「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2014年06月10日

IRAの武装闘争について「北アイルランド独立闘争」だとするという虚偽がいまだにまかり通っているので、説明するよ。

舞台劇を見に行くという習慣がないので無縁だったが、昨日(8日)まで世田谷で、イングランドの劇作家リチャード・ビーンによる「IRAもの」の戯曲、The Big Fellah (邦題「ビッグ・フェラー」)が上演されていた。翻訳は小田島恒志さん、主演は内野聖陽さんで、キャストは人気の高い舞台俳優さんがそろい、これから日本各地を巡回する。劇評記事もけっこう出ているようだ。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71803370W4A520C1BE0P01/それら劇評のひとつが、日本経済新聞の5月27日付け、「世田谷パブリックシアター『ビッグ・フェラー』 正義の戦争? 衝撃力は十分 」と題された記事だ。この記事の感想は「北アイルランド紛争を題材にした作品は、911がどうのこうのではなく何よりもまず、北アイルランド紛争を題材とした作品として評価してほしい」という以上はここでは書かないが(戯曲そのものについては2010年にロンドンで初演された際のガーディアンの劇評を参照されたい)、わざわざブログの記事を書いているのは、ある記述を見て「日経新聞でまでこれか」と頭を抱えてしまったからだ……「英国人と闘う北アイルランド独立闘争」という記述を。

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO71803370W4A520C1BE0P01/「英国人と闘う北アイルランド独立闘争」!! それだけではない。記事の最後のほうには「正義の独立闘争」とある。

詳細はこのあとたっぷりと書くが、この劇で描かれているIRA、すなわち現代のIRA (modern IRA) は、「北アイルランド独立闘争」を闘ってきたのではない。

物語は、1972年から99年までの出来事の流れに沿って展開する。主人公の「ビッグ・フェラー」(「おやっさん、親父」的な意味)ことコステロは、IRAのNY支部長でごりごりの武闘派だ。ジェリー・アダムズの「アーマライトとバロット・ボックス」戦略の「アーマライト」だけを信じ、「組織の目的は武力によってのみ達成される」と信じているタイプ。そしてその戦いを、彼は「正義の戦争 a just war」と認識している。(「正戦論」には深入りしない。この話をちょっと書くと、「あなたの考えを聞きたい」とかいって読むのに10分もかかるようなメールが送られてきたり議論を挑まれたりすることがあるのだけど、そういうのはやめてください。)

では、この「組織の目的」とは何か。つまり「IRAは何のために武装闘争を行なったのか」。彼らの闘争は「独立闘争」なのか。それは「北アイルランド独立闘争」なのか。

1つ目の疑問の答えはYes, 2つ目はNoである。

彼らの闘争は、「北アイルランドの独立闘争」ではない。「北アイルランドという不正な存在を解消し、アイルランドを統一し、アイルランドの完全な独立を達成するための闘争」である。彼らの目的は、英語では一言で言い表せる。"United Ireland" だ(これが日本語では「統一アイルランド」で、字面がまさに「アルスター統一党」などユニオニストの側の理念をいう語と一致するので、ムダに混乱を招いている)。それは「北アイルランド」ではない。「北も南もない、ひとつのアイルランド」だ。

それが下記のツイートの意味だ。




さて。「北アイルランド独立」は「統一アイルランドの達成」ではない。「そんなの、当たり前じゃないか」と思われるかもしれない。では、あなたはそれを説明できるだろうか。「IRAの北アイルランド独立闘争」と聞いて、変だ、と思うだろうか。

繰り返しになるが、IRA(およびリパブリカン、ナショナリスト←用語の意味がわからない人は、流さずに調べてください。つか、そういう基本的なことはとっくの昔に書いてあるんでそれをご参照ください)の「闘争」は「統一アイルランドの達成のための闘争」である。これは「アイルランド島は全体でひとつのネイション(国)である」という理念に基づく。

現実には、アイルランド島は2つの「ネイション」に分断されている/分かれている。「南部」の26州と、「北部」の6州である。

よく、IRAの活動について「アイルランド独立闘争」という言い方もされるが、少なくとも現代(1969年、「北アイルランド紛争」が始まって以降)のIRAに関して言えば、全然正しくない。というのは、「アイルランド独立」は1969年の時点で既に、とっくの昔に達成されていたからだ。

IRA (the Irish Republican Army) はそもそも……という話は、冗長になるだけなのでここでは飛ばす。というか、その話は既に書いている。結論だけ言えば、20世紀始めの(アイルランドが英国の支配下にあった時代の)IRAと、「北アイルランド紛争」でのIRAとは、別の組織とみなしたほうがよい(完全に別ではないが)。

1969年の時点で達成されていた「アイルランドの独立」は、しかし、完全なものではない。北部6州が英国の一部のままだからだ。

だがこれは、英国が強引に領有権を保持しているわけではない。北部6州が「北アイルランド」として英国の一部のままでいるのは、「民主的」に表示されたその地の住民たちの意思の結果だ。まじめに書こうとするとどれだけ時間があっても足りないのではしょるが、1912年9月、「わたしたちは英国王の臣民として、アイルランド自治に反対し、ダブリン政府の下に置かれることを拒否します」といった内容の「アルスターの誓約」が、47万筆以上の署名を集めたのだ。これが、現在の「北アイルランド」の直接のルーツである。「北アイルランド」は、「いやがる人々を英国がむりやり支配下に置き続けている」のではない。「自身の民主的な選択」で「英国にとどまった」のだ。(もっと詳しく言うと……時間がいくらあっても足りないからやめておく。この「英国面」のダークさを真顔で見続けるのは、けっこうしんどいよ。)

「アイルランド」をロマンチックに語る人々はこれを無視していることが非常に多い。そもそも「アイルランド」と「北アイルランド」を分けて考えるという発想すらない人も多いし、中には「英国支配下にあるなんとかランドで、独立運動がある(あった)」というざっくりとした把握しかしてないので、スコットランドとアイルランドの区別もついていない人すらいるのが現実だ(ひとりやふたりではない)。そういうところに「IRAのプロパガンダ」がまかれると、えらく適当な認識が育ってしまう。「北アイルランド紛争の原因は、800年にわたる英国の支配である」というのは、間違いではないが、プロパガンダである(この話を聞けば、感情をかきたてられるから、「大義」のために募金箱にお金を入れたくなるだろう)。「北アイルランド」を考え、語るときには、より直接的に、「北アイルランドはなぜ『北』をつけた別個のネイションにされてしまったのか」ということを考えねばならない。

英国(連合王国 the United Kingdom)との「連合 Union」の維持を求めた「アルスター誓約」の署名者たちは、「ユニオニスト」と呼ばれる。宗教的にはプロテスタント(というかプロテスタントの中でもとびきり「反カトリック」の傾向が強い人たち)で、「自治はローマの支配 (Home Rule is Rome Rule)」という標語を掲げて「抵抗」運動を組織していた。

1912年のこの「誓約」はあまり真面目に受け取られなかったようで、北部6州のユニオニストたちはその後、その「抵抗」をより強硬なものにしていく。1913年には「アルスター義勇軍 UVF (= the Ulster Volunteer Force)」 という民兵集団が組織され(「北アイルランド紛争」でのUVFはこの組織とは直接のつながりはないが、その後継を自認して結成された)、1914年には武器の密輸(堂々と「密輸」したのだが)が行なわれた。

1913年、UVF結成に応じるように、「アイルランド義勇軍 the Irish Volunteers」が組織された。この組織が「アイルランド共和国軍/共和軍 IRA (= the Irish Republican Army)」となる。。。という話を始めるとめっちゃ長くなるのではしょる。

が、ここで「共和国軍」と「共和軍」の2通りの訳語があることには注意されたい。(伏線ですよ)

翌1914年、北部の「抵抗」もありながら、ロンドンの英国会で「アイルランド自治法案(第三次)」が可決、19世紀末以来の「アイルランド問題」にようやくピリオドが……と思われた矢先に勃発したのが、第一次世界大戦である。

アイルランドの島の中の問題より大陸の戦争のほうが緊急の問題となった。「アルスター」のプロテスタントの人たちは英軍に入隊して大陸に渡り、塹壕で戦った(そしてかの「ソンムの戦い」で非常に多くの犠牲を出した)。後にアイルランド共和国として独立する26州からも英軍に入隊する人々は多くいた(彼らは独立後のアイルランドの国家から、徹底的に無視され、「利敵行為」としてそしられることにすらなる)。

その第一次世界大戦と同時進行していたのが、アイルランドの「独立闘争」だ。ようやくのことで可決・成立した「アイルランド自治法案(第三次)」は、第一次大戦勃発を理由に施行停止となった。その約2年後、1916年に起きたのが「イースター蜂起」(独立派が「アイルランド共和国 the Irish Republic」として独立を宣言した)とそれに対する武力弾圧・首謀者の処刑だ。それを契機に「自治より独立」の気運(君主制の否定=共和主義 Republicanism)が、特に貧困層の間で高まる。やがて1918年の総選挙を経て、第一次大戦が終結してもなおアイルランドの法的地位が戦前のまま変わらないことにたまりかねたナショナリストがアイルランド各地で武装蜂起を起こす。これが1919〜21年の「アイルランド独立戦争(アングロ・アイリッシュ戦争、英愛戦争)」だ。

「アイルランド独立派」の武装組織、すなわちIRA(この頃は「アイルランド共和国軍」。1916年に宣言された「アイルランド共和国 the Irish Republic」の軍隊、という意味)は、英軍や英治安部隊を相手に激しく戦った。この戦争の休戦条約(1921年)の結果、アイルランドは「アイルランド自由国 the Irish Free State」(1922〜37年)となった。これは完全な「独立」ではなく、アイルランドも英国王を国家元首とする「同君連合」の一員だった(カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどと同じ)が、少なくとも、「英国とは別」になった。

……のだが、このとき、アイルランドは「南の26州」と「北の6州」に分断されていた。1912年に「英国の一部のままでいる」ことを「民主的に選択」していた北部6州は、休戦条約前年の1920年の「アイルランド統治法」により、「南」とは別の議会(自治議会 Parliament)を有し、「北アイルランド Northern Ireland」となっていたのである。

「アイルランド自由国」では、この「南北分断」を受け入れるか否かで、独立戦争の闘士たちが対立し、血で血を洗う内戦となった。この過程を、テディとデイミアンのオドノヴァン兄弟の物語として描いたのが、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』である。あの映画に描かれた「悲劇」は、「独立戦争の悲劇」ではなく、「独立戦争の休戦協定で英国から押し付けられた条件をめぐる対立(つまり内戦)という悲劇」だ(「英国から押し付けられた」というのは、作中のデイミアン・オドノヴァンの見解に拠る)。

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……もう充分に長く書いていて、私はけっこうくたくただ。読んでいる方もくたくただろうと思う。

結局、アイルランド内戦(1921〜23年)は、反条約派(『麦の穂』のデイミアンの側)が条約支持派に「鎮圧」されて終わった。「独立戦争」を戦ったIRAは2つに分裂し、一方がもう一方を「鎮圧」した。

鎮圧した側のIRAはその後、「アイルランド国軍」となる。鎮圧された側のIRAは、「地下活動」の組織となる。(なので、このころまでのIRAを「アイルランド共和国軍」と訳し、その後のIRAは「アイルランド共和軍」と訳すのが、用語としての約束事になっている。)

時代はずっとくだって1960年代。米国で「公民権運動」が、欧州で「学生運動」が巻き起こる中、北アイルランドでも「公民権運動」が起きた。「ひとり一票」を求めるこの運動についての詳細は、すでに書いているものを参照されたい。「既存の秩序に挑む」この運動は、「体制」(当時の北アイルランドはユニオニスト独占の自治)にとっては「破壊分子の陰謀」だったかもしれないが、内実は「学生運動、カウンターカルチャー」の色が強く、宗派を問わず参加者がいた(が実際問題として、カトリックのほうがずっと多かった)。

1968年からますます盛り上がったその「公民権運動」が、(英軍ではなく←これ、とても重要)北アイルランドのユニオニストの過激派勢力と、彼らと結託した警察機構によって暴力的弾圧を受けた。これが「北アイルランド紛争」の直接のルーツである。

1969年夏、英軍が北アイルランドに投入されたとき、その役目は「勢力引き離し」だった。カトリックを襲撃するプロテスタントの暴徒と、カトリックの間に入る役目だったのだ。だが、その後どういうことが起きたかというと、長くなるので「そりゃもう英国ですから……」でひとまず流す。こうして、ほとんど休眠状態だった「反英闘争」のIRAという武装組織がカトリックの人々の間で復活し、「公民権運動」の代わりにIRAが事態の前面に出ることになる。

映画『ブラディ・サンデー』のラストシーンにもあるが、1972年1月30日のデリーでの流血(英軍による非武装デモ隊への発砲)のあと、公民権運動のリーダーのひとり、アイヴァン・クーパー議員が「これでIRAは新しく加入したいという志願者に事欠かぬようになるだろう」と怒りをこめて語っているのは、そのことだ。

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こうして、「北アイルランド紛争」は完全に軍事化した。

軍事化したあとの「北アイルランド情勢」については、おそらくほとんどの人が、「IRA」しか知らないと思う。

だが、実際には、北アイルランド紛争の当事者は3者だ。大きく分けて:

1) 北アイルランドのユニオニスト/ロイヤリスト勢力
=主にプロテスタント。政党はUUP, DUPなど。宗教勢力はオレンジ・オーダー、アプレンティス・ボーイズなど、夏になるとパレードする人たち。武装勢力はUDA, UVFなど。また、紛争の間、警察も事実上ユニオニストの勢力だった。

2) アイルランドのナショナリスト/リパブリカン勢力
=主に(「全員」ではない)カトリック。政党はSDLP, Sinn Feinなど(SDLPは完全に非武装主義)。武装勢力はIRA(を名乗る諸組織)、INLAなど。

3) 英軍など英治安当局
=陸軍(特殊部隊を含む)のほか、諜報機関(MI5, MI6)も、首相直属の部隊も。

Loyalists  The Provos: IRA and Sinn Fein Brits: The War Against the IRA

この3者が、「ロイヤリスト対リパブリカン」の対立構造を中心に、がっちゃがちゃに絡み合っていたのが「北アイルランド紛争」である。ただし「三つ巴」ではなく、「ユニオニスト/ロイヤリスト」と「英治安当局」は一体化していることも多かった(しかし、警察や諜報機関は、少なくとも紛争初期は、ユニオニスト過激派を大変に警戒していたことも事実だ)。

こういう中で、IRA(やリパブリカン)は何を求めていたか。

「北アイルランドの独立」ではない。それを求めていたのは、リパブリカンではない。ロイヤリストだ。そのことは連続ツイートした。














ややこしい?

このややこしさが「北アイルランド問題」なのだ。それを認識していなければ、「北アイルランド問題」について一言でも語ることはできない、というくらいに基本的なことだ。北アイルランドは、元から、ややこしいのだ。

そしてそのややこしさを認識することの妨げとなっているのが、「大英帝国の支配」なる「悪」の絶対化だと思うのだ。

ことはそれほど単純ではない。

「アイルランドは英国の支配に抵抗して戦った」というロマンチックな見方は、嘘ではない。けれど、北アイルランドは、そのロマンチックな物語から外されてしまったのだ。

1910年代から20年代初めの「(アイルランドの)独立闘争」には、北アイルランドの居場所はほとんどない。だがそれは、「悪」ゆえではない。「悪意」があったのではない。「自分たちの権利」の主張だ。

そのことが、賛成する・しないにかかわらず、事実として、事象として理解できるかどうか。それが、毎年夏の北アイルランドのあの騒ぎを、「市議会が四六時中英国旗を掲げるのはやめますと決議した」ことへのあのむちゃくちゃな「抵抗」を、「理解できないもの」にしてしまうかどうかを決めると思う。






あと、10年以上前のだけど、Ali Gのこれ、すごいよ。



しかし、まだ「交渉」するというのは、さすがにちょっと理解できる域を超えているというか、「交渉」のステージじゃないんじゃないの(「実践」のステージなんじゃないの)というか……ははは。






追記: 2016年6月、英国での「EUレファレンダム」のあとに追記。






こういうのがあって……



そして……








追記ここまで。ちなみに、故山本美香さんのご著書でも、見返しに付録的に収録された「世界の紛争一覧」のところで、北アイルランド紛争について「IRAが独立を目指している」という説明になっていたものがありました。(付録のような部分なので、山本さんご自身が書いたのかどうかはわかりませんが。)

※この記事は

2014年06月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:01 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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英総選挙、開票中にささやかれていた「10月の選挙」の意味
Excerpt: 今回の英国の総選挙、開票が終わる前から、「次の選挙は10月」という文言が、ジャーナリストのアカウントから飛んできていた(右の画像参照)。 明らかにジョークというか「故事成語」の類だが、その「10月の..
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Tracked: 2017-06-11 20:45

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼