「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2014年05月05日

1981年5月、画家は「死」を見つめていた。ボビー・サンズの顔の中に。

先日、BBC Newsでこんな記事を見た。

Sketching history: Is the cartoonist's pen mightier than the sword?
By Peter Crutchley
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-26715839
During the Troubles in Northern Ireland political cartoons played a key role in depicting the violence.

But what was it like for the cartoonists whose job it was to satirise the atrocities?

「北アイルランド紛争の間、暴力を描くことにおいて、政治風刺漫画は主要な役割を果たした。しかし、惨劇を風刺するということを仕事とする風刺画家にとって、実際のところ、どうだったのだろうか」

風刺することがすなわち、「ネタ」にすること、「笑い」の対象とすることとして疎んじられ、敬遠され、不謹慎とそしられるという残念すぎる傾向が目に付くことが増えてきた日本語圏にいると私の精神は息が詰まって死にそうになるが、そもそも優れた風刺というのは誰もバカにしたり嘲笑したり愚弄したりせず(日本語圏はここがわかってない。笑いの対象にされること、イコール、「馬鹿にされること」という前提がある)、「事態」を笑うものだ。笑いに転化することで、悲惨な事態は「人間化 humanise」され、乗り越えることのできるものになりうる。それは「愚弄」、「嘲笑」とは異なり、人を救う。Life's a piece of shit when you look at it. Life's a laugh and death's a joke, it's true.

あのひどい殺し合いと恐怖統治(テロリズム)の地であった北アイルランドは、実はとんでもないコメディランドで……和平プロセスが崩壊するかもしれんという瀬戸際でだらだらと交渉し、ようやく合意がまとまったときの記者会見で、ファーストミニスターがどかんどかんと笑いを取りに来たようなコメディランドだ……、政治家をパロったFolks on the Hillというラジオ&テレビ番組は人気を博した。そのコメディランドで風刺できない人物がいたら、それは本当にうわなにをするやめろで、例えばあらのっくのおとだわこんなじかんにだれかしら。

ともあれ、そんな北アイルランドで「紛争」の時代にアートは何をしていたかという大規模な回顧展がアルスター博物館で開催されていて、本エントリの冒頭にあげたBBC記事は、その展覧会を契機として「風刺漫画」という観点から「当時のこと」を振り返った美術番組の紹介記事だ。下記にクリップが5本上がっている(が日本からでは見られないのかもしれない)。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b041dn39/clips

記事では北アイルランドの風刺画家の作品と言葉が紹介されている。




これは、故ローレル・フリアーズ (Rowel Friers) の自伝にある言葉だ。フリアーズは1920年、東ベルファストに生まれ、職業画家として活動しながら北アイルランド、アイルランド、英国のメディアに風刺画を描き続け、1998年に亡くなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rowel_Friers

その自伝 "Drawn from Life" は、Amazonだとえらい高いが、Abebooksなど古書店では普通の値段で売られているので、興味がおありの方は検索してみてほしい。(私はこのBBC記事を読んで即座に「この本は読みたい」と検索し、送料込みで1500円くらいで入手した。)

「政治的傾向はなかった」と回想するフリアーズだが、「バックグラウンド」はあった。東ベルファストのプロテスタントである。毎年7月12日には代々家に伝わるサッシュを身に着けてパレードに行くようなバックグラウンドだ。

自伝は、最後の数ページが「紛争」の時代の描写だが、そのほかはすべて、紛争とは無縁の「ベルファストという都市の日常」の光景だ。まださほど読み込んでいないのでそれについて書くことはできないのだが。

で、この本の最後の数ページの「紛争」についての章で大きな割合を占めているのが、1981年5月のことだ。

BBCの記事にも引用されているが、ボビー・サンズの死である。

市中心部のEuropa Hotel(「欧州で最もボムられたホテル」)には、世界中の報道陣が詰め掛けて、ハゲタカのごとく死を待っていた。そして迎えた5月5日、サンズの訃報がもたらされた。

サンズの亡骸がロングケッシュ/メイズ刑務所からベルファストの自宅に戻り、人々が最後の別れを告げる日、画家フリアーズもそこに向かった。カメラでの撮影ができない報道機関からの依頼を逡巡した挙句に受け、「棺の中のサンズを描く」という仕事のために赴いたのだった。画家は一度見たものはあとから再現できる。これは技術的には難しい仕事ではなかった。



ハンガーストライカーのポスターや黒旗など表徴が並ぶ街路を進み、車を降りて弔問客の長い列に加わったフリアーズは、当時毎日のように新聞に載っていたボビー・サンズの若々しいハンサムな笑顔を思い浮かべ、この悪夢はいつ終わるのかと考えていた。

そしてサンズの家の戸口にたどり着き、案内人に「さあ、どうぞ。お早くお願いしますよ、まだ大勢みえますので」といわれて棺が安置されている部屋に入った。アイルランドの三色旗と、IRAの黒手袋にベレーが置かれた棺の中、枕の上の頭を見て画家は動けなくなってしまう。恐怖と深い悲しみに画家は貫かれる。

ここにいるのは「人間」だ。人が人である前に、カトリックかプロテスタントかであった紛争期の北アイルランドでも、やはりそこにいたのは「人間」だった。

「これは、年老いた男の顔だ。いや、それどころではない。これは、死の顔、そのものだ。私の見知っているボビー・サンズとは似ても似つかない。私がこの目で見た死の姿は、一生忘れられないだろう」とフリアーズは自伝に書いている。

報道陣が拠点とするホテルに戻った画家は、室内の様子と、顔のアップと、ロザリオを握る手を描く。そして20分後には、画家の描いたボビー・サンズの姿は、アメリカのテレビ画面で伝えられていた。以上、Rowel Friersの自伝、Drawn from Lifeの212〜213ページより。

今日、5月5日はサンズの命日だ。

現地4日午後8時ごろ、警察から釈放されたジェリー・アダムズが西ベルファストで開いた記者会見で受け付けた質問の最後のものについて、マルティナ・アンダーソンがこう報告している。



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AscotElite

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※この記事は

2014年05月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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