「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年10月02日

「なぜマスコミは報道しないのか!」っていうのは、「報道」さえされた(と彼らが認める)状態になれば、一気にわーっと行っちゃうんじゃないかと思った。

「なぜマスコミは報じないのか!」というのは、多くの場合、正当な疑問であり怒りであり憤りである。私自身、そう思うことはある(ただし、いわゆる「国際情勢」のおおかたについてはそもそも「期待していない」し、震災1年の式典での「天皇のお言葉から『放射能』を削除してまとめた」ことと、それについてTwitterの匿名の「記者クラスタ」なる人たちの「何も問題ありませんが?」発言を見たあとは、絶望と幻滅をbreak on through to the other sideして「あきらめ」モードに入るしかないと思っている)。

しかし、この件をちょっと見て、実際にそこにある「言葉」を読み、これらの「感謝したがり」と「批判したがり」、「罵倒したがり」に少し接し、「確認しないこと」や「確認するという発想のないこと」、「確認するすべを持たないこと」を想像し、それでも今後10年でも20年でもウェブ上に残っていくであろうこれらの言葉のことを考えたときには、さすがに、「いいかげんにしろよ」と思った。

私は新聞をとっていないし、テレビも見ない環境なので「日本のマスコミはなぜ報じないのか」という話題にはついていけないし、そもそもあまり興味がない。だからこの人たちの「なぜ報じないのか」的な言葉は、そのまま受け取るしかないのかもしれないけれども、しかし、新聞の一面だけでも見れば、「報じない」というのはまったく事実ではないということは1秒でわかるはずだ。あるいはこの人たちの言う「マスコミ」とは「テレビ」のことなのかもしれないけれども(そしてテレビのことは、私は本当にわからない)。

いや、この人たちに興味があるのは、、この「保守速報」というサイトが書いている内容ではなく、結局のところ、自分が中に抱えている「マスゴミ市ね」という呪詛をアウトプットすることだけなのかもしれない。自分が話すきっかけがそこにある、ということだけなのかもしれない。

いずれにせよ、これらの言葉を見ながら、「これは、どんなトピックであれ自分の思い通りに報道さえされたら、何でもわーっといってしまうのではないか」と思った。「自分で考えているつもりになっている」というか、「実は『保守速報』の言うなりになっているというか。

「サダム・フセインは悪い奴なんですよ、水鳥がかわいそうに、こんなになってしまった。保育器の赤ん坊もこの通り」という例のプロパガンダを思い出すけれども、それだってもう20年以上前だ。

戦争プロパガンダ 10の法則戦争プロパガンダ 10の法則
アンヌ・モレリ Anne Morelli 永田 千奈

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書) 新・戦争のつくりかた メディアとプロパガンダ 戦争をしなくてすむ世界をつくる30の方法 プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く

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語り続けなければ「風化」してしまう(と、あえて「マスコミ用語」を使ってみるw)。

「日本のマスコミが極力報道しない」? その「海外メディア」掲載写真は日本の報道機関が撮影してますが…
http://matome.naver.jp/odai/2141221592560894801


しかし、「海外メディア」(と呼ばれるのはたいがいが英語メディアだが)って、写真クレジットについて、非常に行儀悪いよね。クレジットを必要最低限しかつけないから、A社のチョコレートをコンビニのB社で買った場合、「A社のチョコ」ではなく「B社のチョコ」として処理されてしまうようなことに……なんか、本来の著作権の精神とは違うんですよ、これ。

APはかつて、他人が自分たちのマテリアルを使うことを事実上禁止しようとしたことがあり(写真だけでなく文章でも、5語だか6語だかが丸かぶりしていれば「コピーされた」と認定し、個人のブログでの引用まで探り当てて、「削除要請」を送りつけていたことがある)、さすがにそういう点は意識が高いというか細かいようだが、BBCなんかでも共同の写真がReutersということになってるし(共同の写真をロイターが配信していてBBCがそれを買った、という場合)、デイリー・メイルなんかはもうかなりめちゃくちゃ。

BuzzFeedなどの「バイラル・メディア」に行っちゃうと、もう何もないというか、全部パクってきた部品で作った自転車みたいになっている。


※この記事は

2014年10月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼