kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年06月05日

25年前の「記録」は語り継がれ、「記録させまい」とする闘いも「記録は信用できないと印象付ける」とする闘いも続いている、リアルタイムで。

「世界に伝えてください、と彼らは私たちに言いました」。その夜、絶え間なく聞こえてくる乾いた発砲音の中、マイクを持って人々の中に立つ英国人女性ジャーナリスト。病院に次々に運び込まれる負傷者たち。銃で撃たれた「民間人」(非戦闘員)たち。




1989年6月4日から四半世紀となる2014年6月、英語圏では、25年前のその日そのとき中国・北京で何が起きていたかを「再現ライヴツイート」するTwitterアカウントがいくつかあった。その日、広場で取材していた報道機関や記者の「現場感」の強い生々しい再現もあったが(例えば@BBCWorldService)、それ以上に話題となっていたのは、現在は米国に拠点のある中国専門家(経済分野)のパトリックさんが、みっちりリサーチして構成していた資料性の高い「ライヴツイート」だ。そのアーカイヴを中心に組み立てたのが、下記「まとめ」である。

天安門事件から25年。あの日のこの時刻、何があったかを「ライヴツイート」するアカウントがある。
http://matome.naver.jp/odai/2140181155604885801


パトリックさんのライヴ・ツイートのログは2〜16ページ。始点は5月27日、天安門広場にすえられた「女神像」(民主主義の象徴)が、北京の芸大で作成されている、という報告から始まり、当時の報道写真と報道記事(URLをクリックして読む)で構成されている(アーカイヴすることを前提とした報道機関のサイトでは、こういうふうにリソースを利用することが、誰にでもできる)。

私が2014年の目で見ると、どうしても、2011年以降のいわゆる「アラブの春」がダブって見えたが(特にバーレーン、マナマの「真珠広場」の撤去と、エジプト、カイロのラバア座り込みへの武力行使)、1989年当時は……いや、包み隠さず言うと、私は当時、自分と同世代の彼らのことに、まるで無関心だった(「彼ら」に無関心だったというより、中国に関心がなかった)。ニュースを見て、ひどく大変なことが起きているとは思ったが、それだけだった。特に友達とそれについてつっこんだ話をしたという記憶もない。普通に、課題の本を読んでレポートを書いて、三鷹オスカーの3本立てのスケジュールをチェックして……という日々だった。さらにその20年前を知る大学の先生は、「なぜあのようなことが起こりうるのか」(国家による暴力)について、「プラハの春」を引き合いにしていたと思うが、大学では「それは例外的なものではない。そもそも国家というものは……」というアカデミックな考察を促される。そして、ある出来事がアカデミックに客観視できるようになるには、資料が出揃い考察がなされるなどの環境が整うために、目安として30年かかる、というのが前提だった。

インターネットがあったなら、ある程度自然に情報が入ってきていたかもしれないが、インターネットなんて言葉ですら存在していなかった(と書くと「一般に供されていなかっただけだ」と怒られるかもしれない……実際、1980年代に使われていた英和辞書でも見てみると「言葉」が存在しなかったことは裏付けられるはず)。ニュースといえば(地域のニュースを除いては)朝日、読売、毎日の大手新聞か、各テレビ局のニュース番組のみ。ときどき週刊誌で「潜入ルポ」や「現地徹底取材」の記事を読む。今もその環境で過ごしている人は少なくないはずだが(接する情報が日本語に限定されている限り、こういったニュースに関しては、媒体が変わっても情報の元はあまり変わっていない。つまり大手通信社や新聞、テレビ局)。



ハリソン・ケリーさんがツイートしているこの英語新聞は、当時はまだ「英国の一部」だった香港(←何を言ってるのか分からない方は調べてください)で発行されている英語の新聞のスキャン。香港ではもちろん、中国語の新聞も発行されていて、そこでも同じように「虐殺」が報じられていた。

大公報89年6月4日 001

大公報89年6月5日 001



2009年6月、イランのテヘランのシンボル的な広場、「アザーディ広場」に、大統領選挙の不正を訴える何千何万という人が集結した。「緑」をシンボルにした非武装・平和的大衆運動を……と、細部を確認しようとウィキペディアを見てみたら、ああ、日本語圏、情報統制でもされてるんですか。



"詳細は「2009年イラン選挙抗議」を参照" とあるけれど、書かれていない記事(赤い文字)なので参照のしようがない。こうして、(ペルシャ語という言語を使える人は別だが)インターネットを使ってさえも、英語でこういう資料を読める者にしか情報が入らないという状況は、日本語圏では本当にリアルで本当に深刻な問題として、続いているわけだ。

閑話休題。

2009年6月13日に結果がアナウンスされたイラン大統領選では、投票における不正への調査を求める声が広がった。当時、(「アーリー・アダプター」から一般に広まり始めていたくらいに)新興のサービスだったTwitterを、イランの人々は回避策を講じた上で積極的に用いて(Twitterは、「米国との敵対」を基本的な背景として、イランでは認められていない存在だった。2013年の大統領選挙で保守派が負けたあと、流れはどんどん変わってきているが)、現場からリアルタイムで、リンガフランカたる英語(英語で書けば必ず誰かが読んで広めることが期待できる)で伝え、また英語に翻訳していた。それらの情報を介し、「ネット」はイランの「学生たち」を見守っていた。6月14日にはテヘラン大学の寮にバシジ(治安当局の民兵集団)が踏み込んだが、その寮からも「学生さん」(と私が呼んでいた人)がTwitterで英語で生々しい状況を報告していた。

そのとき、「世界」は最悪の事態をおそれていたのだ。それを未然に防止するため、「常に見ていなければならない」、「密室化させてはならない」という思いで、Twitterのハッシュタグ、#IranElection をチェックしていたのだ。

2011年1月25日、「警察の日」という祝日に、エジプトのカイロで行なわれた「タハリール広場への行進」は夜になって「座り込み」になった。広場周囲の建物の屋上に固定されたカメラがとらえた映像(ほとんど真っ暗だが)と音声(人々の唱和するスローガン)は、Ustreamや類似のストリーミング・サービスで、ネットで生中継されていた。それが、エジプト国内だけでなく世界中で見続けられていた。

そのとき、「世界」は最悪の事態をおそれていたのだ。行進を行なった彼らもそうだったのだろう。だから「終夜生中継」を組織したのだ。

「誰も見ていない状態、密室化された状態では、天安門の二の舞になる」というおそれ。

結局2009年のイランは「バイクに乗ったバシジ(民兵)がデモ隊に襲い掛かり、取り囲んで殴打する」ということは常態化してしまったが、「広場に戦車(的なもの)を出して運動を蹴散らし、踏み潰す」ということにはならなかった(それ以前に、街路に人を集まらせないようにしたのだ)。

2011年のエジプトでは、デモがカイロの外でも組織化されていた1月28日、スエズ(という都市)で装甲車がデモ隊の中に突っ込んで何人も跳ね飛ばすようなことが起きた。

2011年1月28日のカイロ。CNNのベン・ウィーデマン記者の中継(と「欧米」のソースを示すと、「映像が加工されている」と言い張る人々が湧いて出るんだけど、そういう人は「加工されている」という証拠を示そうね)。タハリール広場近くの大きな通りに出てきた戦車は、動く気配を見せることなく、群集に取り囲まれていく。



同じ日のスエズ。これは私のTwitterのログから:
http://twilog.org/nofrills/date-110128/asc

スエズが燃えている(YouTube動画) RT @3arabawy: Suez on fire السويس تحترق bit.ly/grE6un #Jan25 #police #intifada #clashes
posted at 03:48:33

慎重なFPブレイクさんもスエズは「戦闘地域」と。実際すごいことになってる。記事読めなくても写真だけでもRT @blakehounshell: New photos coming out from Suez. It's a war zone bit.ly/fA62qC
posted at 05:27:04

RT @kmiura: スエズに飛び込んだIan Lee記者の記事が配信された。氏が屋上から撮影したビデオは今夜遅くに配信 htn.to/oDcMKD
posted at 06:17:20

RT @kmiura: bit.ly/fllKoK 昨日スエズの情報をまとめていたZeinobiaさん(カイロ在住)のスエズに関する今日のまとめ。食料、医薬品が逼迫、とある。#suez
posted at 06:42:59

Twitterで書いてるIan Leeさんと現地ジャーナリストの共同執筆記事。木曜日のスエズ。実弾使用で数十人負傷(火曜日以降累積で190人と病院)、4人死亡と記事。//h/t @kmiura / Violent clashes in … htn.to/drkWc4
posted at 08:00:56

木曜日のスエズの写真多数とForeign PolicyのBlake Hounshellさん記事。あのブレイクさんが「戦闘地域」という派手な言葉で説明するツイートをしていた。 / Egypt's new Suez Crisis | FP … htn.to/RRsGyN
posted at 08:09:46

木曜日(蜂起3日目)のスエズ。写真7点。別にブクマしたFPの記事掲載分と重なっているものもある。 / Egyptian protests in Suez – in pictures | World news | guardian.co… htn.to/Kgr5FM
posted at 08:13:49

エジプト、大規模な抗議行動が行なわれている都市。カイロ、アレクサンドリア、スエズ、ギザ、シャルキア、ミンヤ、北シナイ。画面キャプチャ。 english.aljazeera.net/watch_now/ twitpic.com/3u5nfm
posted at 22:13:55


スエズ、警察署占拠の報 RT @alaa: revolutionaries have occupied the police station in suez and liberated the detainees arrested in past two days #Jan25
posted at 22:24:47

english.aljazeera.net/watch_now/ スエズのジャマル記者から生電話中
posted at 23:36:11

RT @kaoruo: bit.ly/dIllPF スエズの映像きた。警察のバンが燃えている。
posted at 23:39:13


日本時間で29日早朝(現地ではまだ28日)の私のツイート:




結局、エジプトでは2011年は戦車がデモ隊を踏み潰す「天安門」は起こらず(ただし銃撃は行なわれ、数百人単位で人命が奪われ、もっと多くの人々の視力が奪われた)、戦車には花が飾られ子供たちが群がった状態だったが、2年半後、2013年8月の2013年8月、ラバア座り込みで大虐殺が行なわれた。人が踏み潰され、燃やされた

エジプトではその前から(2012年から)、「人が殺されること」に対する無関心が蔓延していた。あるいは殺されるのは「人」ではなくなっていたと言うべきか。「ムスリム同胞団(MB)メンバー」は「テロリスト」であり、「独裁者モルシ」の手先であり、したがって、殺されて当然、という意味の暴言が「リベラル」の「広場の革命家」によって「つぶやき」として流れてくるようになっていた。例えばラバア弾圧直前のこれなど、極めておとなしいものだが、その種の主張をしていた「革命家」のことばである。

いや、それは「つぶやき」などというかわいいものではなく、醜悪な自己弁明であった。ムバラク政権を倒して議会選挙に出たが議席を取れなかった「タハリール広場の革命家」は、「革命」にあとからやってきて、自分たちが取るはずだった議席を取っていったMBを、民主的な手段で批判するのではなく、軍隊に恃んでやっつけてもらうことにしたのだ。

その頃、シリアはとっくにものすごい流血と殺戮の場と化していた。シリアについて、「これをみすみす天安門にさせてはならない」ということを誰かが言っていたかどうか、私には記憶がない。シリアの蜂起が始まった2011年3月半ばは、日本は「それどころではない」状態だった(東日本大震災)。

2011年、シリアの前にえらいことになっていたリビア(2月半ば〜)では、「天安門」を引き合いに出すまでもない感じだった。彼らが蜂起した相手があのカダフィだ、ということだけで十分というムード(刑務所に閉じ込めた人々を1日に1000人殺すのがカダフィ流という資料は回覧された)(←アブ・サリム刑務所のこと。検索すれば出てきますよ)。

リビアは、蜂起当初は「外国の介入はいらない No military intervention」というものすごく大きな垂れ幕を制圧した役所の壁に垂らしていたベンガジの革命集団が、あれよあれよという間に「国際社会よ、飛行禁止空域 (no fly zone: NFZ) を設定してくれ」と哀れな声を上げるようになっていた。実際、リビアから流れてくる殺戮の映像は、「すさまじい」としか言えないものだった。戦車やコンクリートの建物をぶっ壊すために使うような強力な兵器を、人に向けて使っていたのだから。

ベンガジの現場で戦っていた人たちとは別の人たち(後に、「カナダの支援者」たちの存在が判明した)が、「だって介入するなって言ってたじゃん」と言われて「ていうか、相手カダフィだぜ」と開き直り、挙句、「デマ」を撒き散らすという醜悪な光景が見られた「カダフィ側はサブサハラのアフリカ人民兵を雇い、一人殺すごとにいくらという成果報酬を与えている」とか、「カダフィ側はバイアグラを支給してレイプして回っている」とか。規模は不明ながら性暴力が「戦争の道具」として使われたことには疑いの余地はないが(→2014年2月にリビア政府が賠償することになった)、バイアグラの証拠は人権団体が調査したにも関わらず出てこなかった。2011年3月、カメラの前に出てきてレイプ被害を語った勇気ある女性は5月にはチュニジアに脱出、2011年中に米国に政治庇護申請して認められている(政治亡命)。彼女と同じような被害にあった人たちにも、それぞれの場所で保護と平安が与えられていることを心から願う。

……ということを、北京の時刻で日付が6月3日から4日に変わったあとに、私は連続でツイートしていた。その締めくくりが下記だ。




この連続ツイートをしている最中に流れてきたのが、エジプトの「大統領選挙」の結果だった。






投票率は低いが、どんぶり勘定で有権者の45%くらいがシーシー支持ということだ。エジプトではこの選挙は「革命」の流れにあり、その「革命」とは、なぜか、「ムスリム同胞団」に対するもの、ということになってしまっている。

「ムスリム同胞団」を選挙で選んだのは、お前ら「革命後のエジプトの有権者」だったのではないかという呆れ顔の指摘は、「同胞団は絶対に悪いもの」というイデオロギーのよろいがないと死んでしまうと考えるようになった人々には届かず、「そうですよねー」と諦め顔で反応するような人々からは、もう新たにできること・すべきことも表明されない。

アルジャジーラはエジプト国内での活動を禁止され(アメリカがイラクで似たようなことをしたときには、日本からもあんなに非難の声が上がったのに、エジプトについては静かでしたよね)、仕事をしていたジャーナリストたちが逮捕・投獄され、むちゃくちゃな「裁判」にかけられている。1人は獄中ハンストで大変に危機的な状態にあると伝えられている。1981年の北アイルランドのリパブリカンのハンスト(ボビー・サンズら)のやり方とは異なるので、100日以上のハンストを生き抜いてはいるが(1981年のリパブリカンのハンガーストライカーは、60日くらいでこときれた)、このままでは……。1981年は「10人も見殺しにする冷血人間マーガレット・サッチャー」への批判が、英国社会の半分くらいからは起きたはずだが、今のエジプトでは「人が死ぬこと」など、「なんでもない」。この現実。

暴力的に押しつぶされ、踏み潰されて焼き払われた2013年8月のラバア座り込みの現場での一枚。




同じフォトグラファー、同じ被写体の別の写真。




何人も「天安門を思わせる」思わず「つぶやいて」しまうこの写真の撮影者、モハンメド・アブデル・モネイムさんはAFPのブログで何があったかを報告している。女の人は、人が怪我をして倒れているのに気付いて、キャンプの排除をするブルドーザーの前に立ちふさがって制止。軍人が出てきてこの女の人と話をして、負傷した男性は病院に搬送されたようだという。ただし、この男性がその後どうなったのかはわからない。モネイムさん自身、2014年1月に交通事故で死んでしまった

25年前の6月5日(広場からの強制排除の翌日)。







2014年、この「天安門事件の日」に、広場には柵が張り巡らされていたという報告。見るべき「物」もなければ、見る立場の「者」もいない。(それでも柵は記録される。)




国営メディアは「かわいいもの」作戦に出たという。




シリアからは「美しいもの」作戦(信じられないかもしれないが、「ロンドン生まれで金融業会のキャリアウーマンだった開明的なシリアのファーストレディ」は、今なお、「支持されて」いるのだ)。




私の見ていた画面での初報。米Foreign Policy誌のデイヴィッド・ケナーさん。ほぼ同時にレバノンのメディアが速報を打っていた。






このニュースがブレイクする瞬間に居合わせることができたのはラッキーだった(予定していなかった)ので、TwitterのTLの記録を取っておこうと思ったのだが、長時間にわたる作業のあとでブラウザはハングアップしていたし、再起動をかけるなどの気力は私には残されていなかった。2011年3月から4月にかけて、英米のメディアに出ていた「改革を求めるシリア人の若者たち」のインタビュー記事のことなどをぼんやりと思い出しながら、文字列の流れを「目撃する」のがせいぜいだった。RTはいくつかしたが、記録することは、できなかった。





(もうひとつ、天安門事件と同じタイミングで行なわれたポーランドの自由選挙の歴史的写真も流れてきていた。これも、非常に皮肉なことだ。同時に米オバマ大統領はポーランドから開始された欧州ツアーの真っ最中だ。)

シリアの話は、きっと、ページを改めて別稿でやるべきだろう。どうせ書くのなら。






1989年6月、中国政府は、事態を隠蔽できると考えていた。隠蔽させまいとする闘いに、「普通の人たち」が参加した。




この闘いは、「隠蔽させまい」とする側が勝った。だから私たちはこのことを知っているし、語り継いでいる。2014年6月4日のBBC Newsのトップページは……キャプチャをしておかなかったことを少し後悔しているが……「天安も事件から25年」をほぼ1日ずっとトップにしていて、サイドバーにもいくつもの記事を並べていた。

2014年、情報は流れ、事態は隠蔽できないことに早くから気付いていたシリア政府は、「流れている情報は信用できないものだ」という印象付けをする闘いに勝利した。2011年以降(特に12年になってから)、シリア政府は「事態は隠蔽できない」ことを前提にして工作活動を展開したのだ。その尖兵の一例が「シリアのエレクトロニック・アーミー (SEA)」であるが、「流れている情報は信用できない」という印象操作は、プロパガンディストだけでなく「善意」の(だが恐ろしいほど「無知」で、知識を入れようとすることをしない、「反米」なら何でもいいというような)市民も、それが「善」だと信じ、疑うことなく率先して行なった。まさにカルト宗教(「ポア」することは「善」だと、彼らは信じていたのだ)。










25年前と比べて、世界は複雑になっている。情報の流れはめっちゃくちゃ早くなっている(25年前、ニュースは「1日に1回」だったし、ニュースにもならないような、例えば「バンドの解散」のような情報を知るのは1ヵ月以上後、音楽雑誌の後ろのほうの「雑多なニュース」の欄だった)。10年前には一般化していたブログで、まったくの個人でも「記録」から数分〜数時間のうちに「公開」することが普通になった。Twitterの時代、「記録すること」と「広く伝えること」(パブリッシュすること)の間に時間差は1秒もない。そして、25年前と比べて、世界は「住みやすく」なっているか? 人々は前より「物事を知ろうとし、物事を考える」ようになっているか? つまり、「革新」(という古臭い用語を使うよ)の側のスローガンを借りて言えば、"have we make this world better?"

本当に「物」を見ている人ならば、よほどのテクノ・ユートピア論者でもなければYesと即答しはしないだろう。

マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1
ノーム・チョムスキー エドワード・S・ハーマン 中野 真紀子

マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 2 秘密と嘘と民主主義 メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書) メディアとプロパガンダ 自由論 (岩波文庫)

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チョムスキーの論考は、前提が急速に古くなっている。いまや「マスメディア」だけが問題なのではない。「マスメディア」などなくても、「マスメディア」がしてきたことは可能なのだし、現に行なわれている。今のチョムスキーがそこまで論じているかどうか、私は把握していないのだが。

See also:

2012年12月30日 「私はアホーで阿呆な帝国主義者です」と書かれた板切れを首からぶら下げて歩きましょう。
http://nofrills.seesaa.net/article/310722095.html

2013年02月28日 今月の「メディア論」系の話と、言いがかりと誹謗中傷の記録。
http://nofrills.seesaa.net/article/334973490.html

2014年02月21日 "どうせあなたは「西洋メディア」、「英語圏大手メディア」以外はゴミだと思っているのでしょう" 的なことを言われたのでメモ。
http://nofrills.seesaa.net/article/389307491.html



※いつもどおり、剽窃された場合に備えて、文意に影響しないところで、誤変換や文法上のありえないほどばかな間違いを混入させてあります。

※この記事は

2014年06月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼