「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月30日

トニー・ブレアの(本当の)終わりの始まり

いよいよブレア退陣(の発表)まで秒読みという段階で、ガーディアンがここ数日怒涛の記事ラッシュになっている。特に労働党の重要人物のインタビューが続々と出ているのは、一応読んでおきたいところ。

ガーディアンのPolitics > Labour Partyのところを参照。
http://politics.guardian.co.uk/labour/0,,442879,00.html

※時間がたつと↑のリンクの内容も変わるので、現時点でのキャッシュ(魚拓)を取っておきました。

30日の時点で上がっている労働党重鎮インタビューは、ロード・ファルコナー、ニール・キノック、デイヴィッド・ブランケット。キノックのだけ読みましたが、ブレアが党首になる直前の様子がよくわかるほか、ハロルド・ピンターが下記の書籍などではっきりと(そして批判的に)指摘している「政治の言葉」のありかたというものがよくわかる内容でした。

それから26日にはTimothy Garton Ashによるトニー・ブレアへのインタビューも。(読む気にならなかったのでまだ読んでないけど。)
http://politics.guardian.co.uk/labour/comment/0,,2065552,00.html

4087203840何も起こりはしなかった―劇の言葉、政治の言葉
ハロルド・ピンター 喜志 哲雄
集英社 2007-03

by G-Tools

※この記事は

2007年04月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | todays news from uk/about blair | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
退陣表明は来週、退陣そのものはその7週間くらい後だそうです。退陣表明はやっぱりストーモント・アセンブリー再始動のタイミングに合わせるのだろうと思います。で15日のウエストミンスター feat Bertie Ahernは、国会という場での華々しい引退セレモニー第一幕、ってことかな。

Mr Blair says he will announce his resignation next week, after which he will stay as PM for about seven weeks until Labour chooses his successor.

Brown to be PM 'in weeks' - Blair
ast Updated: Tuesday, 1 May 2007, 12:03 GMT 13:03 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/6610623.stm

ああ、ついでに。ようやくはっきりと「後継者はブラウン」を明言したそうです。労働党内が落ち着いてきたんでしょう。(クラークとかミリバンドとかが静かになったから。)
Posted by nofrills at 2007年05月01日 21:18

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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