「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年12月17日

「世界は、理解し得ないほどの悲しみに満ちているから」。そう、加害者のせいで。(ペシャワール学校襲撃事件)

せめてログだけはとっておこうとした。いつものように、「NAVERまとめ」を使って。あるいはChirpstoryでも。でも、無理だった。あまりのことに呆然と、ただ見ていた。130人も、撃ち殺された。あんなにわずかな時間で。




学期末である。その学校は今日は試験の日だった。だが学校が作成した表は成績表ではなく、死者のリストだ。







ペシャワールの学校を襲い、130人も殺したのは自分たちだと認めているのはパキスタン・タリバンだ(米国の対シリア軍事介入で有名になったホラサン・グループも同様の声明を出しているらしいが)。アルファベットではTehrik-i-Taliban Pakistan (TTP) といい、アフガニスタンの「タリバン」とは別の組織だ。

彼らは、あのマララさんを殺そうとし、それについて「あの家はアメリカの回し者なので」と正当化しようとしている組織である。(マララさんの件についてはネット上の日本語圏には驚くほどTTPの言い分への賛同者が多いし、あれに賛同することが頭の良い人のやること、反体制でメインストリームにカイギテキな自立したオトナ、かっけーみたいな空気があると感じてるんだが、ああいう連中の「ぼくたちのかいしゃくしたいすらむ」のシンパがそんなに多いのか、それとも頭沸いてるのか。)

I am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and Was Shot by the TalibanI am Malala: The Girl Who Stood Up for Education and Was Shot by the Taliban
Malala Yousafzai Christina Lamb

わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女 [生声CD&電子書籍版付き] マララ・ユスフザイ国連演説&インタビュー集 Long Walk to Freedom マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女 Lean In: Women, Work, and the Will to Lead

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2012年10月、TTPから脅迫を受けながらも教育を受けられる権利を訴えていた15歳の女性、マララ・ユサフザイの殺害を企て、国内外から大きな非難を浴びた。非難はイスラーム主義者からもなされ、アフガニスタンの軍閥指導者グルブッディーン・ヘクマティヤールは、女子教育の必要性を指摘し、TTPの行動を「非道」と批判したが、TPPは「女が教育を受ける事は死に値する罪」と反発。

マララという名はパシュトゥーン人の英雄であるマイワンドのマラライにちなんでつけられた。……2007年に武装勢力パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が一家が住むスワート渓谷の行政を掌握すると恐怖政治を開始し、特に女性に対しては教育を受ける権利を奪っただけでなく、教育を受けようとしたり推進しようとする者の命を優先的に狙うような状況になった。2009年、11歳の時にTTPの支配下にあったスワート渓谷で恐怖におびえながら生きる人々の惨状をBBC放送の依頼でBBCのウルドゥー語のブログにペンネームで投稿してターリバーンによる女子校の破壊活動を批判、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続け、英国メディアから注目された。

……2012年10月9日、通っていた中学校から帰宅するためスクールバスに乗っていたところを複数の男が銃撃。頭部と首に計2発の銃弾を受け、一緒にいた2人の女子生徒と共に負傷した。





そのマララさんは、事件発生直後に極めてしっかりとした声明を出した。








マララさんが銃撃されたのは15歳のときだが、今回の事件ではもっと年下の子供たちが大勢撃たれた。TTPの説明では、「子供は撃たないように指示した (They have been ordered to shoot the older students but not the children)」などと言っているが、13歳は「子供」ではないのか。






10年前、新学年開始の始業式の日に武装勢力の標的にされた学校がある。その学校のあった地名が、今日、言及されている。






The Taliban spokesperson said the attack was “a response to Zarb-e-Azab and the killing of Taliban fighters and harassing their families”.

Zarb-e-Azb is the official name for the army’s offensive against strongholds of the Taliban and other militants in North Waziristan.

The offensive has killed more than 1,600 militants, according to an AFP tally.
http://www.thejournal.ie/pakistan-school-hostages-taliban-1836791-Dec2014/





ログは:
http://twilog.org/nofrills/date-141216/asc
16:56からあと。(いろいろ混在してますが)






なぜRTできなかったかというと、まずこの写真そのものに呆然としたことと(襲われたのは軍の運営する学校で、負傷して気を失っている制服姿の子供を運んでいる人は軍人で……と読み解き終わった瞬間になぜか目が離せなくなってしばらく見ていた)、この写真(トリミングが違うもの)の誰かのツイートに、現地パキスタンの人が「こんな写真をシェアしないでくれ」と反応していたから。

負傷した生徒を抱えている軍人は、この子のお父さんかもしれない。あるいは親戚かも。

この夏、ガザが攻撃されたとき、病院でぶっ通しで働いていた外科医が新たに運び込まれてきた死者の死亡確認をしようと覆いを取ったら、自分の息子だった、というツイートがあった。

140字(からURLを引いて120字未満)と写真に圧縮された「悲劇」。そんなものばかりを、見すぎてしまった。

140字なら、スポーツの試合結果やスタメン告知だけでいいよ。





※この記事は

2014年12月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:40 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼