「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2014年12月14日

あるアカウントの「中の人」の暴露について。

2013年と、2014年は、ずいぶん違う。「国際ニュース」、「国際関係」では、どの見地から見てもそうではないかと思う。

その違いは、2010年と2011年のそれほどは大きくないかもしれないが、例えば2009年と2010年との違いよりは大きいだろう。

そこにはさまざまなファクターがあるのではないかと思う。ただし、それらについて詳細・個別に検討することは本稿の目的ではない。

自分の見ているモニター内の世界において、2013年と2014年の最大の違いは、「イスラム国 the Islamic State」を自称する集団(以下、「ISIS」と表記する)の《出現》によってもたらされた。以下、本稿における私のナラティヴの基本は、「英語圏の語り」に依存している。つまり「アルカイダという凶悪な敵」を前提とする語りだ。

何度も述べているが、ISISは元々「アルカイダの一部」だった。それが2014年に入ってからアルカイダ(のアイマン・ザワヒリ)から絶縁を申し渡されたことがわかった。絶縁後のISISは、アルカイダと対立するようになった。つまり、それまで(少なくとも「英語圏の語り」においては)「シリア政府と、FSAと、アルカイダ」だったシリア内戦の大雑把な構図が、「シリア政府と、FSAと、アルカイダと、ISIS」になった(シリア情勢に関してはこれに加えて「イスラミック・フロント」のことも重要なのだが、大雑把な構図としてここでは割愛することをお許し願いたい)。その後、米国がシリア領内への軍事介入でアルカイダの組織をも爆撃対象としたことで、またぞろ「反米の絆」が固められ、アルカイダとISISの関係は「殺し合う仲」ではなくなっているようだが、そういった関係は流動的なものである(北アイルランド筋におかれては、2009年ごろの「Real IRAとContinuity IRAの関係」を想起されたい)。

「アルカイダ」(ヌスラ戦線)と「ISIS」の関係については、つい先日出たばかりの黒井文太郎さんの『イスラム国の正体』(ベスト新書)のpp. 64-70に詳しい。

4584124655イスラム国の正体 (ベスト新書)
黒井 文太郎
ベストセラーズ 2014-12-09

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かつて、国連報告書のようなものでもアルカイダとタリバンが区別されておらず、ある時点でそれをはっきり区別するようになったという事例があったと思うのだが、アルカイダとISISについてはそのように「外部による認識が改まった」のではなく、当事者が「自分たちは彼らとは別の組織だ」と宣言したものであり、「袂を分かった」ことは事実である。別な言い方をすれば「分派」と言えるだろう。

で、2013年までは「アルカイダ(系の組織のひとつ)」について書いていた人が、2014年には「アルカイダとは別の組織」について書いている、ということになったわけだ。

「シャミウィットネス ShamiWitness」というアカウントはそういうアカウント(のひとつ)だった

「シャミの目撃者」の「シャミ Shami」はISISの「S」だが、よりなじみのあるかもしれない用語(世界史の解説などに出てくるはず)で言うと「レヴァント Levant」のこと、つまりシリア、レバノンなど東部地中海沿岸の一帯のことで、「ISIS」の別表記である「ISIL (The Islamic State of Iraq and the Levant)」の「L」だ。使用言語は英語で、アカウントのアバターはリビア独立の英雄、オマール・ムフタール(1931年にイタリア占領下で公開処刑に処せられた)。余談だが、その生涯は1981年に『砂漠のライオン』として映画化されている。



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「シャミ(シリア一帯)の目撃者」と名乗りながら、リビアの英雄の写真をかかげ、英語で頻繁にツイートをしているこのアカウントを、私は主にアメリカのカウンター・テロリズム研究者たちのやり取りやRTで知った。2013年夏のことだ。

そのとき私は、これは彼ら研究者の「情報源」のアカウントだろうと思っていた。何となく、英国在住の人のような気がしていた。英国には北アフリカから逃れてきた人は大勢暮らしている。アルジェリア人もリビア人もいる。そういった人たちのひとりで、シリアでのアサド政権のあまりに苛烈な暴力に義憤を感じた「ネットの活動家」のひとりだろうと思っていたのだ。親戚や友人といったリアル世界のネットワークからニュースや情報が集まってくるような人。「その筋」のサイトなどを見て、目に付いた情報を140字の英語にして広く共有している人。

2013年、シリアで戦っている宗教勢力は、「アルカイダ」のほかにもあった。多くの武装勢力の連合体である「シリア自由軍 FSA」の側に、いくつもの宗教的武装勢力が含まれていたのだ。2013年11月に「イスラミック・フロント Islamic Front」となることを宣言した諸勢力は、小組織がたくさんあって、情勢はとても複雑だった。そして米英の大手メディアではあれこれざっくり「強硬派」扱い(前提は「穏健派」の存在)をしていたが、どの組織が「強硬派」でその組織が「穏健派」と扱われているのか、わけがわからなかった。そういう中で、「イスラム主義の武装勢力」について詳しく、しかも英語で書いてくれている個人のアカウントは、重宝される存在だった。

このころ、Twitterではジハディストのアカウントは特に規制されていなかった。アルカイダやISISが使っている信仰を表明する黒い旗(「アルカイダの旗」、「イスラム国の旗」ではない)をアバターにし、組織の武装活動について英語で(←重要)書いているアカウントは、いくつもあった(英語だけでなくアラビア語とのバイリンガルもいたが)。イスラム主義の組織にいる「外国人」たちのアカウントもあった(今もまだ残ってるのもある)。ソマリアのアッシャバブの「アメリカ人」、オマール・ハマミは組織上層部と対立して組織から追われる身となり、「組織の者に襲撃されて首を怪我した」と暗視カメラで撮影した写真をTwitterにアップしていたし、それをジャーナリストやカウンター・テロリズムの研究者がRTしていた。何人かはTwitterで公開されている状態で、彼に少し詳しい話を聞いていた。結局は彼は2013年9月にアッシャバブに殺されたのだが、死後も「彼のとった行動は間違っていたと思うし、テロリストではあったかもしれないが、『悪人』ではなかった」という内容の記事なども、米国のかなりカタいメディアで書かれていた(この人たちは、例えば「アメリカ以外の西洋出身のアルカイダ戦闘員」に関してもこういう「生暖かい目」で見ているのだろうか、と思ったものだ)。そもそも、2013年といえば「シリアの宗教的な武装勢力の中にも過激な原理主義者ではない穏健派がいるので、彼らに武器を支援すべきだ」という米国政府のキャンペーンが行なわれていたわけで、「危険な強硬派はアルカイダだ」という(雑な)認識はあったけれど、全体的に、2014年夏以降(ジェイムズ・フォーリーさんが殺されて以降)のようなムードではなかった(今はイスラム主義武装勢力の英語のアカウントは、AQ系であろうとISIS系であろうとそうでなかろうと、Twitterではかなりつぶされているはずだ。見てないからよくわからないけれど)。

「シャミウィットネス」はそういう「イスラム主義者たちのアカウントがたくさんある」ような状況の中で、武装勢力の一員ではない人による「ニュース系」のアカウントのように見えた。当時は特に気になる点のあるアカウントではなかったのだろうと思う。そうでなければ研究者やアナリストがほいほいと気軽にRTし、他人に勧めてくることはなかっただろう。(※このリンク先はちょっと注意してください。「反ISIS」でもいろいろな系統があるという例。)

実際、一時は、このアカウントは「人気アカウント」だった。報道でも参照されていた。2014年1月20日にBusiness Insiderに出た記事には次のようにある。
Shami, who is not connected to any armed group, regularly interacts with some of the foremost experts of the increasingly complex conflict. His access to and understanding of what's happening on the ground make him a useful source of information.

(This author became acquainted with Shami on Twitter in early 2012. We follow each other and our interactions have been mostly amicable.)

Shami's analysis has been published by Jihadology, a clearinghouse for information relating to Global Jihadism run by prominent expert Aaron Zelin, and on the blog of jihadi expert Pieter van Ostaeyen.

The Telegraph and The Daily Mail, describing Shami as an activist, quoted him in stories after the Nobel Peace Prize was awarded to the organization working with the Assad government to remove 1,300 tons of chemical weapons from the country.


また、Business Insiderのこの記事には、次のように、彼の思想がインタビューでの発言という形ではっきり示されている(「イスラム国はイスラムだ」→「イスラム国がイスラムなんだ」という認識が前提になっている言論では、しばしば奥に隠れていて表からは見えなくなっているが、「シーア派敵視」は彼らの思想の核だ。日本のジハディ応援団もよくそういう発言をしていたはずである。私程度の知識しかなくても「やばい」と思うくらいに明確に)。
Shami sees ISIS as the most effective force against Iran and advocates the group's rise.

"As sectarian as it may seem, I consider Iran a worse threat to Sunnis than Israel," Shami, whose age and nationality are unknown, told Business Insider. "The only way Iran gets defeated is one project stretching from" Beirut, the capital of Lebanon, to the Diyala province on Iraq's eastern border with Iran.


After Amnesty International reported that ISIS had been detaining and flogging children as young as age 8, Shami defended the group by asserting that they don't torture anyone under 14. After reports of ISIS being involved in the massacre of civilians − including women and children − in pro-Assad towns, Shami asserted that his ISIS bros didn't have the stomach to commit such atrocities.

Shami may have even joked about the rape of female Kurdish fighters who are fighting ISIS and other rebel groups in northeastern Syria. (Shami contends that the remark involved prisoner exchanges. The tweet has been deleted.)


その「シャミウィットネス」を、私も2013年から14年にかけて、しばらく(半年ほど)はフォローしていた。RTも何度かしている(既に彼のアカウントが消えてしまった今では自分が何をRTしていたのかを確認することはできないが、大手ではフォローされないような細かい「ニュース系」だったと思う。「どこそこの検問所がどの勢力の支配下に入った」とか「だれそれがコメントを出した」といったもの)。2013年の後半から2014年の初めにかけて、特におかしな様子は、私は感じなかった(「どっち側」という色はあったけれども、紛争に関わっている情報で「どっち側」という色のないものなどほとんどない)。むしろ、英米のプロパガンダとアサド政権側のスピンの中で、事態の理解を助けてくれる「オルタナティヴな情報源」のひとつだった。

フォローをやめたのは、2014年にISISがアルカイダと分離して、自分たちの存在を誇示しようと生首写真をやたらとアップロードするようになったときだ。このアカウントと、上のBIの記事にも出てくるオックスフォード大に籍を持つ研究者のアカウントは、それらの写真は異常な写真であるという認識もなく、とてもではないが正視できないような凄惨な写真をTwitterに流し始めた。ISISの側の死者たちを「殉教者」と讃える写真つきのツイート(素人がiPhoneで撮影したようなもの。おそらく遺族に送る「死亡証明写真」でもある)も大量にあった。一時はそれがnormになっていたようで、彼ら(「ISISのファンボーイ」と呼ばれていた)以外の一般のジャーナリストたちもそういう写真をRTなどしていた(とはいえ、「死体の写真」を見せることについては国・地域によりまったく違う基準がある。レバノンなど、自動車爆弾の爆発現場に転がってるちぎれた足の映像も普通にテレビで流しているのがTwitterにも流れてきた例もある)。

それらの写真は、元はTwitterのアラビア語のアカウントが流した(放流した)ものもあれば、Facebookやネット上のフォーラムから「拾ってきた」ものもあったようだ。そして、私の見ている画面は、可愛い動物の写真や記者会見をする政治家の写真や悪天候の劇的な写真より、凄惨な殺人・殺戮の「局部拡大写真」としか言いようのないものが目立つようになった。そういう写真は100点中1点あっただけでも目立つだろうが少なくとも5点はあったし、Twitter.comの画面では誰かがリプライをつけるたびに同じ写真が繰り返し繰り返し表示される。同じこと・ものを繰り返すのは洗脳や精神的拷問の基本テクニックだが、Twitterというシステムがそれにうまいこと利用できていたのではないかと思う。Twitterという「断片」の装置は、繰り返しによって「増幅」の装置になる。リプライをつけるたびに繰り返し表示され、あるいは誰かが手動で「非公式RT」をしても繰り返される。そこに「言葉」が加えられていく。ひところ、本当にうざったかった「大人になったマイリー・サイラス」の売り込みでの繰り返し(わざと作った卑猥な動作や表情を、添える言葉を少し変えながら何度も流す)と同じ手法。「これがISISだ」と強烈に売り込む写真たち。

そのころには、「なぜあれらのアカウントが閉鎖されないのか」という疑問もおおっぴらに語られるようになっていた。アメリカのカウンター・テロリズムの研究者やアナリスト、ジャーナリストは、それに意見を表明する場合には、「泳がせておいて観察してるんじゃないの」とツイートしていたと思う。閉鎖されないアカウントの多くはアラビア語のアカウントで、それらについては「英語圏に影響がないから放置されてるんだろう」という見方もあったが、「次々と出現するので単に把握されていないだけではないか」という意見もあった。いずれにせよ、このような「ISISのプロパガンダ・アカウントの跳梁跋扈」の日々は、2014年8月にアメリカ人ジャーナリスト、ジェイムズ・フォーリーさんが殺害されたあと、過去のものになったようだ。ISISのTwitterのアカウントは次々とサスペンドされたらしい。

「らしい」と伝聞体で書くのは、私は直接それを知らないからだ。生首写真(人を殺した者たちが、殺された人の写真を撮影するのは「トロフィー・フォト」と呼ばれる非人道的な行為である……というと「その『人道』という概念が西洋のものなんですよー」などとプロパガンディストに話をするきっかけを与えてしまうかもしれないが)でうんざりしきった私は、フォーリーさんが殺されたころにはもうとっくに、「シャミウィットネス」などの変なアカウントのフォローはやめていた。(また、フォーリーさんが殺されたのは、私が脅された後のことでもある。)

その前から、「シャミウィットネス」は「ジハディへの共感」を強めているように見えたが(アルカイダやISISの側の死者を「讃える」ツイートが増えていた)、「もうフォローしてなくていいや」と思ったのはひどい写真の連投があったからだ。私はそのころ、いくつかの「ひどい写真ばかりツイートしてくるアカウント」のフォローをまとめて外した。ただフォローしているだけでもれなく削られて精神的にダメージを与えられすぎて、得られる情報と釣り合いが取れてなかった。「アサドの非道」への怒りがなぜこうなるのか、といったことは、このアカウントを見ていてもわかりそうにはなかった。(彼らのそれは、「怒り」のふりをした「自分たちの主義主張」だと私は思ってきたし、今もそう思っている。今なお「アサドの暴力のほうがISISの暴力よりひどい」といって、ISISの暴力を正当化するということも行なわれているし。)

その後のこのアカウントの発言を、私はほとんど知らない。2013年夏は、かなり頻繁にアナリストや研究者筋からRTされていたが、ISISがアルカイダから分離したあとはRTされることもぐっと少なくなくなっていて、RTされることがあるとすれば、「西側で報道されていることに別の角度からの光を当てる」ような、「ニュース系」のものになっていた(「CNNはこう言っているが、現地では……」といったような)。アカウントの「中の人」の考えをダイレクトに伝えるようなものは、RTされてきていなかった。あとから検索すると、ずいぶんひどい状態になっていたようだ。「ヤジディの女子を奴隷化しているなどというのは嘘である。ISISはそのようなことはしない!」的な、笑ってしまうしかないような言い分など(でも日本語圏では日本人の意見としてそういうのが大手を振ってまかり通ってたりしたみたいですね。見てないから人のうわさでしか聞いてないけど)。

その「シャミウィットネス」のアカウントの「中の人」がoutされたというニュースがあったのは、「このクソ忙しいとき」だった。




「レヴァントの目撃者」を名乗り、リビアの英雄の写真をアバターにしたこのアカウントの「中の人」は、レヴァントの人でもリビアの人でもなかった。インドのバンガロールのマーケティング企業の重役と自称する20代の男。昔使っていたTwitterのハンドル(他人からのリプライに残っている)が手がかりとなって、同じハンドルを使っていたほかのデジタル・フットプリントがたどれたのだそうだ。(そのことから伺えるのは、計算しつくしてやっていた「工作員」ではないだろうということだ。例えば、エドワード・スノーデンにはデジタル・フットプリントがない。ジュリアン・アサンジですら出会い系アカウントの恥ずかしい投稿とかが出てきたのに。)

彼の身元を暴いたのは、英国のチャンネル4ニュースだ。報告者は同局のベテラン、Simon Israel記者。CH4ニュースの記事に、ニュース映像が埋め込まれているのでそれをごらんいただきたい(ただし、ISISのプロパガンダ映像をふんだんに使っているので、免疫のない方はご注意を。単なる「戦闘訓練の光景」がほとんどで、流血はないけれども)。KCLのピーター・ノイマン先生のコメントは重要なことを言っている。
http://www.channel4.com/news/unmasked-the-man-behind-top-islamic-state-twitter-account-shami-witness-mehdi

CH4ニュースに突き止められ電話取材された本人(この時点では「メフディ」というファーストネームだけが明かされている)は、「あなたは他人に対してISISに加われとアジっているが、なぜあなた自身がISISに入らないのか」と問われて「そうできるものならそうしているかもしれないが、僕はここで家族を支えなければならないので」などと言いぬけている。

ふざけんな。

アジテーションにさらされて、家族を捨てて「出家」している人たちが何人いると思ってるんだ。

この映像を見れば、この「無責任男」に対する怒りは、共有できるだろうと思う。

ニュース映像には出てこないが、CH4ニュースがトラックダウンしたFBのページ(彼が本名でやっているページ)には、バンガロールで楽しく愉快に暮らす様子が書かれているという。
On his Facebook pages he regularly shares jokes, funny images and talks about superhero movies, posting pictures of pizza dinners with friends, and Hawaiian parties at work.


しかしその内奥には、電話インタビューで語られているような「イスラームの本来あるべき姿」への強い気持ちがあった。英国の「過激なイマーム」などと同じような強い気持ちが。

「Twitterだけで別人格」になってたのか。(昔のハンドルを単に変更しただけで。)

それでrantしてたら、予想外に注目されてしまったのか。そしてますます調子ぶっこいたのか。

「ほんとうの自分探し」はけっこうだ。だが、自分だけでやってくれ……他人の「革命」を乗っ取らずに。「アサド政権の非道への怒り」をテコとして利用したりせずに。

私の見ている範囲には、アサド政権に捕らえられて1年以上音信が途絶えている人がいる。婚約者が捕らえられたきりどうなっているのかわからないという在外シリア人もいる。シリアにいたら身の安全が保障されないから、国外に亡命を余儀なくされた人もいる。殺された人ももちろんいる。国外に出ることすらできない人も大勢いるだろう。いとこが、友人が、隣人が、銃撃で、砲撃で、刃物で、空爆で、たる爆弾で、政権側に捕らえられて拷問されて、殺された、という悲痛な声は、もう上がることすらなくなった。どんなに声を上げても何にもならないのでもう無理、と誰かが言っていた。それを見るたびに、あるいは彼ら・彼女らの沈黙にさらされるたびに、私には(私にも)何もできないことを思い知らされる。せいぜいが難民支援の募金。今日を、明日を生き延びてほしい。だがその先のことは?

これが、21世紀の現実なのだ。良心が痛んだときに「彼らは今がクリスマスの時期だということを知っているのだろうか」とお歌を歌って募金すれば何とかなるだろうという希望さえ、燃えかすになっている。同志諸君、誰か、最近、root causeという常套句を耳にした者はいるか。"Responsibility to Protect"? あれのお葬式はちゃんと行なわれたのか。

最近、英国で頻繁にニュースに登場するのが「ポーツマスのイスラム過激派」なのだが、Ch4のニュースではそのひとり(2013年12月に戦闘で死亡)が「シャミウィットネスのアカウントをずっとフォローしていた」ことに特に注目している。英国のニュースとしては当然のことだ。

が、このアカウントを「ずっとフォローしていた」のは「戦いに行ってしまったイスラム過激派」だけではない。上で述べたとおり、ジハディズムについて「分析し、解説し、伝える」立場にある人々が何人も、このアカウントをずっとフォローしていたし、RTしていたし、何度も「対話」をしていた。それは事実だ。




しかし同じように事実なのは、「シャミウィットネス」が次のようなことを言い出したあと(「過激化」したあと)は、RTされてくることもなくなっていたということだ。




となると、考えずにはいられない。私がフォローしていたころ(ざっくりと1年前)のこのアカウントは、何だったのだろう、と。

多くのアナリストらがFF (Follow Friday) で推薦していたころのこのアカウントは、何だったのだろう。ただのニュースジャンキー? 私と同じような? 深淵を覗き込んでいた?

以下、まだ考え中で書けていないが、そろそろアップしないと「ニュースとして古い」ということになるのでひとまずここで。

なお、Ch4の報道があったときには既に、「シャミウィットネス」のアカウントは本人が削除していたようだ。その瞬間は一応キャプチャしてある。下のほうは@ShamiWitnessのリンクが生きている(青字)が、アカウントが削除されてほどなく、リンクがクリックできなくなっている(黒字)。一番下のはジハディ系のアカウントかもしれないが、上の3つはジャーナリストのアカウントだ。

screenshot

また、「シャミウィットネス」のアカウントをやっていた人物は、身元特定後、インドの警察に逮捕されている。




そしてその後がまたぞろ……






※ブログの公開を見合わせることはしないことにしたが、様子は見ている。


※この記事は

2014年12月14日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 19:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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