「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年05月08日

今そこにあるデイリー・メイル(1)

先日来メイルメイルとうるさく書いているせいか、先ほどあるニュース記事を見て「これはデイリー・メイルのようだ」と思ったので、突発的に「今そこにあるデイリー・メイル」というシリーズを思いついた。次があるかどうかは不明。

そのニュース記事というのは、時事通信さんの次の記事である。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070507-00000134-jij-soci
小2の3割「一つ」書けず=ワーストは「支」など−漢字習得度・民間調査
5月7日19時1分配信 時事通信

 小学2年生の3割が、1年で習う「一つ(ひとつ)」という漢字の書き取りができず、高学年になるにつれ「読み」より「書き」が苦手になることが7日、現役教師らでつくる「日本教育技術学会」の調査で分かった。学年別で最も書けない漢字は小6が「支持」の「支」(正答率7%)などだった。
 調査は2004年4〜5月、全国の小1〜中1を対象に、前年度に習った配当漢字の「読み」「書き」(小1生は平仮名のみ)をテスト形式で実施。計480校、延べ約3万7000人から回答を得た。

いきなり「小学2年生の3割が『ひとつ』というひらがなに『一つ』という漢字を当てることができない」というショッキングな話だ。読者はショックを受け、唖然とする――「『一つ』の漢字なんて、ただの横棒じゃん!」(鉛筆で書く場合。毛筆だともう少しフクザツ。)

これがデイリー・メイルっぽいところ。最初にショックを受けて唖然とする→そのショックと唖然の余韻のなかで記事を読む→読んだ結果「何か大変なことが起きている」という印象を受ける→読んだあとしばらくすると、最初のショックと唖然がさらに強化されて記憶に定着する→あとになって思い出すのは最初にショックを受けた点・・・「今の小学生って『ひとつ』を漢字で書けないんですってよ!」

冷静に見てみよう。記事の第一文の前半の最初の「、」までのところ:
小学2年生の3割が、1年で習う「一つ(ひとつ)」という漢字の書き取りができず、

「3割が書けない」ということは「7割が書ける」ということである。これは憂うべき数字であるかどうか。

この場合、「一つ」は最も簡単な漢字なのだから、憂うべきである、と考えよう。その次は「ひとつ」というひらがなから「一つ」という漢字を思いつけないということについて冷静に検討する。

可能性としては、「ひとつ」という語を知らないのではないか、ということが真っ先に思い浮かぶ。普段の生活で、「ひとつ、ふたつ」ではなく「いっこ、にこ」という、数を勘定できないフランス語の話者であってもすぐに応用できる合理的な数え方をしていたら、「ひとつ」という語にはピンと来ないだろう。(※文中のリンク先およびそのあとの記述はアイロニーです。Je n'ai pas l'intension de mal. <これ正しいのかどうかわからん。)

その次の部分。
高学年になるにつれ「読み」より「書き」が苦手になることが7日、現役教師らでつくる「日本教育技術学会」の調査で分かった。

記事のあとのほうには、「書き」の正答率は2年生で89パーセント、4年生で71パーセント、6年生で65パーセント、という数字が挙げられている。また「読み」は全体的に9割を超えているので、高学年になればなるほど、相対的に「書く」のが苦手になっているといえる、ということが書かれている。

で、高学年になるにつれて「書き」が苦手になるってことは、何も「7日わかった」と書くような新しいことではないと思うんですけど。私も2年生までは100点、3年生で90点、4年生では85点みたいな感じだったなあ。周りもそういうふうだったし、「飛」の書き順はデタラメだったり。(で、習字の先生から大目玉。)

学年別で最も書けない漢字は小6が「支持」の「支」(正答率7%)などだった。

どういう誤答があったのかがわからないと何ともいえないけれども、「支持」の「支」が書けないのは「支」という字を知らないからというよりも、同音の漢字の使い分けが難しいとかいう理由なのではと思うのだけれど。。。そこはもっとちゃんとしたデータを見ないと何とも、ですね。でもこの記事の記述の与える印象は「いまどきの子供は『支持』の『支』の字も知らない!」というものだ。

記事の先のほうには少し詳しいことが書かれている。
「ひとつ」という書き取りの問題に「一つ」と正解できた小2は70%にとどまり、「人(つ)」や「入(つ)」などの誤答が見られた。音読みで出題した「一(いち)年生」は98%が正解した。

誤答に「見られた」というのはどのくらいの数があったのかが不明なのだけれども、「人つ」という回答は明らかに「ひとつ」という語を知らないことに起因していると考えられる(「いっこ」を使っている)。「入つ」という誤答は「人つ」がさらにねじくれたものだろう。「一年生」の読みは98パーセントが正解しているというのなら「一」が「1」を表すことはほぼ全員が知っているわけだ。言語としてはそのことが一番重要なことで、そこがOKなら何も憂うべき話ではなかろう。

この場合、「いっこ」ではなくて「ひとつ」という語を教え、そこから「一つ」という漢字を教えればまったく問題はないだろう。家で「ひとつ」という言い方をしないからそれを知らずに小学生1年生や2年生になっているのなら、「ひとつ」という言い方を学校で教えればいい。生徒自身に例文でも作らせて、国語以外の授業でも「いっこ」「にこ」「さんこ」ではなく、「ひとつ」「ふたつ」「みっつ」を意識して使って、言語習得の訓練をすればいい。それだけの話。

というか、「一つ」て漢字、あまり見ないような気がするのだが。私自身仕事で「ひとつ」という語を書くときはたいがいがひらがな表記だ。実際に数を数えている場合は「一つ」(縦書き)または「1つ」(横書き)と書くが、そうでない場合はひらがなだ。(例:「〜ということが、この現象の複数の要因のひとつである」)そして「ひとつ」という語は、圧倒的に、実際に数を数えていない場合が多い。実際に数を数えるときは「一枚」とか「一冊」とか「一本」など、「〜つ」以外の言い方をすることが多い。私も子供も同じ日本語を使っているのだから、子供でもそうだろう。だから「ひとつ」で誤答した子について、「えんぴつがいっぽん」を「一本」と書けるかどうかを確認しなければ、その子がどこまで漢字を把握しているのかは判断できない。

で、記事はこのあとは急に「読み」の話になる。
一方、「実り」を「みのり」と答えられなかった小4と、「末は外交官に」の「末」を「すえ」と読めなかった小5がそれぞれ4割に達するなど、中学年以上で訓読みが苦手な傾向も見られた。

「実り」は「読めない子が4割かぁ、多いな」と思うけれども、それは実はその言葉が私たちの生活から消えているからじゃないかと思う。

また、「末は外交官に」って、例文が古風すぎませんか。まるで三島の『春の雪』の世界でしてよ。「末」を「すえ」と読ませるテストなら、他の例文がいくらでもあるでしょうのに、ねぇ、おねえさま。

・・・というふうにツッコミを入れながら読むのが、「デイリー・メイル」的な記事に対する正しいお作法です。時にはよい娯楽となりえますが、正直、自分の興味・関心という観点からどうでもいいことについて書かれている記事でこれをやろうとすると、たいへんに疲れます。



「今そこにあるデイリー・メイル」というフレーズは、トム・クランシーの作品から思いつきました。映画化されている有名な作品です。

今そこにある危機 アドバンスト・コレクターズ・エディション

同じジャック・ライアン・シリーズに、(北)アイルランド紛争を題材にした『パトリオット・ゲーム』ってのがありますが、このタイトル、有名な、IRAの歌(プロパガンダ)を使ってます。クランシーの小説と映画ではGamesと複数形になっているけれど。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Patriot_Game
http://en.wikipedia.org/wiki/Patriot_Games_%28film%29

歌詞:
http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/ira/poetry/song2.html

曲を聴くなら:
http://www.youtube.com/watch?v=0_mfTC--wYo
など。

全然関係ない話になっちゃった。



現役教師らでつくる「日本教育技術学会」

「日本教育技術学会」
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%95%99%E8%82%B2%E6%8A%80%E8%A1%93%E5%AD%A6%E4%BC%9A%22&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

んー、TOSS関連か?

※この記事は

2007年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:21 | Comment(2) | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、Yomiです。今日、同じテーマを書いていたのでお邪魔させてもらいました。記事をみたら少しショックでした。まさかねっていう感じでした。わたしが小学生の時はこうだったのかな?と考えてしまいました。漢字は一つの文化です。
最近の子どもの教育では英語を中心的に教える動きがありますが、やはり日本人ですから日本語!と思ってしまいます。
Posted by 365日Yomi at 2007年05月08日 14:01
>Yomiさん
コメントをどうもです。

> 記事をみたら少しショックでした。まさかねっていう感じでした。

これはこのブログのこの「記事」ではなく、時事通信さんの「記事」のことですよね。

英語教育については、私はこのブログのこの記事ではまったく触れていません。また、このエントリの目的は、ぬるい一般論を根拠に「警鐘」を鳴らそうとするメディアへのツッコミです。それがおわかりなのかどうかが不明なコメントでしたので、念のため、このエントリの目的を明記しておきます。

# つんつんした文面に読めてしまったらすみません。今頭が全然別なところ(北アイルランド和平)にあるのです。取り急ぎでもレスをしないと放置してしまいそうなので、それも失礼かと、取り急ぎでレスをしているしだいです。
Posted by nofrills at 2007年05月09日 14:12

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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