「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年07月06日

「NHKはWHOのガイドラインを守って、自殺を伝えないのだ」という大嘘について(反証つき)

6月下旬、東京の新宿の駅前で、男性が政治的な主張を行なった上で焼身自殺を図るということがあった。政治的な話をしていた時間が相当長く、男性が自身に火を放ったときには救急・消防の人たちが現場にいて、男性は幸いにも命に別状はなく、2ヶ月ほどの重傷だという。

このニュース、(世間一般のみなさんの大好きな表現を借りていうと)「海外」では大ニュースとして駆け巡ったが、肝心の東京ではstate mediaと言うに最も近い存在であるNHKが無視、ということで話題になった。何しろ最近のあのNHKである。誰もが警戒心をもって見ていて当たり前だ(が、そのような「警戒心」を持つことを「セイジテキ」と冷笑する人々がいることも事実として指摘に値する)。

私は個人的に、ホスニ・ムバラク退陣要求運動が各都市で起きていたころのエジプトの国営メディアの事例をほんの少しとはいえ見ているので、こういう「伝えなさ」は非常に怖い。内戦突入後のシリア国営メディアなぞ見ていれば、なおさらである(「政治的主張をする人々」のことを「伝えない」上に「テロリスト」と位置づけ、「やさしく頼れる大統領と美しい大統領夫人の幸せな家族」と「大統領への賛辞」、「美しいわが国」を熱心に伝えているようだ)。「メディアはこういうことをするものだ」という前提が共有できないことがあるとしたら、それはとても恐ろしいことだと思っている。



この「NHKが伝えない(報じない)」ことについて、事件のあった直後に、「なぜ報じないのか症候群」などという最低にゲスい揶揄・嘲笑のほか(病理の言葉をそのように使うことは、いわゆる「デマ」の拡散と同じくらいに悪質である)、妙な理屈が横行していた。「自殺なんてするなんてとんでもない」という一種pro-life的な主張(それは人としてあって当然の気持ちである)が、「政治的な主張をするために自殺するなんてとんでもない」という《(自覚はないが)政治的》な主張と渾然一体となり、主張をしている人たちにもおそらく区別がつきかねているその熱狂のさまは、見ていて非常にグロテスクなものだった。

何のどこが「グロテスク」なのか。「自殺なんてするなんてとんでもない」という意見が表明されるのを、ここ東京で日常茶飯事である「鉄道での人身事故」について言われるのを、私は直接顔を合わす間柄の人々の「何も死ぬことはないのにねえ」、「そうですよねぇ」というため息主体の会話を除いては、見聞きしたことがないからだ。誰もがスルーする。完全に無視するのがたぶん「マナー」だ。見聞きするのは、せいぜいが「市にたければ迷惑をかけないように市ね」といった(時として意図的な誤変換交じりの)罵倒だ。

普段から、「自殺」について「そんなことはすべきでない」と述べている人であればともかく、「政治的主張をするための自殺」についてのみことさらに大声で「自殺はすべきでない」と言う、という行為の《政治性》に、その《善意》の人たちは、おそらくまったく気付いていない。あまつさえ、「あのような派手な自殺をすることで、自殺念慮を抱いている人々に悪影響を与える」と、もっともらしい顔をして憂えてくださる。ありがたくってたまらないじゃないか。

「自殺念慮を抱いている人への悪影響」ならば、1年に約3万件もあるケースのどれでも同じ、東京で公共交通機関を使っていれば日常茶飯事で耳にし目にする「人身事故」でも同じである。書店やラジオなどでふと見かけたり聞いたりする「自殺」した著名人の生前の文学作品や音楽作品などでも、同じである。何がトリガーになるかなんて他人にわかるものではない。「ホームドア設置工事があります」という淡々とした「お知らせ」でさえ、である。「市を選ぶ」のもまた、人 human である。

そういった「悪影響」を言う人々が、「政治的主張を行なう焼身自殺」についてのみ「自殺はよくない。つられる人がいたらどうするんだ」と眉をひそめてみせる光景は、「おためごかし」と言うよりないのだが、それ以上に《政治的》で、事実を無視したものであるケースもある。

つまり、何をどう見ているのか知らないが、「NHKはWHO(世界保健機関)のガイドラインを遵守しているので、自殺を報じない。民法はそれを無視して報じているのだ」と述べる人たちがいる。

自殺報道について、「WHOのガイドライン」が存在することは事実である。しかし、そのどこに「自殺があったということ(事実)を報道してはならない」、「自殺を報道すべきではない」などと書いてあるのか。
(一部抜粋)
- 自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。あるいは問題解決法の一つであるかのように扱わない。
- 自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない。
- 自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない。
- 自殺既遂や未遂の生じた場所について、詳しい情報を伝えない。


自殺が完全にタブーであるカトリック国のアイルランド共和国でも、「自殺」の事実は、確認されれば伝えられる。ただし「自殺」という言葉は、頑として使わないメディアもあるが(例:アイリッシュ・インディペンデント)、使うメディアもある(例:アイリッシュ・タイムズ)。前者の場合は「それとなく描写する」形だ。アイルランドでの自殺報道の具体例は、下記にクリップしてある。さんざん批判にさらされている政権の閣僚の1人がラジオでさらに不用意な発言(というより暴言といってよい)をして、「オンラインいじめ」にあう状態になり、ある日ひっそりと自ら死を選んだときの報道の様子である。(非常に痛々しいので、閲覧注意してください。私は第一報では心臓発作のような急病死かと思いました。)

オンラインの言葉の暴力は、何をもたらしうるのか……アイルランド共和国の大臣の事例から
http://matome.naver.jp/odai/2135855222760153201


それから、次に、「NHKは自殺を報じない」というあからさまな虚偽。誰がそんなことを真顔で言えるのだろう。これは、「嘘も充分頻繁に繰り返せば、人はそれを信じるようになる」(伝ゲッベルス。「嘘も100回言えば真実になる」という変形でも知られる)、あるいは「ダブルシンク doublethink」(オーウェル)を警戒しなければならない。大げさな話ではなく、本当に。

そのためには、「NHKが自殺を報じている」例を示し、反証することが基本的でなおかつ重要だ。「報じている」というのは、ここではドキュメンタリー(「NHKスペシャル」)や「クローズアップ現代」の枠ではなく、単に一般の「ニュース」の枠に絞るのが適切だろう。

日本語のニュースサイトはサイト内でニュースをアーカイヴするという発想が根本的にないので、1998年の北アイルランドの和平合意交渉についても普通に検索すれば記事が見つかるという英米のメディアのサイトの多くで通用する発想が通じないのが残念だが、当該のニュースサイトの外に出てウェブ検索をすれば誰かがブログなどで記事の見出しとURLを控えていたり、一部を引用して自分の意見を書いていたり、アーカイヴしていたりするのが読める。(問題はそこで「ウェブ検索をする」という発想自体が、一部の限られた層のものである、ということだが。)

例えば、2013年夏に自殺したある著名人のケースについては、こんなふうな記事があることが確認できる。

《著名人》さん死亡 飛び降り自殺か
NHKニュース  (2013年)8月22日14時16分
http://archive.today/MoFbR


「建物から転落して死亡した。自殺と思われる」ということだけでなく、「転落」場所の詳細(ガイドライン違反の可能性)、「履いていたとみられるスリッパ」のこと(この時点ではそれが根拠となって「自殺と思われ」ているようなので、必要な「事実」の描写の一部ともいえるが)も書かれている。

このほか、「NHKのニュース」で「自殺」が報じられた例など、いくらでもあると思う。個人的に、最近何年かは普段テレビを見ない環境にいるので「思う」としか言えないのが残念だが、芸能人や作家など著名人の事例であれ、「逃亡中の容疑者」であれ、学校で辛い目にあった子供であれ。一時期「社会現象」、「社会問題」化した(そして英語圏のマスメディアで「日本と言えばこういう事件」というステレオタイプにもなった)集団自殺など、しょっちゅうトップニュースになっていたではないか。いくつかの事例、例えば江藤淳の自殺では、NHKはけっこう長々とやっていた記憶があるし、「おっさん週刊誌」が好奇心の塊になっていたではないか(電車の中の中吊り広告!)。

それを、「WHOのガイドライン」そのものをチェックする人など限られているのをいいことに、「NHKニュースはガイドラインを遵守してるから報じない」とまったくの嘘をいえる人がいる。

ネットってのは(リアル世界と同じで)そういう「大嘘つき」が普通に生息している場なんだけども、(また、そういう「大嘘つき」の発言も、まともな発言と同じように扱われ、場合によっては「拡散」していく可能性のある場だが、)2011年3月11日の震災後に「その人の発言を知ってる人なら誰もが大嘘つきと分かっているような人物」の発言が「まともなもの」として受け入れられた事実(リンク先は一例。私の見ていた範囲では、在外日本人がずいぶん信じていましたね)を見れば、「NHKが自殺を報道していないだなんて、そんな、誰でもわかるような嘘www」と一笑に付すことはできない。

というか、今このエントリを書くために検索してたら出てきたんで「そういえば」と思い出したし、同時にぞっとしたんだけど、今のいろいろと問題のありすぎるNHKの経営委員の1人が「自殺礼賛」者じゃん。

野村秋介氏の自殺を称賛 長谷川・NHK経営委員、就任前に追悼文
2014年2月6日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S10964745.html

長谷川氏の追悼文は野村氏の自殺について……と称賛。野村氏の死によって、天皇が「(日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられた」と書いている。

追悼文集は、昨年10月18日に東京都内で開かれた野村氏の追悼集会「群青忌」で配るために制作された。発行元は「野村氏の弟子の一人」という蜷川正大氏が代表の二十一世紀書院(横浜市)。機関誌「燃えよ祖国」の発行や野村氏の著書の出版を通じ、野村氏の思想の普及活動をしている。文集は、集会に参加した約500人に配ったという。


こういうのを参照すると、「自殺はそもそもすべきでないから、ニュースで無視したNHKは正しい」などと言っている方が本当に「善意」なのかどうかを、疑わなければならないだろう。

「善意」のふりをした「政治性」は、他人のことを「政治的」と糾弾しながら、自身には「政治性」などないかのようにふるまう。本人がそう思い込んでいる場合もあるかもしれないが、多くは、「あいつらは政治的だ(が、われわれはそうではない)」と主張したいがためのもの。いわゆる「ネット右翼」が好む「普通の日本人(として日本が大好きなだけなんです)」言説と同様の、「ピュアなハートの私たち」のアピールのための言説である。

都心部の駅前などで声をかけてきては、「あっ、変な宗教とかじゃ、ないんですよぉ」と言いながら追尾してくるカルト教団の信者のことを思い出そう。単に事実として、おまえら十分に、「変な宗教」だ。

なお、新宿の焼身自殺未遂が「NHKで報じられていない」ことについては、私は東京を拠点とする英語圏のジャーナリストやアナリストのような人たちのツイートで知った。それらは下記に「まとめ」てある。東京に住んで、普段ニュースに接している人々が、「これはおかしい」と感じ、「つぶやいて」いるのだ。

日本語圏のメディアでは、何が、どのように「伝えられていない」のか…集団的自衛権、特定秘密保護法
http://matome.naver.jp/odai/2140414329428483601


実際には、NHKがニュースでは無視したことは事実として確認が取れているそうだが、NHKの別の番組でこういう表示があったそうだ。



さらに:


※後者は寄せられている反応(リプライ)にも注目。下記から。
https://twitter.com/CybershotTad/statuses/483354931567398914



関連するツイート:

2010年07月05日(月)
「群発自殺」を防ぐためのガイドライン bit.ly/9TNryt に則った記事作りを心からお願いいたします。 RT @asahi_kokusai: ……あすの朝刊社会面「もっと知りたい」で、ソウル特派員が、その「なぜ」に迫る予定です。
posted at 19:05:23

2012年12月11日(火)
@shibutetu 今のNAVERまとめトップページ(キャプ: kwout.com/t/ugrsaqyw )の下から5番目の項目が…私ではどうしていいのかわからないのですがとにかくお伝えします。NAVERさん宛ツイート済 is.gd/Eja4N1
posted at 17:22:10

@shibutetu はいそうです。「報道」の定義にもよりますが、NAVERまとめトップページに掲載されるのは非常に多数のユーザーが作成した「まとめ」から編集部によってピックアップされたものであるはずで、あの「まとめ」があの位置にあるのは機械的なことではないはずです(事実確認要)
posted at 18:13:54

@shibutetu なるほど。私としてはあのトップページに掲示されているということは十二分に「不意打ち」だと思いますが(「まとめ」を作ったユーザーの意思と関係なく掲示される場でもあり)、今は全然別のことで手一杯なので、「ご報告しました」ということだけで申し訳ありませんが…。
posted at 18:25:54

@shibutetu 誤解があるといけないので念のための追記。私が言っているのは「あのような『まとめ』をネットユーザーの誰かが作成する」ことについてではなく、どの情報をどこに掲示するかを決定する編集部がトップページで、つまり『イチオシ』的にプッシュしていることについてです。
posted at 18:32:00

@shibutetu はい、例えば私の「まとめ」一覧 is.gd/eSpM36 多くはview数が3ケタです。4桁で7000超のは編集部にピックアップされたものです。例: is.gd/ZEWb4w 左肩に「トップ」>「エンタメ」と表示、これがその印
posted at 18:49:10

And:
http://twilog.org/nofrills/date-140629/allasc
http://twilog.org/nofrills/date-140630/allasc

いのちの電話
http://www.find-j.jp/
毎月10日は、フリーダイヤルの日




2014年8月5日追記:
「2014年のお騒がせニュース」としてこの先もずっと記憶に残るであろう「STAP細胞」の件で、キーパーソンのひとりである著名な科学者が、職場で縊死するというとんでもないことがありました。






この「自殺」の報道について、非常に気になることがあった。



私個人としては、笹井さんの自死を食い止めなかったシステムへの憤りが第一である。大きな事件や疑惑・疑獄・スキャンダルの「関係者の自殺」が「個人の問題」に還元され、「悲劇」として扱われ続ける限りは、何度でも繰り返されるだろう。そもそも日本というこの文化圏・言語圏は「自殺は解決策ではない」という理念すら薄い。自殺防止をシステマティックに導入すべきだと思う。

それ以前に、まずは報道が「WHOのガイドライン」を守るべきだ。私が見た記事(毎日新聞)はあまりに詳細すぎる(が、本エントリで参照したNHKによる著名人の自殺の際の詳細さと、さほど違いはないかもしれない)。

ところでNHKだが:





こんな感じ。

※この記事は

2014年07月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 00:27 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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