kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年05月04日

【UVF活動停止】BBC Newsのトップページ掲載画像が段々おもしろくなってきた。

何か寝られなくてうだうだしているのだが、BBC NewsのUKトップページにおける「UVF活動停止」のニュースに付属している写真が、段々調子こいてきている。私が見ているのはBBCであってPrivate Eyeではないということを確認しないと不安だ。

uvf-endbbc2.png

BBC NEWSのサイトでは、このニュースの写真は私が確認しただけで3枚使われてきた。最初のは3日夕方のエントリでキャプチャしたときのミュラル(UVFというとこの写真がよく使われる)、次のはステートメントを読み上げるスペンス姿をおもしろい角度からとらえたもの、3枚目がこれ。

戦闘スタイルの男たちに添えて "Prepared for Peace" と書かれたこの壁画はホンモノだ。同一ではないが、ほとんど同じ壁画の写真が、BBCのジャーナリスト、Peter Taylorの著書(下記)の表紙になっている。このパターンの壁画では、"Prepared for Peace" の隣に "Ready for War" とも書かれているのだが、BBCの使っている写真ではトリミングされている。

Loyalists: War and Peace in Northern Ireland

http://cain.ulst.ac.uk/mccormick/photos/no60.htm#photo
にもこの壁画の写真あり。あ、CAINデータベースのmural directoryで調べたらNo Longer existsになってる。

あ、BBCのはこれだ。
http://cain.ulst.ac.uk/mccormick/photos/no1029.htm#photo
Still exists at locationでShore Road, Belfastにあるそうです。

で、Peter Taylorのこの本、上のはハードカバーなんですけど、それは現在手に入りづらいようなので、読みたい方はペーパーバックでどうぞ。表紙は同じミュラルのクローズアップ写真で鏡像印刷になってるんだと思う。

Loyalists

"Prepared for Peace, Ready for War" というUVFのスローガンは、「僕は平和のためにこそ戦う」って感じだろうか、とにかく両方あってはじめて意味を成すスローガン。それを解体しちゃって「今こそ平和を」みたいなふうにしているわけだ。

ははは。言葉っておもしろいですね。

しかしBBCが使ってる写真、いい写真だなぁ。この物騒な壁画の前に2人の子供。文脈次第でいろいろなふうに見えるけれど、事実はひとつ、ここには子供たちがいる。

※この記事は

2007年05月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 04:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼