kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月24日

ルーシー・ブラックマン事件の判決

BBCを見てたら第一報が出た。まだ情報がほとんどわかっていない段階の速報記事のキャッシュ(ウェブ魚拓):
http://megalodon.jp/?url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/6241831.stm&date=20070424104828

これによると、被告は一連の強姦(合計10件か?)で無期懲役の判決を受けたが、ルーシー・ブラックマン殺害については無罪(aquitted)。被告が有罪となった「一連の強姦」にルーシーさんに対するものが含まれるかどうかは現時点では不明。

BBCのソースは共同通信というように記事にあるのだけれど、共同通信のニュースサイトにもまだ記事なし。

このエントリを書き始めた時点でYahoo Japanのニュースにはまだ出ていなかったのだけれど、gooには出ている。読売新聞の記事。
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20070424it02-yol.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070424it02.htm?from=top

これもまだ第一報の段階のものですね。引用:
栃木力裁判長は、織原被告に求刑通り無期懲役を言い渡したが、ルーシーさんの事件については無罪を言い渡した。

 織原被告は1992年2月〜2000年7月の間に、女性10人を神奈川県逗子市のマンションに連れ込み、クロロホルムなどの催眠導入剤を入れた酒を飲ませて意識を失わせた上で乱暴し、薬物の作用などによりルーシーさんら2人を死亡させたとして起訴されていた。


ルーシー・ブラックマン殺害事件は、被害者の出身国である英国のメディアでさかんに取り上げられていた事件です。2002年のワールドカップの数ヶ月(months, not years)前というタイミングで発生したことも、さかんに取り上げられた一因だったかもしれません。(「これから日本に行く予定の人たち」へ向けた特集ページなどで「あのような事件もあったが、基本的には日本の大都市の夜は安全だ。逆に、あなたたちが普段どおりに行動すると地元の人たちに『フーリガンだ!』と思われ通報されかねないので、ある程度は自重してほしい」というような解説を複数見た記憶がある。)

この事件が今も英国のメディア(主にタブロイド、特にこういうのが大好きなデイリー・メイル)でしきりに取り上げられているのは、被害者のルーシーさんのご家族内のもめごとがあるため。お父さんが被告の友人からお金を受け取ったという件で、お母さん(ずっと前に離婚している)が「娘の命をお金で」と非難していたり。

http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article1694049.ece


※この記事は

2007年04月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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