「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年10月28日

東京国際映画祭のキャッチコピーの英訳に含まれる、"Lest we forget" というフレーズについて。

【お願い】本稿は最後までお読みのうえ、本文でリンクされている先までご覧ください。下図のようなことについての説明は、リンクされている先にあります。
Lest We Forget


(以上、アップから12時間後の追記。以下、アップ時のまま。)

今年の東京国際映画祭の宣伝文句が「ひどい」という話題。

東京国際映画祭のとあるコピーがひどい
http://matome.naver.jp/odai/2141435775617677101




なるほど、確かに猛烈にダサい。「ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった」といわれても、「で?」と返すよりない。ルキノ・ヴィスコンティやフェデリコ・フェリーニやピエル・パオロ・パゾリーニは日本の出身じゃないでしょ。ジョン・フォードも、イングマル・ベルイマンも、キャロル・リードも、チャーリー・チャップリンも、ケン・ローチも。映画の内容と出身国・活動国は密接な関係があるけれども、単なる「出身国」比べに、意味などありはしない。それぞれが違っていて当たり前なのだから……。多少でも「映画が好き」と言える人は、それは共通の理解として持ってるのではないのか?

ただ、これが日本国内でやる「日本映画名作100選」みたいな企画だったら、まあ、許容されたのではないだろうか(個人的にはそれでも「だっせー」と思う)。しかしこれは「東京国際映画祭」だ。「内向き」で「日本すげぇ」って言ってれば格好がつくイベントではない。(「商品」を「日本市場」に導入するものだという実態はどうであれ)これは「外向き」のイベントだ。

そこであえて「日本すげぇ」と言い募ることは、日本産の「コンテンツ」として競争力があるもの(「売れる」もの)を並べて「外国」向けに売り込むという機会ならまだしも、「広く国外の文物を紹介する」系のイベントとは、本質の部分で「なんか違う」感にあふれていて、頭が痛くなる。そんなに「日本はすごい、日本はすごい」と言い続けていないと不安なんですか、という、何か精神疾患的なものを感じるくらいのこのムード。3年前までは「2ちゃんまとめサイト」の話でしたね。





(あの日本語テクストの「お忘れなく」には、10年位前のJRのCMのキャッチコピーの「ほのかな上から目線」と似たようなものが感じられます。)

ところで、上述の「NAVERまとめ」に含められているツイートでは多くが、 "our nation gave birth to ..." に横溢するうんざりするようなベタなナショナリズムへの拒否反応が多いように見える。

個人的に、そういうベタなナショナリズムについては耐性がついてしまっているので(「アイリッシュ」とか「ジューイッシュ」とかをウォッチしてたらいやでもそうなります。特に「アイリッシュ」)、そこはあまりひっかからなかった。Our nationという言い草はないと思うけれども、高校生のときに「英作文は英借文」の理念のもとで叩き込まれた(暗記させられた)古典的な英文には、Shakespeare is one of the most famous writers that England has ever produced. 的なナショナリスティックな文章はいくつかあった(今は参考書から消えているかもしれない)。そのような「国が才能を持った個人を生み出した」という類型にのっとった例文にはおおいに違和感を抱いていたが(国家は関係ない、と)、そこでまた「エリザベス朝の文化の隆盛」云々の文脈で見ると別な面が見えてきたりしたものだ。それに、2012年のイングラ…おっと、英国での五輪開催のとき、特に開会式での「ナショナリズム」が pride of our nation を真正面から取り上げた上にひねりをたくさん加えていて、それまで national pride なるものに冷めた感情しか抱いていなかったであろう「左派」の現実主義者たちがぱたんぱたんと「熱狂」の側に倒れていくのをTwitterで(開会式の中継映像の横で)目撃した(それは控えめに言っても「かなり衝撃的」なことだった)。英国はあのときの「熱狂」のムードから、戻ってきていないと思う。

そんなナショナリズムのむせ返るようなナルシシズムより、「ちょwww これはないわ」と思ったのが、日本語テクストの「お忘れなく」に対応しているのであろう英文のLest we forgetである。

何の悪い冗談なんだ、これは。

アフガニスタンからの英軍撤退が完了した日に。

"Lest we forget" は英国や英連邦での「戦死した者たちを思う言葉」であり、「忘るることなかれ」という意味ではあっても、当該のキャッチコピーにあるような「お忘れなく」という意味ではない。(それならば "Don't forget", "Always remember" だろう。)

「ソースは」と思ったら、Lest we forgetというイングランド&ウェールズのサイトがあるから、まずはそこからどうぞ。
http://www.lestweforget.eu.com/

"Lest we forget" は、戦没者慰霊碑に刻まれるような文言だ。そのタイトルのバレエ作品などもある。








"Lest we forget" というのは、英連邦の用語法で、「国のために死んでいった者たち、軍隊の犠牲者を忘れない」という意味だ。そこから転じて、軍隊に限らず「戦争における被害・被災」について用いることもある。元は19世紀末のラドヤード・キプリングの詩で、「イエス・キリストの死を忘るることなかれ」というような意味。それが「他人のために死んだ人々の死を忘るることなかれ」と読み替えられて、英連邦で用いられてきた。

その点は、下記の「NAVERまとめ」の4ページに付け加えた。

戦没者追悼のかたち〜英国の例〜
http://matome.naver.jp/odai/2139023621178867301?page=4

↑このURLで4ページが開きます。冒頭はパレスチナにある英軍戦没者墓地のことで、その下が今回の追記。

Lest we forgetは、その用法だけというわけではないが(例えば米国での黒人に対する人種差別の解消の活動という文脈で、かつて黒人に加えられた暴力や暴力的思想についていうときに、Lest we forget と添えられているなどの例はある)、何よりもまず、「戦死者を追悼するための言葉」だ。

なお、TIFFのキャッチコピーの英訳が、元が「機械翻訳」や何らかの対訳集であるという可能性も考えたが、「お忘れなく」の対訳として "Lest we forget." を出してくるソフトがあるとしたら、かなり特殊なものだと思う。参考例として参照したところ、Google翻訳では "Do not forget." だった(非常に標準的だと思う)。

「お忘れなく」のGoogle翻訳結果

※他の翻訳エンジンを試したい方は各自でどうぞ。プロの仕事(東京国際映画祭のキャッチフレーズのような仕事は「プロの仕事」です)が「機械翻訳」ということはまずありえないことだし、検証してもムダだと思います。ただし本件によって「先例」ができてしまったので今後はどうなるかわかりません。(※上記スクリーンショットと本段落は、28日午後7時ごろに書き加えた。)

また、個人的に「テロ被害者」のことばをよく目にするのだが、真相究明を求める彼らの活動のスローガンとしては、 "Never forget." (忘れまじ)がよく出てくると思う。"Lest we forget." は、北アイルランドで英軍側・ユニオニスト側では使わなくはないが……。



ところで「なぜ "日本" ではなく "ニッポン" なのか」という突っ込みはなされないのでしょうか。「音読させたいから」とかいう言い抜けはなしで。(こういう「がんばれ、ニッポン」的な文脈での「ニッポン」表記は、検討に値すると思います。)



アップから約12時間後の追記(午後7時):


……というわけで書き足します。作業中。同じことを何度も書くのたタルいのでスクショで。本稿アップ時の状態での上掲「NAVERまとめ」のページスクショです(その後、書き足しがあるかもしれません)。詳細はリンク先でお読みください。

lwf01.png

lwf02.png

さらに追記。




そのFacebookの投稿。投稿されているのは英語学習に関するコミュニティ:
https://www.facebook.com/slstai/posts/616487238391774?stream_ref=5
SLS(Specialized Learning Support)
2013年8月14日

【Lest We Forget】決して忘れない
終戦の日なので。戦争に関する文章です。
イギリスなどで使われる言葉で、戦争で犠牲となった方々を「決して忘れない」という意味があります。
「Lest」は「しないように」という意味ですから、「forget」と合わせて「忘れないように」となるんですね。
口語として使うことはほとんどなく、このような表現だけで使用されているのではないでしょうか。


ひとつ。日本で多くの人が「英語」と認識している「米語」は、実は「ローカルな言語のひとつ」なんです。「オージー英語」、「イギリス英語」なども「ローカルな言語のひとつ」(「シングリッシュ」は現地語と融合しているので別枠であるにせよ)。「米国で使われるポスター」なら「米語」だけ考えてればいいのでしょうが、英語圏の外で「世界」を対象としたイベントに関するポスターを作るときは、「英語全体」を見なければならない。そのときに、例えばヨークシャー弁のような本当に「ローカル」な言葉では変な意味になるとかいうことはまず考えなくてもいいんだけど、せめて英国、豪州のような大きな「圏」(それ自体が「産業」、「経済圏」を持っているような)については確認しないと、作らなくていい摩擦を作ることにもなりかねないわけです。

「アメリカ英語」では問題なくても、「オージー英語」や「イギリス英語」では問題がある、ということがありうるということを、「アメリカ英語」話者には想定していただきたいんです(それが「ローカルな言語のひとつである」ということです)。お隣のカナダだって、実は「制度」があんなにも違う(国家元首が英国の国家元首であるとか)以上、いろいろ違っているはずなんです。それが(「旅行ネタ」を超えては)クローズアップされることはないのかもしれないですが。

(「イギリス英語」話者が、「お前の英語、変だよ、Do you have 〜? なんて言わねーよ、Have you got 〜? だよ」とドヤ顔をしたら、それって原辰則でしょ? そういうことです。)

※この記事は

2014年10月28日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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