「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年12月03日

シリア内戦が明るみに出した、「西側世界」の逆説的な "歴史の終わり"

※タイトルはそれらしいのを適当に思いついただけであまり深い意味はない。

日本においては「右翼」という言葉に対する嫌悪感がすごすぎていかんともしがたいのだが(例えばマーガレット・サッチャーの保守党はright wingであるということを「右翼」という言葉で表すと、眉をひそめられる)、日本を含む(含めていいよね)「西側」世界では、長く、「右翼と左翼」という対立軸で物事が考えられ、分析されてきた。英語ではrightとleft (right-wingとleft-wing)だ。10年ほど前に流行った「ポリティカル・コンパス」でも基本はそれだ。

その「右と左」の対立軸で、最も右に位置する人々を「極右 far right」、最も左に位置する人々を「極左 far left (extreme left)」と呼ぶ。その用語法には、両者は一番遠く離れていて共通点はない、というイメージがある。実際、「極右」からイメージされる「肉食ってビールばっかり飲んでそうなマッチョなハゲ(スキンヘッド)」と、「極左」からイメージされる「全身黒ずくめで本はやたらと読んでるヒッピーみたいな長髪」とは、買う服も行く店も見るテレビ番組も好きな音楽も、何もかも違っていそうだ。

私自身、そういう認識の中でずっと過ごしてきた。イングランドでパキスタン人を侮蔑的な用語で呼び、店を襲撃したりしている「極右」は、「左翼の労働党支持者」より「右翼の保守党支持者」に近いだろう、という直線的なイメージ。図で示すとこんなふう。

[極左(SWP)]―――[左翼(労働党)]―――[右翼(保守党)]―――[極右(C18)]

けれど、それは本当にそうなのだろうか?

いったいなぜ……英極右のあの男がシリアに行った理由
http://matome.naver.jp/odai/2141752716877725401


BNPを追放されたニック・グリフィンが、またシリアに行っていたそうだ。破産宣告された人物、旅費もないだろうに、誰が飛行機代を支払ったのだろう。誰がホテル代を支払ったのだろう。誰が……という疑問が噴き出すと同時に、そこにある「陰謀論」と「無知」(あるいは「選択的な現状認識」か)の渦巻きに放り込まれてめまいがする。

その渦巻きの中は、あまりにぎゅうぎゅう詰めで同時にあまりに何もないので、何も始まっていなくてすべてが終わっている。


イギリスの極右活動家が、ロシアの国家が関与する放送局を推奨する、などということは、25年前にあの「壁」が崩壊する前は考えられなかったのではないか。私たちの知っている「歴史」は、終わっているのではないか。

いや、その「壁」が作られる前ならどうだ。ヤルタ会談の写真を見れば、チャーチルとスターリンが仲良くしているではないか。私たちの知っている「歴史」とは、そもそも「歴史」ですらなかったのではないか。

私を「帝国主義者め〜」と罵ってきたような人たちは、彼らの考える「反帝国主義」のリーダーのひとりであるバシャール・アサドを「公平に」見ている(と主張している)ニック・グリフィンのことは罵るだろうか。罵らないだろうか。

ああ、すべてがばかばかしい。

流されている血など、ないかのごとく。

ガーディアンの記者がアレッポに入っていた。












週刊ニューズウィーク日本版 「特集:ベルリンの壁崩壊25年 世界の現在地」〈2014年 11/18号〉 [雑誌]週刊ニューズウィーク日本版 「特集:ベルリンの壁崩壊25年 世界の現在地」〈2014年 11/18号〉 [雑誌]
ニューズウィーク日本版編集部

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※この記事は

2014年12月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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