「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月25日

「アラン・ジョンストン記者は無事」とパレスチナ副首相が明言。

Alan Johnston banner

アラン・ジョンストン記者の拉致から、今週月曜日で6週間となりましたが、24日(英国時間)、アラン・ジョンストン記者が元気でおられることを、パレスチナ自治政府の副首相が明言したとの報道がありました。

BBC's Johnston 'in good health'
Last Updated: Tuesday, 24 April 2007, 17:35 GMT 18:35 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6589155.stm

記事から、今回の副首相のステートメントについての部分を抜粋。
パレスチナ自治政府のアザム・アル=アフメド副首相が、アラン・ジョンストン記者は元気でいると述べた。

アフメド副首相は、ラマラで駐エルサレム英国総領事のリチャード・メイクピース(Richard Makepeace)氏と会見し、ジョンストン記者解放へ向けて現在進められている策について話し合った。

アフメド副首相のオフィス(副首相府か、首相府か、調べてないので不明)は声明で次のように述べた。

「当方が入手した情報(information)によれば、ジョンストン記者は健康状態に問題なく過ごしている。(パレスチナ自治)政府は、議長府およびすべての治安機関と協力して、ジョンストン記者の解放に向けて取り組んでいる。同記者が安全に自宅・家族の元に戻り、仕事に復帰できるよう全力を尽くす(pursue the extensive efforts)」

この記事の中に、「BBCのマーク・トンプソン会長は英国会の委員会で、ジョンストン記者の居場所や健康状態について確実な情報は得られておらず、家族も社も、これほど長期間何ら確実な情報がないことにますます不安を募らせていると述べた」という一節があるのですが、会長のその発言がいつのものなのかがわかりません。(20日にアッバス議長が「無事を確信」と述べた後なのか前なのかすら、文脈に明示されていないため、判断不能。記事検索でも見つからず。)

ジョンストン記者の解放を呼びかける行動は、パレスチナや英国(ロンドン、グラスゴーなど)のほか、イスラマバード(パキスタンの首都)でも行なわれているそうです。



アラン・ジョンストン記者の解放を呼びかけるBBCのペティションに署名をするには下記ページで:
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/6518185.stm

ペティションの文面と署名の方法についての日本語での説明@このブログの4月12日のエントリ:
http://nofrills.seesaa.net/article/38575455.html



このエントリの冒頭に貼り付けたバナーはBBCがブログで提供しているもの。コードは下記にあります(単にコードを記事入力欄に貼り付けるだけでOKです。単純なHTMLなのでJavaScriptとかが通らないブログでも使えます)。
http://www.bbc.co.uk/blogs/theeditors/2007/04/how_you_can_help.html
※ スタイルシートの設定によってはバナーの外側に枠線が出てしまうので、それがいやな人はソースの<img src="〜" width="〜" height="〜">の中にborder="0" というのを付け加えて、<img src="〜" width="〜" height="〜" border="0">としてください。(文字・数字・スペースなどすべて半角英字を使うこと。)

バナーをクリックすると、ジョンストン記者拉致事件のタイムラインのページに飛びます。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/world/2007/alan_johnston/default.stm

ジョンストン記者の執筆した記事を読むには、BBCの記事検索で "alan johnston" と入れて "news only" にした上で、拉致された2007年3月12日より前の記事を探すのが確実です。検索結果には別の人が書いた記事でジョンストン記者のコメントが含まれるものも入ります。



※この記事は

2007年04月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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