写真

「敵」どうしが、公式に、互いを「敵」としなくなった日〜ペイズリー・アダムズ直接会談と合意@2007年03月27日
http://nofrills.seesaa.net/article/36970526.html

この↑信じがたいニュースのときに、次のような信じがたい写真があちこちのメディアに掲載されていたことはご記憶だろう。

adams-paisley26mar2007.gif

そう、このときはペイズリーと仇敵Aの間には、机の角というものがあり、2人の距離は握りこぶし10個分(推定)空いていた。

しかるに、パワーシェアリングで自治政府が正式に再起動された今日、メディアに出た写真においては、ペイズリーと仇敵Mの間には握りこぶしどころかケシゴムを置く余地すらないのであった。

pais-mac-betel.png

BBCのLiveも終わったし、さあ、ベルテレさん見よう、ってサイトを開いたらこれだ、しばらくぽかーーーん。World watches as power-sharing returnsという記事見出しとこの写真とはバッチグー(笑)な組み合わせだが、I can't believe my eyes! フォトショ?(笑)とか思いつつガーディアンも開いてみたら同じ写真が掲載されている。
http://politics.guardian.co.uk/northernirelandassembly/story/0,,2074769,00.html

で、ガーディアンでは写真の横に "What's happening today?" という小見出しがあるのだが、それが「今日は何があるのか?」というありきたりの疑問文に見えなくて、「おいおい、今日は一体何がどうなっているんだ」に見えて困る。

何かくらくらするよ、もう。以下、各メディアのサイトのトップページの様子。


nidevolutionday-news1.png

テレグラフの写真がすごいですね。ペイズリーのバカ笑いっぷりとヘイン、アハーンの和やかさが特に。

で、NIがそうなっている一方で、各サイトの速報テロップニュースでは「反乱勢力がパイプラインを爆破(ナイジェリア)」(BBC)とか、「イラク南部で自爆、16人死亡」(ガーディアン)とかなんですよ。特に「イラク南部」は英国のことであり、さっきBBC Liveで見ていたセレモニーで「a true friend of peace」という賞賛の言葉をもらっていた人物に対し、またムカムカしてくるわけです。

今日のストーモントは、11月にマイケル・ストーンが乱入したときの反省もあってけっこう警備を固めていたそうですが、その警備でも「イラク戦争に抗議」の平和的行動をとった人たちがいるそうです。ブレアが到着する前に警察によってどかされたそうですが。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6634373.stm
Demonstrators protesting against the war in Iraq were forcibly removed by police after they attempted to block the arrival of Mr Blair's motorcade.

The protesters, who had been standing in front of Parliament Buildings, ran down the hill to the Carson Statue and lay down on the road.


ブレアの顔を見ると、何が「平和」だバカヤローという気分になってしまうので、もう今日はブレアの顔を見ないで、historic dayについてもう少しだらだらと余韻にひたりたい。

スラオさんのミックが4人の演説を要約してくれています。

ペイズリー:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/paisley-a-time-of-planting-begins/

マクギネス:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/mcguinness-the-importance-of-throughotherness/

二枚舌:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/blair-a-search-for-the-future/

アハーン:
http://sluggerotoole.com/index.php/weblog/comments/ahern-protect-and-nurture/

※この記事は

2007年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:50 | Comment(4) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うえええん、もっとスゴい写真がBBCに出てる。
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/pop_ups/07/uk_enl_1178635446/html/1.stm
Posted by nofrills at 2007年05月09日 01:07
帰宅後「よっこいしょ」と開いたBBC(現地時間午後6時半頃)のトップ写真が怖すぎたので、思わず魚拓ってしまいました (^^ゞ
Posted by ぴこりん at 2007年05月09日 03:24
>ぴこりんさん
昨晩寝る時に「目が覚めたら『全部夢でした』とかならないよな」と心配でした。

魚拓、はてブから拝見しました。うん、あの「笑点これにてお開き」みたいな写真ですね。これは4人衆演説の開始直前のだと思うのですが(Liveの記憶による)、この写真がBBCに出た時には私はスッカリ感覚が麻痺していて。(^^;

ガーディアンでちょっと大きなサイズで見られます。
http://www.guardian.co.uk/Northern_Ireland/Story/0,,2075038,00.html
# 「笑点」というより「米寿のお祝い」ですかね。

あと、ベルファスト・アクセントがこの数ヶ月でずいぶん聞き取れるようになった気がするのですが、これがラブラブツーショット写真(笑)のご利益かな。
Posted by nofrills at 2007年05月09日 12:29
テレグラフとBBCが使っている写真(執務室での正副ファーストミニスターと二枚舌とアハーンとヘインのお茶会)、真ん中の3人がなんかきつそうだなあとか、バーティが半ケツになってないかと思ったら、やはり、あのソファに3人というのは無理があったらしい。

BBCのマーク・ダヴェンポートによると、ヘインがあぶれそうになって無理やり座ったらしい。だからバーティ・アハーンが半ケツになったのか。英国とアイルランドの関係を象徴しているな。ダヴェンポートはこのことをInteresting momentsということばで表している。
http://www.bbc.co.uk/blogs/election07/northern_ireland/2007/05/job_done.html

Liveで見てるときはそんなこと考えなかった。着席する前は部屋の中にわらわらと人がいたし。でもVIP3人、執務室に案内されて「おかけください」とソファを示されたときに、「マジですか、このソファに3人っすか」と同時に思ったに違いない。
Posted by nofrills at 2007年05月09日 13:25

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼