「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年04月25日

タリバンの「少年兵」が「スパイ」を斬首。

読んでいるだけで血のにおいが漂ってくるような、それも「人間」というものを感じさせる(「非人間性」ではなく)ような話を立て続けに読んでしまった。その1つ。

タリバンが「アメリカのスパイ」の斬首の現場のビデオを公開した、という件についてのニュース記事。といってもあの人たちが斬首のビデオを公開したというだけではもはや特段のニュースにもならないし、私も驚かない。今回驚いて、というか戦慄を覚えているのは、そのビデオで斬首を行なっているのが「ティーンエイジャー」にもなっていなさそうな子供だということだ。

Global outcry at Taliban's use of boy in filmed beheading
Declan Walsh in Kabul
Wednesday April 25, 2007
http://www.guardian.co.uk/afghanistan/story/0,,2064910,00.html

記事から日本語化して:
斬首行為を撮影したビデオの中で、どれだけ多めに見積もっても12歳というところだろうか、その少年は目隠しをされた男性の向こうに立って、長いナイフを見せ付けている。戦闘服を着用し、サイズの大きすぎるスニーカーを履いて頭に白いバンドを巻いたその少年は、声変わりをしていない声でその男性に対する非難の言葉を口にする。「この男はアメリカのスパイである。これがこの男の運命である」

幼い顔をした死刑執行人は、男性の上にかがみ込んで、男性ののどにナイフを滑らせる。血が噴出し、「アッラウ・アクバル」や「神は偉大なり」といった声が沸き起こる。やがて少年は勝ち誇るように、切断された頭部を高く掲げる。

記者はこの後、「タリバンはこれまでに爆弾や暗殺で多くの一般市民を殺してきた。その犠牲者数は数百という単位で数える規模である。しかしタリバンはそういうことをしてきたということを基準にしても、これはあまりにひどい(egregious)」と続けている。

また、記事の末尾では「イラクでもこのような例はない」とし、ヒューマン・ライツ・ウォッチの人の「タリバンは戦時法を守っているとの主張を撤回すべき」とのコメントが紹介されている。

このビデオに対してはユニセフ(国連児童基金)がタリバンを非難する声明を出している。

UNICEF condemns use of a minor in Taliban execution
News item 24 April 2007
http://www.unicef.org.uk/press/news_detail.asp?news_id=940
ユニセフは24日、タリバンの処刑における年少者の使用を犯罪行為として非難した。パキスタンで出回っているあるビデオに、年少の少年が成人を斬首する光景が撮影されている。この行為は、紛争の時にあって凶悪な犯罪行為をはたらくために子供たちが大人によっていかに利用されるかを示す、恐ろしい例である。

ユニセフは、いかなる立場の者、いかなる勢力によるものであれ、紛争において子供を利用することを非難する。特に、15歳未満の子供を使うことは――今回はこれに該当すると思われる――国際法に基づき戦争犯罪である。

(以下、重要ですが割愛)

ユニセフは「15歳未満の子供を紛争で使うことは国際法で違法」と断言しているが、その「国際法」がいかに機能しているか/機能していないか、ということが、2001年9月11日以降のこの世界の最大の問題のひとつだ。米英は国際法を無視して(うその証拠に基づいて曲げて解釈して)イラクを攻撃した。イラクやアフガンに限らず、世界の多くの「紛争」地では、紛争の当事者に「国際法」は届かない。少なくとも、国際司法裁判所をもっと機能させないことには、何も始まらない。

「少年兵」(18歳未満の兵士、というが実際には10歳とか12歳とかで「兵士」になっている子供が多くいる。Googleのイメージ検索のサムネイルを参照。むろん年齢は推測するしかないが)の問題はある程度知られてはいても、その存在が、その「紛争地」から離れたところで安穏と暮らしている私の目の前にさらされることは少ない。で、下手に「そういう問題がある」ということを中途半端に知っているだけに、「そういう問題がある」ということにはショックを受けない。そして、「戦争っていうのはそういうものだから、戦争はしてはならない」というような、諦めと弁解を内に秘めた一般論で自分の中で結論づけてしまう(そういった一般論を共有して満足してしまう場が、私はとても苦手だ)。なぜなら「自分はそれに対して何もできない」ことを自分は知っているからだ。駅のホームで具合が悪そうな様子の人に「駅員さん呼びますか?」と声をかけるように、それに対して直接何かをすることはできないのだ。

そして、さらに悪いことに、映画Shooting Dogs(邦題『ルワンダの涙』)でBBC記者が言っていたように、そこにいる子供はone of themにしか見えない(one of usに見えない)のだ。「かわいそうに」とか「ひどい」と思っても、うちの近所の公園でサッカーボールを蹴っている男の子たちより年齢が下かもしれないと思っても、そこでぐるぐると考えて、そして止まってしまうのだ。近所の公園でサッカーボールを蹴っている男の子たちがカラシニコフを手にしているというのは、仮に想像はできても実感ができない。それを超える何かがなければならないのに。

むろん、タリバンの「少年兵」は今に始まった問題ではないし(ソ連の軍事侵攻のころからずっと続いていることだ)、今になって「メディアが騒ぐ」ことに疑問を抱く向きもあるだろう。しかし、騒がないよりはいい。だた、「騒ぐ」だけで、「これが戦争だ」という諦念/一般論の方向で終わらせないようにしなければならない。

「紛争における子供」に(環境・状況によって)押し付けられる「問題」は、「少年兵」に限らない。ユニセフの声明で最後のほう(上の抜粋では割愛した部分)にあるのだが「紛争においては子供たちは多くを体験する」。そして、子供は――人間は――ただ体験するだけでなく、それをアウトプットして生きている。例えばイラクのバグダードで子供たちは「ゲリラごっこ」に興じている(つかまって斬首されたら負け)。戦争前ならそのへんの壁にゴールポストを書いてサッカーボールを蹴っていたのが、今ではゲリラごっこだそうだ。

今年3月にベルファストで報道写真家協会の写真展が開かれた。その告知などであちこちで使われていた写真も「紛争」を「体験」している「子供たち」をとらえたものだ。

※上のスクリーンショットからギャラリーのサイトにリンクしてます。リンク先で写真は大きめの画像で見ることができます。リンク切れなどの場合はBBC in pictures: "Out of the Darkness" の5枚目で。

この写真のクレジット:
Image: Alan Lewis, December 2002 - Letterbox device. Six-year-old twins were at home when a loyalist pipe bomb exploded.

写真:アラン・ルイス撮影、2002年12月、「郵便箱の仕掛け爆発物」
ロイヤリストが仕掛けたパイプ爆弾が爆発したときに自宅にいた6歳の双子の兄弟


この写真展のことを紹介するBBC in pictures: "Out of the Darkness" の9枚目も同じ写真家の作品で、1997年にIRAが停戦を宣言する直前にIRAに殺された警官の葬儀の写真だ。ユニオンジャックがかけられた棺を担う大人の男たちとそれに従う大人の男の間に一瞬できた隙間に、顔をくしゃくしゃにした子供がとらえられている。おそらく、殺された警官の息子さんだろう。

子供が「死刑執行人」をやらされていたタリバンの「斬首ビデオ」で斬首されていたのは、パキスタン人の民兵だという。この人はタリバンの一員だったが、昨年12月にNATO軍の爆撃で殺された指導者アクタル・オスマニ師を裏切った、としてタリバンが処刑したのだそうだ。

この人のお父さんがAP通信の取材に答えているのをガーディアンが引用している。お父さんは70歳で、息子はアフガニスタンで戦ったタリバンの戦士で、国境から車で2時間ほどの自宅にはタリバンのリーダーをかくまっていた、と語っている。そして、息子の「処刑」のビデオはとても見ることができず、「タリバンはムジャヒディーン(聖戦士)ではない。イスラームの大義のために戦っているわけではない。もしこの手で連中を捕まえたら殺してやる、この歯で肉を噛みちぎってやりたいくらいだ」と述べている。

2002年12月にアラン・ルイスがベルファストで撮影した双子の男の子の家に仕掛けられたパイプ・ボムは、時期的に考えて、ロイヤリストの内紛によるものだろう。この子たちの見た爆弾は、誰かを殺したのだろうか。あるいは負傷させたのだろうか。もしそうだとしたら、この兄弟はその時にどう感じていただろうか。

1997年にアラン・ルイスが撮影した警官の葬儀で顔をくしゃくしゃにしている男の子は、IRAに対してどう感じていただろうか、あるいは感じているだろうか。「政治的動機による犯罪者」たちの釈放を規定し実行した1998年のグッドフライデー合意(ベルファスト合意)については。その後の「和平」の「進展」については。

1972年1月30日の「ブラッディ・サンデー」の現場にいた15歳の少年、ドン・マランは、事件後、IRAに入ろうかとも考えたが、いろいろ考えてそれを思いとどまった。そして1990年代になり、彼はIRAで武装闘争をするよりずっと大きなことを実現させた――ほとんど偶然といってもよいくらいの状況で着手された「あの日の証言の発掘」は、ブレア政権にあの事件の再調査を決断させた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Don_Mullan#Bloody_Sunday
http://en.wikipedia.org/wiki/Saville_Inquiry

それまで英国には、あの事件の「公式な調査結果」といえば、事件直後に英軍によってまとめられた、嘘に満ちたウィジャリー・トリビューナルのものしかなかった――1992年にジョン・メイジャー首相(当時)がジョン・ヒュームにあてた書簡で「殺された人たちが、当時言われていたように爆発物を所持していたといった事実はなかった」と明記していたものの、それは公式な調査結果とは違う。事件から25年以上を過ぎた1998年にようやく、ではあったけれども、それでも「まともな調査」が行なわれたのは、1人の人間があのときに「IRAに入る」という選択をしなかったことが大きく働いている。

むろん、彼には「IRAに入らない」という選択も可能だったからこうなったのであって、現実には選択の余地のない場合/ところというのは、この世界にはものすごくたくさん存在している。そういった「ほかに選択の余地がない」という環境をどうにかしなければならないときに何をどうしたらいいのかというのは非常に厄介な問題だけれども(「政府の負債免除」とか「先進国での啓発活動」とか「人道」とか「どっかの国が国益を優先して行なう国際貢献」とかでは本当には有効ではないわけで)、「軍事目標」に爆弾を落としたり「掃討作戦」を続けたりしてみてもいい方向にはいかない。そういった軍事作戦には必ずインテリジェンスが関わり、実際にmole/toutとなって動く者もいる。そしてそのことが疑念を増大させる。「スパイの処刑」が武装勢力の示威行為かつ人心掌握のキーともなる。

「世界の現実」とは、米軍の作戦がいかに軍事的に成功/失敗しているかといったことではなく、こういうことにあると私は思う。

斬首を行なったタリバンの少年兵は、薬物でも投与されていたのだろう。せめてそう思いたい。それでも彼はその「感触」や「臭い」は忘れないだろう。何と救いのない。

この救いのなさをそのまま受け止めなければならない。「戦争ってのはしちゃいけない」という一般論で片付けずに。

※この記事は

2007年04月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:50 | Comment(2) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>斬首を行なったタリバンの少年兵は、薬物でも投与されていたのだろう。
>せめてそう思いたい。

 薬物ではなく,洗脳されているためです.
 イスラーム過激原理主義者のマドラサ(神学校)では,子供をテロリストに養成する「教育」が行われています.
 しかも,貧困層にとっては教育の唯一の手段が,そうした問題あるマドラサだったりします.
 詳しくは,
http://mltr.free100.tv/faq06e.html#01505
を参照されたし.

 そして,そんなところで「教育」された子供は,
http://mltr.free100.tv/faq10e.html
の一番上の画像のようなセリフを言うまでになるのです.
Posted by 消印所沢 at 2007年04月27日 03:58
>所沢さん
どうもです。力作のURLありがとうございます。(途中で改行されてしまったのはこちらで修正しておきました。)

・・・そうなんですよね。だから「せめてそう思いたい」のです。さらに言えば、彼の手に記憶されたその感触は、彼にとっておぞましいものであってほしいのですが、彼自身の記憶の中でおそらくそうでないものにされていく。せめて薬物を投与された状態でのことならば彼自身(彼の「良心」)にもある種の「言い訳」が可能になるのに……と思う次第です。

私自身、「神」も「仏」も人間が作り出したものだという考え方をしているのですが、一部のマドラサで教えられる「イスラーム」――「異教徒」ならば殺してもよいとか、「異教徒を殺すこと」が「ジバード」だとか、そういうの――こそ、自己正当化のための人間(たち)の創作であって「神の声」ではないと思うし、それをマドラサで教えているということに、単純に腹が立ちます。ムスリムの人たちから聞いている限り、「ジハード」は「日々の努力」とか「善行をせよ」とか「自分に厳しく」とかいったことでしかない。

最近、夜中に昔のNHK特集の「シルクロード」をやっていたのを何回分か見たのですが(子供のころに「世界って広いんだな」とか「昔、日本はこれで地球の反対側とつながってたんだな」と憧れを抱いた番組です)、あれとか見てても、イスラームというのは本来寛容な、異端審問という制度を持っていたカトリックとか、プロテスタントの根本主義(ファンダメンタリズム)と比べてもおそらく、ずっと寛容なおしえであるはずなのに。(厳密には、「寛容」という概念は非常に難しくて私の手には余るのですが。)

ただ、そういう「過激主義」がいきなりそこらへんに出てきても、「世の中広いからああいう人もいるよね」という感じで見られるのが人間の社会だとも思うんですね。それが、結果的にであれ、コミュニティの中で居場所を保持しているのは、社会的な環境(紛争、戦乱、貧困、強制など)が大きく作用しているだろうし(特に「学校といえばそれしかない」とか「モスクでの教育を強制される」というような場合)、もうひとつ、人間の心の、「荒廃」というと言葉が違うような気がするのですが、そういうものがあるのではないかと。

何が彼らの存在を受け入れさせているのか、彼らが「異教徒」とひとくくりにしてしまう乱暴さにはどういう背景があるのかと考えると、やはり「連中は我々に対してひどいことをしている」というのがあって、そういうふうに大雑把に「連中」とくくったものに対する敵意というのは、とてもわかりやすい。大雑把な性格の人の血液型がO型の場合に「やっぱり」と納得してしまうのと同じようにわかりやすい。そのことが恐ろしいのです。それがあまりに人間的であるがゆえに。

イラクではスンニ派がアルカイダを取り締まるための警察を組織している、と、今日、今さらのようにロイターの記事が報じています。(この記事にも書かれていますが、アンバール州ではそういう動きはずっとあった。「レジスタンス」を「テロリズム」にハイジャックさせてはならない、ということで。)
Iraq Sunni tribes build police force, fight al Qaeda
Fri Apr 27, 2007 7:53AM EDT
http://www.reuters.com/article/topNews/idUSBAY54432920070427

アフガニスタンではそういうふうにならなかったのか、あるいは「少年兵」はそういうふうにならなかった一部の地域でのことなのか、そういう「一部の地域」がたくさんあるのか、そこまでは調べる時間がないのでわからないのですが。。。
Posted by nofrills at 2007年04月27日 23:37

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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