“I think your whole life shows in your face and you should be proud of that.” ― Lauren Bacall pic.twitter.com/QOLyLiSyHN
— (Just) Jules (@jewelsfromjules) August 12, 2014
【訃報】ローレン・バコール(ハリウッドの黄金時代を知るスターの最後の一人)
http://matome.naver.jp/odai/2140794710322090101
「ハリウッド映画の黄金時代」の中で生きてきた芸能人の最後の一人、ローレン・バコールが、90歳を目前に亡くなった。訃報が流れた日、見ていた画面には「マドンナのVogueの歌詞に出てきた銀幕のスターたちはこれで全員他界してしまった」という人々の感慨深げな声が流れてきたが、今は「マドンナのVogue」と言われてもわからない人が多いだろう(1990年の曲。ほんとにどこででもかかってた)。
あのような「スター女優」には、若くして亡くなったり、晩年は姿を見せないように隠遁生活に入ってしまったり、芸能界から遠ざかってしまったりする人も少なくないが、ローレン・バコールは生涯芸能界で現役だった。IMDBを見ると、最後の作品が2014年のテレビアニメの吹き替えである。
http://www.imdb.com/name/nm0000002/
その「声」は、あの「目つき」と同じく、女優ローレン・バコールのトレードマークだった。仏頂面をしているか、射るようなまなざしで上目遣いで人を見つめる「ファム・ファタール」は、甲高い声できゃぴきゃぴしていてはならず、声を低くするトレーニングを受けたのだという。
上のNAVERまとめで見ているVanity Fairの2011年のインタビューで、バコールは、彼女が誰かをわからず失礼しましたと言うホテル職員に、「この声でおわかりになるでしょう」と怒った、というエピソードが出てくる。Effortlessly cool(何も努力せずにかっこよい)と形容される八頭身美人のバコール本人はeffortせずに「クール」であったわけではない(脚の長さなどは元からのものであったとしても)。あの声は、努力をして手に入れて維持してきた「声」なのだ。
ところで個人的には、最初に見た映画はおそらく『オリエント急行殺人事件』で、そのあと「名作」として『三つ数えろ』や『百万長者と結婚する方法』でハリウッド黄金期のスタァの存在感に圧倒されたクチなのだが、正直「ハンフリー・ボガートの妻」と言われてもボギー自体よくわからんので(ジュリーの歌に出てきた「昔の人」としか思ってないし、『カサブランカ』でもどこがかっこいいのかさっぱりつかめなかった)、「へー」という程度だったくらいだ。自伝を何冊か書いている人だが私は読んでいないし、スターの私生活には全然興味ないから、25歳も年齢が離れていたとかいうことを知ったのは、実は、訃報があったときだ。
それに、ローレン・バコールといえば単に「アメリカ人で、往年のハリウッド女優(マリリン・モンローとかと同じ時代の人)」で、要するに「アメリカ人」としか認識していなかった。例えばマレーネ・デートリッヒが「ドイツ人」だとか、チャーリー・チャップリンやアルフレッド・ヒッチコックが「ハリウッドに渡った英国人」だとかいうのと同じような文脈のある人だとは聞いたことないし、そう思ったこともない。
なので、これは本当にびっくりした。
これは知らなかった。ローレン・バコールはシモン・ペレスのいとこ(父親どうしが兄弟)。ペレスがイスラエル首相になったときにインタビューを申し込んだ記者の回想。 "Remembering Lauren Bacall" http://t.co/PB2I2rD7es
— nofrills (@nofrills) August 13, 2014
というか、バコールが「ニューヨークのジューイッシュ」だということもいままで知らなかった。気にしたこともないし。
でも、Vanity Fairのインタビューを読んで、そういう態度もちょっと違うのかな、と思っている。1944年、対独戦の真っ最中に、彼女は銀幕デビューをしているのだ。ハワード・ホークスという大物プロデューサーに発掘され、ベティから「ローレン」になった彼女は、ホークスから祖母の名前を聞かれて(おばあさんの名前を芸名にすることはよくあったらしい)「ソフィー」と答えていたそうだ。しかし「ソフィー」では売れない。なぜなら……6ページもあるインタビューの中のたった1行で、その「根」の深さに直面させられて、少し戸惑っている。
1945年の今日、8月14日、日本はポツダム宣言を受諾した。
1945年(昭和20年)7月26日、ポツダムで、米・英・中(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したもの。軍国主義の除去・領土の限定・武装解除・戦争犯罪人の処罰・日本の民主化・連合国による占領などを規定。日本政府ははじめ拒否したが、原子爆弾の投下、ソ連の参戦を経て8月14日これを受諾した。
デジタル大辞泉より
http://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
そのころ、「ニューヨークのユダヤ人」であるローレン・バコールは20歳で、既にハンフリー・ボガートと結婚していて、たぶん映画の撮影中だっただろう。既に5月に欧州では終戦していたが、完全に「戦争」が終わった8月に、彼女はその「終わり」のニュースをどう聞いたのだろう。
機会を作って自伝を読んでみようと思う。亡くなったあとで気づくとは……だが。
※この記事は
2014年08月14日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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