「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年10月20日

Twitpicが閉鎖されることでパブリックな空間から失われる貴重な記録がたくさんある。

【アップデート】本稿をアップしてからさらに状況が変わり、最終的には既にTwitpicにアップされている写真は保持されることになった。詳細は本稿末尾に追記。

▼▼▼以下、本稿アップロード時のまま。▼▼▼

10月25日でTwitpicが閉鎖されることになった。

Twitpicというと、最近は個人のセルフィ(それも「セクシーさ」を強調したようなの)がやたらと並んでいる、ティーンエイジャーの自意識展示会場みたいになっているが、かつてTwitterが自前の写真アップロード&共有サービスを用意するまでは、「Twitterで写真を共有」する際のデフォルトのサイトだった。Twitterから見れば「外部」の、第三者(サードパーティ)のサービスだが、同じくサードパーティでTwitterの支配的なクライアントだったTweetDeck(現在はTwitterに買収された)で「デフォルトの画像アップロード」になっていたくらいに、広く使われていた。(個人的にTwitterは英語でしか使っていないので、日本語圏ではどうなのか、よく知らない。)

だから、そのTwitpicがサービス終了、サイトを閉鎖するということになると、かつてTwitterで共有されていた画像の数年分の多くが失われるということになる。むろん、個人個人でデータをDLすることは可能だが、そうしたところでこの数年分蓄積されてきたURLは無価値になり、ウェブ検索の対象にもならなくなる。

Twitter自身の画像アップロードが始まったのが、調べてみると、2011年の8月(だそうだが、私や私がフォローしている人たちが本格的に使い出したのは2013年3月のようだ)。それ以前の出来事について「市民ジャーナリスト」が「ツイートして広めてきた」ニュース系の写真が、大量に失われる。2011年の東日本大震災(これは日本でのことなので、日本語圏だけで閉じたサービスを使ってる人も多そうだが)、「アラブの春」でのチュニジア、エジプト、バーレーン、シリアなどなどでのデモ(こういった「大きなところ」はまだ大手ニュースサイトが扱っているからよいが、サウジアラビアのシーア派のこととか、オマーンやカタールでの抗議行動のような、英語ではほとんどTwitterと個人ブログでしか扱われていなかったものはどうなるのだろう)、2010年のウィキリークス祭りのときのことやタイの「赤シャツ」デモなど。

そして何より、2009年夏のイラン。イランはFlickrユーザーが多くいたのだけど、さすがにFlickrで政治的なことをする人はほとんどいなくて(在外イラン人は別)、テヘランなどで動乱が報告されていたときにもFlickr上のイランは美しい山岳地帯の写真などが多かったように記憶している。2007年のビルマの動乱のときには、国内から国外に出された写真がずいぶんFlickrにアップされ、Flickrで「連帯」の運動が起きるなどしたが、2009年のイランではそれがTwitPicとTwitterになり、そしてFlickrとはケタ外れの広がりっぷりをみせた。

エクスポートの準備をしながら、そういったことについて、少し書いていたものを先ほどアップした。

Twitpicの閉鎖で失われるものについて(付: データのエクスポート方法)
http://matome.naver.jp/odai/2141379113192428201


なお、データのエクスポート(Twitpicにアップした写真や映像と、それにつけたツイート)は、申請をしてからDL可能になるまで1〜2日かかった。自分の写真をDLしたい人は、くれぐれもお早めに。

0415749093Social Media, Politics and the State: Protests, Revolutions, Riots, Crime and Policing in the Age of Facebook, Twitter and YouTube (Routledge Research in Information Technology and Society)
Daniel Trottier
Routledge 2014-09-05

by G-Tools




【追記】
最終的には、「Twitpicは凍結」というような形になった。既にTwitpic.comにアップされている画像などのデータはそのまま保持され、ユーザーが削除したいときは削除できるが、新たなアップロードはできない。「当面の間」という留保つきではあるが、これで、多くの貴重で重要な記録が無条件でインターネットから消失するということは避けられることになった。







Twitpicの中の人(ノア)にしてみれば、「粘った」というより、「全部奪われた」のかもしれないが、それでも、この落としどころに持ち込んだことはお見事だと思う。Twitter使い始めのころにはたいへんお世話になったサイト、改めて感謝したいと思う。



※この記事は

2014年10月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼