「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2014年11月24日

チャリング・クロス駅の「火災」の件

日本時間で23日夜、ロンドンのチャリング・クロス駅 (Charing Cross Station) で車両火災があり、一時駅から人が退避させられ、列車のダイヤが大幅に乱れる、ということがあった。

なお、この「チャリング・クロス駅」は地下鉄ではなく、地上鉄道 mainline, national railのほうのチャリング・クロス駅である。が、なぜか英メディアまでこのニュースを伝えるのに地下鉄駅の写真を使っているケースもあり、そこで多少の情報の混乱が見られた。

「落ち葉が線路に張り付いているので」くらいなら遅延があってもニュースではないが、ターミナル駅の閉鎖とあればニュースになる。

が、車両のボヤ程度なら「交通情報」どまりだ。それが大きなニュースになったのは、「爆発があった」(より正確には「爆発音がした」)という現場証言があったためだろう。(あとから報じられたのだが現場で「ボムだ、ボムだ」とパニクって騒いだ人がいたらしい。90年代後半の東京の交通機関での「異臭騒ぎ」を思い出す。)

さらにそれがTwitterで「推測」で広まることで、事態が実際より深刻なもののようにして人々の間に伝わる。(そして「こんな深刻なことが起きているのに、なぜマスコミは報じないのか」→「マスコミは意図的に隠蔽している」という、情報化社会ならではの例のサイクルが、いかに限定的な範囲でであっても、始まる。これは別に日本だけのことではない。)

一連の経緯をアーカイヴしておいた。情報の流れがどうなのか、何が伝言ゲームの原因になるかの記録として。



なお、こう書いておいてもリンク先を読まない人がこのエントリだけを見て「おおごと」にしてしまうかもしれないので書いておくが、発生したのは電気系統が原因の小規模な車両火災(ボヤ)で、構内に煙(か水蒸気か、見た目ではわからない)が立ち込めるなどのことはあったが、駅設備には影響はなく、30分くらいで安全が確認された。

「爆発音」はしただろうが、何かがはぜるようなpopという音(電気がショートして火花が散るときのような)なのか、爆弾が炸裂するようなbangという音なのかはTwitter見ててもわからなかった。そういう曖昧なところからも、「Twitter上だけでおおごとになる」という現象は発生するのだろうと思う。



※この記事は

2014年11月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:00 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。