「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年10月11日

UKIPで初めて、「選挙で選ばれた国会議員」が誕生

10月9日(例に漏れず木曜日)に投票が行なわれた英国の国会(下院)の補欠選挙2件で、「UKIPの躍進」が報じられる事態となった。この5月のMEP(欧州議会議員)選挙で確定した流れのまま、来年(2015年)5月の総選挙に進むことは間違いなかろう。

補欠選挙が行なわれたのは、Clackton(イングランド東部、エセックス州の海に面した町)とHaywood and Middleton(グレイター・マンチェスター)という2つの選挙区。それぞれ、下記エントリ(ウィキペディア)を参照。
http://en.wikipedia.org/wiki/Clacton_by-election,_2014
http://en.wikipedia.org/wiki/Heywood_and_Middleton_by-election,_2014

このうち、クラクトンは、「保守党所属の国会議員が保守党を離党しUKIPに移ることになったので、改めて民意を問う」ための補選、ヘイウッドは前任の国会議員(労働党)の死去にともなう補選で、前者は保守党の、後者は労働党の地盤だ(特に、後者は首相をつとめたジェイムズ・キャラハンの選挙区である)。

クラクトンでその「元保守党」の議員がダブルスコア以上(ほかの政党の候補者への投票数の合計)以上で再選されたことにより、UKIPは初めて、選挙で選ばれた国会議員を獲得することになった。そのニュースは下記に「まとめ」てあるが、現実には「現職の再選」という内容なのに「UKIPが初の議員」というトーンの報道ばかりで、うげっとなる。問題は、「有権者の多くは、国政選挙でUKIPでも投票をためらわない」ということがわかったこと、広く示されたことだ(MEP選挙のときは、「まあ、国政関係ないからな」という見方が、あそこまでやられてもまだ、あった)。しかも「保守党を出てった人物」ということは、有権者の間でのマイナス評価としては現れなかった。

UKIP初、「選挙で選ばれた国会議員」が誕生
http://matome.naver.jp/odai/2141290965606243501


ヘイウッドのほうは、労働党の新人候補が議席を獲得したが、2位のUKIPの候補との獲得票数差はわずか600票ほどにすぎない。投票率が36パーセントと極めて低調なこともあるが、そもそも「投票しよう」という気になるかどうか(8ヶ月で総選挙だ)という問題を差し引いても、これはどうなのか、という結果である。

そういった点、例によってガーディアンのライヴ・ブログが生々しく、一次資料たっぷりで、分厚くまとめている。英国政治に興味がおありの方はぜひ。
http://www.theguardian.com/politics/blog/live/2014/oct/09/clacton-and-heywood-byelection-results-tories-expect-defeat-in-clacton-politics-live-blog

0552171220I Never Promised You a Rose Garden: A Short Guide to Modern Politics, the Coalition and the General Election
John Crace
Corgi 2015-04-09

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※この記事は

2014年10月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼