「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

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2007年04月22日

イスラエルの「壁」で警察によって暴徒として鎮圧され負傷した北アイルランド人

さっきバグダードの「壁」のことを書いたが、それと同じような存在であるパレスチナの「壁」をめぐってこんな記事が21日のBBCに出ていた。

Peace laureate hit by baton round
Last Updated: Saturday, 21 April 2007, 16:02 GMT 17:02 UK
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/northern_ireland/6579763.stm

北アイルランド紛争で平和的解決を呼びかけた団体the Community of Peace Peopleの設立者で、1976年にノーベル平和賞を受けたMairead Corrigan(たぶん「マレード・コリガン」と読む)が、パレスチナの「壁」のところでプラスチック弾/ゴム弾(Baton round)で負傷した。

彼女が負傷したのは金曜日のこと。Bilin(ビリーン)村でイスラエルとガザ地区との間のセキュリティ・バリア(壁)に対する抗議行動が行なわれ(詳細は下のほうに記事リンク)、治安部隊が抗議者たちと対峙した際、彼女は片足をプラスチック弾で負傷し、また相当量の催涙ガスを吸い込んだ。

コリガンさんは病院で手当てを受けたあとで、次のようにコメントした。

「この分離壁は、イスラエル人は攻撃を防ぐためだといっていますが、それとは逆に、実際には攻撃や暴力を防いではいません。攻撃や暴力を防ぐには双方の間の和平合意です。イスラエル人もパレスチナ人ど同様に、和平を欲しているはずです」

・・・というのがBBC記事の主要な内容で、残念ながら、ベルファストのpeace linesへの言及などはない。

UTV記事ではコリガンさんのコメントがBBCよりも長く紹介されている。
http://www.utvlive.com/newsroom/indepth.asp?id=81674&pt=n
Speaking to local media, Corrigan said: "I salute the residents of Bilin for their peaceful struggle in a region that is so violent and I call on the Israeli public, whom I know (stand) for justice and peace, to support the residents' struggle.

"I want to say that this separation wall, contrary to what the Israelis say, will not prevent attacks and violence. What will prevent attacks and violence is a peace agreement between the two peoples, and I am sure the Israeli people, like the Palestinian people, want peace."

この日のビリーン村での出来事については:
http://www.ipc.gov.ps/ipc_new/english/details.asp?name=18960
http://www.palsolidarity.org/main/2007/04/21/mairead-injured/
http://english.pnn.ps/index.php?option=com_content&task=view&id=2236
負傷者は24人だそうです。コリガンさんの足の負傷がどのようなものなのかは写真を見てもわかりませんが(黒いズボン着用で血が出たのかどうかもわからない)、左右の人に肩を借りて立っておられ、深刻な怪我ではないということだけはわかります。


en.wikipediaのMairead Corriganの項によると、1944年、ベルファストのカトリックの家庭に生まれたコリガンさんは1970年代に平和活動を始めた。

彼女の活動のきっかけとなったのは、非常に陰惨な事件だ。1976年8月、ダニー・レノン(19歳)というIRAのメンバーが警察の襲撃に失敗、逃げようとして車を爆走させた。その車に彼女の姉の子供たち3人が轢き殺された。ダニー・レノンは警察によって射殺された。(事件についてはibiblio記事を参照した。)子供たちを失った姉は、1980年に自殺した

コリガンさんは1976年、この事件を目撃したベティ・ウィリアムズという女性(彼女は父親と夫がプロテスタントだが自身はカトリックである)とともに、Women for Peaceという団体を立ち上げる。これが後にthe Community for Peace Peopleとなった団体だ。

活動を開始して1ヶ月もたたないうちに、コリガンさんとウィリアムズさんの呼びかけは3万人を集めるようになった。集まった人たちはリパブリカン(カトリック系武装勢力)とロイヤリスト(プロテスタント系武装勢力)との間の和平を呼びかけ、シャンキル地区を行進した。ノーベル平和賞はおそらくこのときの活動に対するものだろう。

リパブリカン/カトリック側は彼女たちの活動に反発したそうだ。「リパブリカンの暴力のことばかりことさらに言い立てて、ロイヤリストや英国治安組織の暴力は無視している」として。当時の書き物などが見つかれば確認できるのだが、今のところ見つからないので(探してないので)これがどこまで本当なのかは私はわからない。

Tim Pat Cooganの "The IRA" (NI関連書籍のリストの1番目)の401ページによると、平和呼びかけのデモではカトリックのシスターとプロテスタントの女性たちが隣り合って歩くなどシンボリックな行動が取られ、メディアでは大きく取り上げられたようだ。一方で主に(というかほとんどすべて)IRAの暴力を非難するという彼女たちの活動はNIO(つまり英国政府)によってうまいこと利用され、その後は大掛かりな活動は続かなかったようだ。

ノーベル賞受賞後もコリガンさんは教育などの分野で活動を続けている。最近はpro-life系の活動もしているようだ(中絶反対、死刑反対、安楽死反対)。2004年「イスラエルの核の秘密」を暴露して投獄されたモルデハイ・バヌヌさんの釈放のときにイスラエルを訪問してバヌヌさんと会うなどしてもいる。

※この記事は

2007年04月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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