「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年05月05日

ジェリー・アダムズの釈放、そして「ダークサイド」

4月30日、日時など手配された事情聴取のためにアントリム警察署に出向いたら、なぜか逮捕されたジェリー・アダムズが、現地5月4日19時ごろ(日本時間5日午前3時ごろ)に釈放された。なお、逮捕の法的根拠は対テロ法。トピックは1972年12月のジーン・マコンヴィルさん拉致・殺害・遺体遺棄事件である。

30日に逮捕され、一度拘置期限が延長され、対テロ法で認められている48時間×2度で都合4日間を警察署内で過ごしたことになる。多くの場合、これは起訴を前提にがっつり調べている、ということを意味する。いわば起訴コースだ。だが実際にはそうはならず、身柄は釈放された。起訴するかどうかは検察に任され、「先送り」の形だ(後述)。

アダムズ釈放時のBBC Newsトップページ。ページ一番上のティッカーのところに、「ロイヤリストがアントリム警察署に押しかけて道をふさいでいるので、アダムズを乗せた車は裏口から出た」件が速報されている。(警察は正面にニセ車両を回してロイヤリストのデモ隊と遊んであげてたようだ。写真をもっと見たい人はこちらで。)



「ファイルが検察 (PPS: the Public Prosecution Service in Northern Ireland) に送られる」(書類送検)ということだが、起訴されるかどうかは検察の判断になる。ただし話を聞いている限り、起訴されるとは考えづらい(警察の側が出せる証拠が「匿名」か「死者の声」で法廷での証言を望めない以上、どうやっても、公判が維持できるようなものにはなりそうにない)。これは逮捕直後にエド・モロニーやピーター・テイラーが述べていた(4月30日のBBC Newsnight)のと変わっていないと思う。




なお、現在PPSのトップ(検察長官)をつとめているのは、かつてジェリー・アダムズの弁護士だったBarra McGrory QCであるため、判断は副長官の指揮下で行なわれる。






以前、ロイヤリスト側について同様の利益相反があったときに(スーパーグラス裁判)、同様に検察内部の当事者が判断に関わらないように別の人が担当したことがあった。そういうことを把握していないロイヤリストの「脊髄反射」しかできないような連中何日も前から、「司法がIRAに支配されている」という(いつもの)陰謀論を掲げるなどしてきぃきぃと騒いでいるのが、延々とじわじわとRTされるなどしていて非常に雰囲気がよろしくないのだが、あの連中はほっとくしかないというか、メインストリームは無視している(それでいいと思う)。

警察を出る車の中から、アダムズはTwitterに復帰した。(そこか……)




引用されているのはアイルランドの詩人・作家でIRAのメンバーであったブレンダン・ビーハン (1923 - 1964) の言葉。なぜビーハンなのかはベテランのジャーナリストにもよくわからないらしいが、きっと深い意味はなく、さくっとツイートに収まる長さでみんなが知ってそうなものだから、とかいう感じなのではないかと思う。

アダムズは警察署を出てからほどなく、長く拠点としてきたベルファスト西部、アンダーソンズタウンにあるバルモラル・ホテルで記者会見を行なった。横に長いテーブルには、マーティン・マクギネス北アイルランド自治政府副首相、メアリ・ルー・マクドナルド副党首、キャロル・ニ・キュリン北アイルランド自治政府文化大臣、ジェリー・ケリー、マルティナ・アンダーソンといった政治家たちが並んだ。




会見後の北アイルランドのメディアのトップページ:





会見の映像は既にSinn Feinの機関紙An PhoblachtのYouTubeチャンネルにアップされている。
https://twitter.com/An_Phoblacht/statuses/463123926990991360

この会見を私はBBC Radio 5 Liveでリアルタイムで聞いていた。アダムズは日本時間4時20分に会見を始め、15分ほど話をして質疑応答に入った。(質疑応答に入ったところで、BBC Radio 5 Liveの中継は打ち切られてしまったが、ジャーナリストたちの実況ツイートによるとかなり濃い質疑が行なわれていたようだ。)

その15分の間に、今回アントリム警察署でどういう事情聴取があったかが語られた。PSNIは事前に10本のテープをボストン・カレッジから入手していたが、回答者が存命中はそれが誰のインタビューなのかは明かせないので(インタビューのそもそもの条件が「本人が死ぬまでは公開しない」だった。この点に法的拘束力が認められていたかどうか、確定情報がなかったのだが、これで確定)、「回答者Aはこう言ってる」、「回答者Bがこう述べた」とアダムズにせまったらしい。これではまともに話をすることはできないわけで、アダムズは会見で「匿名ソースで何をいうか」とめっちゃ怒ってみせていた。警察にとって「PR惨事」だ。

一方で、今回のアダムズ逮捕劇で急浮上してきた「アダムズにとっての過去」という点では……これは稿を改めますよ。

んで、今回、ボストン・カレッジのオーラル・ヒストリー・プロジェクト(歴史研究)をあんな変な形で警察が利用し、それによりアダムズが逮捕されたことについて、シン・フェインは「警察の中の一部勢力が」的な言い方で、「紛争」の時代に非常に汚いことをしていた治安当局のゾンビみたいな生き残りがあれこれ画策している、という陰謀論を披瀝していたのだけれども(そしてその「陰謀論」は根も葉もあるものなのだけれど。警察の側でうごめいているのがノーマン・バクスターだからね)、マーティン・マクギネスがそれを語る言葉がなぜか「ダークサイド」だった。






…………………… (・_・)

「おまえがいうな」(・Д・)

いや、マーティン・マクギネスは本当に真顔だったのだけど……マクギネスにその話をした人が「ダークサイド」という表現を使ったとかで。




でも、アダムズがシャバに出てきたのが、5月4日の、"May the 4th (force) be with you" の日でしょ。







Slugger O'Tooleのミックさんがこうなってしまうんだから、ダークサイドは恐ろしい。







BBC Radio 5 Liveでも……




いや、ほんと「誰がダークサイドやねん」って話で。下記書籍の113ページ。



0571251692Voices from the Grave: Two Men's War in Ireland
Ed Moloney
Faber & Faber Non-Fiction 2010-10-09

by G-Tools


ともあれ、本日の釈放から会見までのログは下記。
http://chirpstory.com/li/204147

逮捕時のはここ。
http://matome.naver.jp/odai/2139890896270909001

記録をね、しておかなければね。

以上、中途半端だけどアップしておく。さすがにこれは「下書きフォルダに塩漬け」ってわけにはいかないので。

※この記事は

2014年05月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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