「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年05月01日

MI5の大失態がトップニュース

5月1日の英国の主要4紙ウェブサイトは、トップニュースがほぼ一致している。インディペンデントだけは「特集:ブレア」だが、ガーディアン、テレグラフ、タイムズはいずれも「MI5の大失態」がトップ記事、インディも特集記事の次に目に付くところに「MI5の大失態」が来ている。BBC NewsではUK Newsはおろか、World版のほうでもそれがトップ項目になっている。

【画像】5月1日付け英主要メディアのトップページ、キャプチャ:
news_01052007.png
※画像はクリックで原寸表示。

今回の「MI5の大失態」とは、4月30日に判決が出た爆弾計画事件の容疑者らと、2005年のあの事件の実行犯との関連をMI5は見逃していた、というものだ。

How MI5 missed the links to the July 7 suicide bombers
Ian Cobain, Richard Norton-Taylor and Jeevan Vasagar
Tuesday May 1, 2007
http://www.guardian.co.uk/attackonlondon/story/0,,2069369,00.html

2005年7月7日、ロンドンの地下鉄とバスに4人の青年が爆弾を持ち込み爆発させた。乗客52人が殺され数百人が怪我、4人はいずれもその場で死亡した(自爆)。駅の防犯カメラの映像などから特定された4人のうち3人は、イングランド東北部出身のパキスタン系英国人、1人はジャマイカ系で、いずれもイスラム教徒(ジャマイカ系の彼は改宗者)だった。

この事件の実行犯を、別な事件(肥料爆弾計画)を追っていたMI5がいったんマークしながらも重要人物ではないと判断して人物特定をすることもなく流していた、つまり「テロリスト」をみすみす逃がしていた、というのが、今日のトップニュースの主要な内容である。

MI5が彼らを見逃していたということ自体は今になって明らかになったことではないが(後述)、あまり大きくは報道されてこなかった(これは法廷侮辱罪か何かによる公判中の報道規制のため)。そのまま放置されるということも考えられたわけだが、今回、裁判の終結にともない報道が解禁され、MI5がそれを認める声明を出したことで一気にトップニュースになったようだ。

MI5のページ:
http://www.mi5.gov.uk/output/Page602.html
It is true that the Security Service and Police did come across two of the 7 July bombers - Mohammed Siddique Khan and Shehzad Tanweer - during the earlier investigation into the fertiliser plot. However, even with the benefit of hindsight, it would have been impossible from the available intelligence to conclude that either Khan or Tanweer posed a terrorist threat to the British public.

Khan and Tanweer were never identified during the fertiliser plot investigation because they were not involved in the planned attacks. Rather, they appeared as petty fraudsters in loose contact with members of the plot. There was no indication that they were involved in planning any kind of terrorist attack in the UK.

The intelligence leads generated by the investigation into the 7 July bombings enabled the Security Service and Police to go back over the fertiliser plot records and put names to voices and faces. The details below need to be read with these facts in mind


MI5はつい先日、長官が交代したばかりである。エヴァンズ新長官は北アイルランドで対IRA工作活動に従事(非常に有名なスパイのハンドラーだったらしい:報道記事はあるんだけど、読んでると気分が悪くなってくるのでまだ読んでない)、のちに中東で実績を積んだ人物だ。また、英国政府は内務省(Home Office)の改組を予定しており、改組後は「対テロ」の部門が動きやすくなるらしい。(「らしい」というのは、私があんまり記事を読み込んでいないから。)

そういったことが、今回の「MI5による異例の声明」の背景にあるのかもしれない。

ともあれ。以下、長くなるが、30日に判決の出たこの事件について、およびMI5&警察が今回メディアに大々的に取り上げられていることをどう説明していたか/説明していなかったかについて。

■肥料爆弾計画
2003年から2004年にかけて、2005-07-07の事件とは別に、大規模な爆弾攻撃の計画が存在していた。この攻撃を計画していたグループの裁判の判決が、4月30日に出た。「5人に終身刑」という判決だ。(この事件に対する一連の捜査はOperation Creviceと呼ばれているので、このエントリでもその呼び方を用いる。)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6195914.stm

2003年に開始されたOperation Creviceは、英国最大のカウンターテロ・オペレーションで、まさに国際的な広がりを見せた。2004年3月から4月にかけて、英国のロンドン市内およびロンドン近辺で6人(ルートンのグループ)、カナダで1人、米国で1人、パキスタンで1人が逮捕された。
http://www.guardian.co.uk/attackonlondon/story/0,,2069260,00.html
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/guides/457000/457032/html/nn4page1.stm

これら9人のうち、英国で逮捕された2名は無罪判決を受けた(主要な容疑者の兄弟だったり友人だったりして事件への関与が強く疑われた人たちだった)。今回終身刑となったのは英国で逮捕された4人と、パキスタンで逮捕された1人だ。
http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/guides/457000/457032/html/default.stm

※この件については、彼ら5人がどういう経緯で「テロリスト」になっていったのかなどを別エントリで書く。

BBCによると、彼らの爆弾計画は、英国のメインランド、すなわちブリテン島では最大の計画だったという。つまり、アイリッシュ・リパブリカン(IRA)や極右よりも大規模な爆弾テロを計画していたということだ。(ただしIRAはアイルランド島ではブリテン島より大きな計画を有していたりするし、ロイヤリスト側の爆弾でもかなりの規模のものはある。) ←元の記述が見つからなくなってしまったので取り消し線つけました。私が誤読していたのかもしれないし、the biggest explosion in mainland Britain since the Manchester bomb in 1996といったことの一部だけが紹介されていたのかもしれない。

#マンチェスターのIRAの爆弾テロ@1996年での爆発物が3000ポンドくらいだったから、この孤立したイスラム過激派の爆弾が「ブリテン島で最大」というのは変な記述だ。私が急いで読んだために何かを見落としているのかもしれないが。(「ブリテン島の外から来たテロリストは除外」とかいう前提があったりして。しかしそれでは「英国におけるテロリズム」は語れないだろう。IRAを無視することになるわけだから。)

■肥料爆弾計画の人たちと、2005-07-07の人たちとの接触
当局がこの計画の存在に気づいてOperation Creviceをスタートさせ、ルートンのグループの監視を始めてしばらくたったときに、2005-07-07の4人の自爆者のうちの2人――事件当時に20歳以上となっていた2人が、このグループとそれもんの場所(過激派の集まる場所)で接触していた。そのときの監視カメラなどの写真が、BBCの下記記事に掲載されている。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6610209.stm

しかし当局は、このグループの計画についての捜査を進める上で、2005-07-07の2人は「危険ではない」と判断し、監視対象から外してしまった。もしも当局が彼らの監視を緩めなければ、あの日地下鉄やバスで殺された52人は死なずに済んだのではないか、というのが、2007年5月1日のメディア・フレンジーの中心にある。

■何が問題か
で、「そうはいってもMI5だってリソースは限られている」とかいうことは誰にだってわかっている。メディア・フレンジーを引き起こしている「問題」はそんなことにあるわけではない。

2005-07-07の事件発生直後、捜査当局は「わからないことばかりだ」という態度をとっていた。彼らはノーマークで、リーズ郊外からいきなり出てきた「アングリー・ヤングメン」だったのだ、という説明がメディアでは為されていたと記憶している。これによって「ムスリムの移民は何をするかわからない」といった「イメージ」が自然発生したり、その「イメージ」が「事実」として通用したりといった現象が少なからず見られた。(日本では「貧しい移民の憤り」といった型どおりの説明が為されたが、んな類型を当てはめてみたってあの「テロリスト」たちについて何も知ることも考えることもできないんである。)

しかし本当には、彼らのことは捜査当局はある程度把握していたのだ。事件発生直後、CCTVの映像が捜査当局によって解析されている間かその直後かくらいに、警察がMI5に照会していなかったとは考えられない。

今思えば、事件直後、まだ爆破された場所についての情報も錯綜しており、犠牲者数もわかってない段階での日本のテレビのニュースで「ロンドンで爆弾テロ、イスラム過激派か」といった報道が為されていたのが何かそれっぽいと思うけど。(ロンドンでテロといえばIRAの可能性を疑わないのは変だな、実は当局がマークしてたイスラム過激派の人物に当局が出し抜かれましたってことかな、マークしてた当人じゃなくてもその友人とか、あるいは当局が送り込んだスパイが知ってる者が実行犯だってこともあるし、と内心思っていたのであるが、そのときはそういう推測というか憶測についてはウェブには書かないことにして、報道を追ってメモだけしていた。というかアメリカは「ロンドンでテロ」で驚くなよ、IRAあったじゃん、誰だよIRAに資金を送ってたのは、とツッコミ入れてた。→過去のエントリ一覧@旧URL

■事件直後の報道を思い出してみる
事件からしばらくの間は、メディアの報道も錯綜していた。往復切符でリーズからロンドンに来ていたなど状況として不自然なところがあったことから、「彼ら4人は過激派のボスに言われて荷物を運んでいるだけと思っていたのではないか」というような推測もあったし、もっとそのものずばりの「陰謀論」もささやかれていた。「陰謀論」の背景には、事件が発生したのがちょうど英国でG8サミットが行なわれている最中というタイミングだったこともあっただろう。また、あの錯綜には、労働党政権に批判的な立場(それも左側ではなく右側:「ブレア以上の右がいるのか」という話はさておき)からの「いつもの調子のブレア政権批判」という文脈もあった。

そんなこんなで、何が「陰謀があるということを前提とした推測・推論」で、何が「いつもの政権批判」で、何が「事実」なのか、非常にわかりづらかった。リトビネンコ事件でもものすごい錯綜ぶりが見られたが、私が見聞した範囲では2005-07-07ではそれ以上に錯綜していたと思う。記事なんか読んだって何もわからんな、と判断せざるを得ないほどに錯綜していた。7月7日の事件後2〜3週間の間にまたロンドンでの爆弾未遂事件があり、さらにはストックウェル駅での無関係のブラジル人射殺という警察が起こした殺人のケースもあり、何が何なのかわけわからんほど、ロンドンからのニュースは大量に流れてきた。

当時の報道を思い返すと、4人のうちの1人は小学校で子供たちを指導する立場にあり、人々の尊敬を受ける地域の「頼れる兄貴」のような存在で、別の1人は地元の学校からリーズ大学に進んだスポーツマンで、お父さんは成功した自営業者だ、という感じで、その彼らが「テロリスト」だったというショックがいろんな意味で大きかった――「移民」としてはお手本的な「成功」をおさめた彼らは当局もマークしていなかったし、彼らがなぜ「イスラミスト」(<デイリーメイルなどの用語をここでは用いる)のテロの実行役となったのかはわからない、というような感じだったと思う。そしてその「わからなさ」がある方向で機能していたことが、ブラウザで見る英国のニュースからがんがん伝わってきていた。つまり「移民は問題を起こすのだ」という雰囲気があったこと、あるいはそういう雰囲気を作り出そうとする動きがあったことが、そういうのに対するカウンターの多さから伝わってきた。

# 実際には移民でなくても移民であっても問題を起こす奴は問題を起こす。こういった事例で問題なのは、問題を起こす本人が「おれは移民で文化的ルーツが違う」と思うところが出発点になっているということだろう。といってもその出発点自体には問題はなく、そこから歩き出したところで出会う連中が「これがあなたの心のなかにあるルーツです」とにっこり笑って差し出してくれるものが「偽宗教」だということに問題がある。

その後、アルカイダのアイマン・ザワヒリのあたりから彼らのビデオが出されるなど、警察の説明どおりだったとしたら英国の警察・治安当局はあまりに無能じゃないか、と思われるようなことも起きた。IRAにスパイを送り込みまくっていた英国の当局がそこまで「無能」とは、ちょっと信じがたいのだが。

いや、実際に「無能」だったことはあるが(椅子の脚を運んでいた人を「ライフルを運んでいる」と誤認して射殺したり、マークしてたフラットから出てきたアジア人っぽい男が地下鉄に乗り込んだときに組み伏せて射殺してみたり)、それは現場で起きたことであって、情報を統括し作戦を立てる上層部が自らの「無能」さをさらけ出す場合、それはたいがいは何かをカバーするための目くらましだ。そこで「カバーされる何か」とはいわゆる「陰謀論」的な何かである場合もあるだろうが、そうでない場合もある。「まったくの見込み違い」とか、「初動捜査の誤り」とかいったものが、全力で隠蔽されることも、単に「それを語らない」という形で表ざたにされないこともある。

■事件から10日後に関係者がサンデー・タイムズにちらっとリークしていた
当初かなり錯綜していたいろいろなことは、事後的に、Wikipedia英語版のエントリでかなり整理されている。(ウィキペディア日本語版は英語版の翻訳ではなく、内容がかなり異なっている。)

そしてその中に、当時の報道記事への言及がある。2005年7月17日、事件から10日後のサンデー・タイムズの報道だ。その記事が2007年5月1日に各紙のトップを飾った「MI5の大失態」のことを報じる記事である。(たぶんこれが最も早い報道だ。)

July 17, 2005
MI5 judged bomber 'no threat'
David Leppard
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article545011.ece

概要:
今週末、事件での死者数が55人に達し、ロンドン警視庁が4人の自爆者のCCTVの映像を初めて公開したが、昨日、政府筋が語ったところによると、ロンドンの交通機関で自爆した4人のうちの1人、モハメド・シディク・カーンの名は、ロンドンでの自動車(トラック)爆弾の計画に対する捜査で2004年に浮上し、以降彼はMI5によって監視対象となっていた。しかし結局は彼は国家安全への脅威とは考えられないと判断され、今回の攻撃が可能となった。

MI5は、2004年に、モハメド・シディク・カーンが自動車爆弾を計画していた集団と会っていた人物が使っていた家を訪問していたことを突き止めていた。しかしMI5ではカーンは「爆弾計画に直接の関係はない」と判断し、彼自身が何かをするとは考えず、監視対象から外してしまっていた。

この話をした政府筋の人物は、当時カーンに対して「性急な判断」が為されたのだと語る。この自動車爆弾計画では数百名が捜査線上に浮かんでおり、カーンは主要人物(計画を持っていたセル)の周辺にいるだけだと判断されたひとりであった。

テロ容疑者を見過ごしたということであればMI5の失態として非難されるだろうとしたうえで、この人物は、「局には限られたリソースしかなく、最も危険な人物にそのリソースを集中させざるをえないのが現状だ」と述べた。

カーンを危険人物ではないとした判断の背景については、現在緊急に再調査がなされている。先の金曜日、米国の情報当局者2名が、アルカイダへのサポート(アフガニスタンでのキャンプの設立)で起訴され、2004年6月に裁判で有罪を認めたMohammed Junaid Babar被告がカーンのことを知っていると述べた。Mohammed Junaid Babar被告自身が法廷で、英国のパブや駅、レストランなどを爆破する計画を支援したとも述べている。

米国筋によると、先の木曜日にはMohammed Junaid Babar被告はカーンの写真を見てパキスタンで会った男だと断言したという。ロンドン警視庁はロンドンでの事件の実行犯で、パキスタンの宗教学校で過激化させられた者がいないかどうか立証しようとしている。

つまり事件から10日後という時点で、英国の政府筋(間違いなくMI5の誰かだろう)と米国の情報当局者(CIAだろう)が、7月7日に自爆した人物のひとりは、近い過去において「過激派」と接点を持っていた、ということを、サンデー・タイムズに語っている。記事ではこのあと、英国と米国との不一致について細かく書かれている。

なお、このサンデー・タイムズ記事に名前が出てくるMohammed Junaid Babarは、2004年4月に米国で逮捕され、自身の裁判で有罪を申し出たあとはsupergrass、つまり検察側の証人として重要な役割を果たすことになった人物だ。1975年にパキスタンに生まれ、幼少期に米国に引っ越している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mohammed_Junaid_Babar

この人物については別のエントリで。(長くなるので。)アルカイダにしてはちょっと変な人なんですよね。気になる。気になりすぎる。
タグ:MI5 dirty war

※この記事は

2007年05月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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