「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年08月31日

もはや報道なんかされない「アラブの春」の顛末(バーレーン)

最近、イラクで黒旗首切り集団が大暴れを開始し、シリアでこの集団がアメリカ人の首を切り落として殺害してようやく、「いつもの界隈」の外でも「国際社会がシリアのアサド政権の途方もない暴力を放置してきたツケだ」といった意見が見られるようになってきた。「シリア内戦」というととにかく難民・国内避難民が多い(人口の半分が家を追われた)といったことで眉をひそめている人々はかなり多いと思うが、それ以前に、2011年に「始まった」直後から、本当にとんでもない暴力が行使されてきたことはかなりスルーされている。「反政権側の出す映像はニセモノだ」とか「すべてサウジの工作」とか「アメリカがーーー」といった、ばかばかしいが笑えない情宣が本気で受け取られ、自国民に対し暴力・軍事力を行使している側の言い分を、その武力行使をとめることもせずに聞くことが「冷静で中立的」なこととされ、挙句は考えられないほど厳しい状況のなかで非武装民主化要求デモをしている人たちまでもが「反アサドだからアルカイダの味方だ」などと中傷されていた。ちなみにこれら、日本語圏でのことだ。私自身、わけのわからない罵倒の対象となったことは一度や二度ではない。なお、最新の数値では、アサド政権による強制失踪者は8万5千人だそうだ。当局に連行されていったままどこにいるかわからない人々が、8万5千人いる。内部告発者が、そういった人々が拷問され殺されているのを記録した写真を「国際社会」に届けたが、実効力のあるようなことは何も起こらなかった。こういうのを放置している者が、首切り集団の暴力を批判したって、乾いた笑いしか出てこない。首切り集団がいかに残虐で危険であろうとも、とにかくアサド政権の暴力とは、まず、規模が違う。後ろ盾も全然違う。(むろんそのことは、首切り集団を正当化しはしない。)

だが、シリア以前に「国際社会」から無視されていた「政権の暴虐」はあったし、その無視・放置がさらなる暴虐を招くということも生じてきた。いわゆる「アラブの春」におけるその顕著な例はバーレーンである。



Human Rights Watchのケネス・ロスさんが書いているとおり、マリアム・アルカワジャさんが当局に逮捕され、3件の罪で起訴された。いずれも重罪だ。

マリアムさんはかつてバーレーン国外で亡命生活を余儀なくされていたアブドゥルハディ・アルカワジャさんの娘としてシリアで生まれ、亡命が認められたデンマークの市民権を有し、デンマークのパスポートで世界各地でバーレーンの人権状況について報告するという活動を行なっている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maryam_al-Khawaja

そのマリアムさんがバーレーンに戻ったところで、空港で身柄を押さえられ、市民権はないと言われ、「国王侮辱」などで起訴された。以下はお姉さんのザイナブさんの報告。





ザイナブさん、マリアムさんのツイートはすでに下記にアーカイヴしてある。

「この手紙が公開されたということは、当局が私の入国を拒んだという意味です」〜バーレーンでの闘争
http://matome.naver.jp/odai/2140942010572073401


ここ↑もアップデートしていきたいと思うが、それより、ザイナブさんのツイッターをフォローしていただいたほうがよい。
https://twitter.com/angryarabiya

「アラブの春」という名称が使われるようになったころ、米政権にかなり近いところで専門家として活動していたマーク・リンチさんは、2013年にエジプトがああなるなどして「アラブの春」が絶望的なニュースの出所になる前に、バーレーンについて何度か「一連のアラブの春で最も悲劇的」と述べていた。最も真の意味での「民主化要求運動」(王制に対する要求。政権転覆ではなかった)で、「平和的」(非武装)な運動は、政権によって叩き潰され、「国際社会」も事実上一顧だにしなかった。ドライバーの何人かが異議の声を上げるなか、F1は平然と開催され、何事もなかったかのように「欧米」からの支援は続いている。

※この記事は

2014年08月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:43 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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