「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年08月11日

ISISという連中は本当に卑劣極まりない。



「子ども兵士」の背景と実情 ―― なぜ子どもが兵士になるのか
小峯茂嗣 / NGOアフリカ平和再建委員会(ARC)事務局長
2013.11.05 Tue
http://synodos.jp/international/6069/

この優れた説明記事の2ページから。

武装勢力らが子どもを軍事的活動に動員する動機付け、あるいは子ども兵士に期待する役割とは何なのだろうか?

第一に、戦闘における成年兵力の温存機能である。戦闘に際し、子ども兵士を「特攻隊」さながらに敵兵に突撃させ、戦況を有利にすることができる。戦闘以外には、地雷処理に子ども兵士を使用する場合がある。……

第二に、運搬のような兵站機能の補完の機能である。部隊が移動する際などの荷運びに子ども兵士が使われるケースがある。……

第三に、情報収集機能である。偵察やスパイ活動に子ども兵士を使う場合がある。子どもたちは体が小さくて見つかりにくいことや、子どもだということで怪しまれないですむことで、使いやすいのである。

第四に、成年兵士の性欲処理機能である。子ども兵士として動員されるのは少年だけでなく、少女も含まれる。彼女たちは上述の任務のほか、武装勢力の成年男子の「妻」ないし「従軍慰安婦」としての役割を担うのである。

このような事情を満たす上で、武装勢力は、必要になれば村を襲撃して子どもをさらったり、都市部にいる孤児やストリートチルドレンをリクルートしたりすることによって子ども兵士を「調達」する。調達や使用にあたってはコストがほとんどかからない(粗末な食事を出すだけで給料を払う必要がない)。そして子どもたちは洗脳しやすいこともある。暴力によって恐怖を植え付けて服従させるようにしたり、麻薬やガンパウダー(銃弾の中の火薬。幻覚作用をともなう成分が含まれているものがある)によって思考能力や戦闘の恐怖を失わせたりすることもある。

つまり、動員する側に取って子ども兵士は、調達が容易で取り換えがききやすく、使いやすい「道具」なのである。


こういうことを「非人道的」という言葉を使って説明するとまた「西欧のなんちゃらー」「あなたは欧米の価値観だからー」だのなんだのというのが湧いてくるのだろうが、「卑劣な人でなし」と言えばどうだろうか。まさか、アジアには「人でなし」という概念はないとか言わないよね。

彼らはその「人でなし」の行為を、何とかして正当化している。

※「非道」な行為を何とかして正当化している状態というものは、IRAがハンストのときに「自発的な餓死」をどのように正当化したか、とかいった事例を考えてみればよい。

※ついでにいうと「子ども兵士」の利用は非合法(「卑劣」云々以前の問題)。といったところで連中は「法wwwww 西洋のwwwwww」と、一顧だにしないだろうが。
ジュネーブ諸条約第一追加議定書(1977年採択)
 国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を控えるよう要請し、15歳以上18歳未満の者を徴募する場合の最年長の優先を規程(77条)。
ジュネーブ諸条約第二追加議定書(1977年採択)
 非国際的武力紛争における15歳未満の児童の徴募及び敵対行為への参加を禁止(4条)。
……(以下はリンク先参照)


子ども兵の戦争子ども兵の戦争
P.W. シンガー Peter Warren Singer

戦争請負会社 ロボット兵士の戦争 民間軍事会社の内幕 (ちくま文庫 す 19-1) 戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫) 本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

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※この記事は

2014年08月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 08:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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