「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年04月15日

エドワード・スノーデンによるNSAの活動に関するリークの報道を行ったガーディアンUSとワシントン・ポストに、ピュリッツアー賞。

日本時間今朝方、2014年のピュリッツァー賞が発表された。ピュリッツァー賞は、根本的に、米国内の報道に関する賞であり、米国の国内ニュースについて与えられる部門が多い。

「速報報道」部門は、ちょうど1年前のボストン・マラソン爆弾事件(2013年4月15日)でのボストン・グローブ紙が受賞した。
http://www.pulitzer.org/citation/2014-Breaking-News-Reporting

「調査報道」部門は、炭鉱労働者の職業上の疾病について認定を妨げていた法律家や医師についての調査報道で、ワシントンDCのThe Center for Public IntegrityのChris Hamby記者が受賞した。
http://www.pulitzer.org/citation/2014-Investigative-Reporting

写真では、「速報報道写真」部門で、ケニアの首都ナイロビのショッピングモール襲撃事件の現場に居合わせた(たまたま、自分の結婚式の写真が仕上がったので現場のそばの店に取りに行っていた)NYTのタイラー・ヒックス。
http://www.pulitzer.org/citation/2014-Breaking-News-Photography
※ちなみに、この部門の最終候補にはあのゴラン・トマシェヴィッチ(ロイター)がいる。シリア内戦でのエントリだ。ボストン・グローブの写真家も最終候補になっている。

「フィーチャー写真」部門では、ボストン・マラソン爆弾事件で下肢を失った被害者たちを追ったNYTのJosh Hanerの連作。
http://www.pulitzer.org/citation/2014-Feature-Photography

いずれも、リンク先にあるworksのタブで、受賞対象となった記事や写真が閲覧できるようになっている(ボストン・グローブは有料購読していないと読めない記事があるメディアだが、ここでは対象の記事すべてがPDF化されている)。特に写真は、「ああ、あの写真か」とわかるものがあると思う。

で、ピュリッツァー賞のメインといえる「公共サービス(パブリック・サービス)」部門だが、これは今年はガーディアンUSとワシントン・ポストが共同受賞した。この2紙といえばむろん――というより、2013年の報道といえばもちろん――米国の諜報機関、NSAによるグローバル規模の盗聴活動について、元NSA業務請負社員(彼のことを「元CIA職員」というのは極めて不適切です)であるエドワード・スノーデンがリークした情報に基づいた報道で、受賞対象もそれである。
http://www.pulitzer.org/citation/2014-Public-Service

こちらも、両紙それぞれの報道記事が閲覧できるようになっている。
http://www.pulitzer.org/works/2014-Public-Service

ガーディアンのトップページには、香港で「私がリーク主」と名乗り出たときのエドワード・スノーデンの写真。


ガーディアンは英国の新聞で、米支局はずーっと昔から持っていたが、「ガーディアンUS」という形で現地法人を作って別に編集部を設けたのはごく最近のことだ。2007年に「ガーディアン・アメリカ」としてウェブ版で実験的に「米国進出」をしたが、編集部から主力が抜けたらポシャってしまうという有様で、2年しか持たなかった。その後、悪名高いネオコンの論者(他国政府から金を受け取って物を書くような)になぜか定位置を与えるなど迷走した時期を経て、現在の「ガーディアンUS」が立ち上げられたのは、ウィキリークスによる米外交公電暴露(2010年)の翌年、2011年9月だ。編集長は元々ガーディアンのジャーナリストであったジャニーヌ・ギブソン。「英国メディアの対米進出は可能かどうか」みたいな話題が一部でまだ盛り上がっている中でのことだった。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Guardian#Guardian_America

というか、スノーデンのリーク報道のとき、米政府の誰かがダメージコントロールを意図して「外国の新聞が書いてるからって」とか言ってて、「外国」っつっても、ロシアとかフランスとかではなく英国なんですが、とかいう失笑を買うだけになっていたのが、今もほほえましく思い出される。

というわけで、ごくわずかな期間の間に完全に「定位置」を得た感じのするガーディアンさんだが、ピュリッツァー賞受賞時の編集部の様子という写真に見られるワシントン・ポストとの対象が非常に興味深い。ガーディアンUS編集部はとにかく年齢層が低い。「背広にネクタイ」がいない。など。







あとでもう少し足します。→足した。

ガーディアンのほう。エドワード・スノーデンが最初に匿名で話を持ちかけたドキュメンタリー作家で調査報道を行っているローラ・ポイトラスと、ガーディアンで最初にスノーデンについての報道をまとめる仕事をしたユーアン・マカスキル記者。




この報道で現場で第一線に立った形の、市民的自由の分野が専門のグレン・グリーンウォルドは、現在既にガーディアンを離れており、もう1人、安保・軍事という観点から書く仕事をしてきたスペンサー・アッカーマンは、現在グアンタナモを取材中。

アラン・ラスブリジャー編集長は「公共サービス部門で受賞したということは、エドワード・スノーデンが行ったことは公共サービスだということだ」と編集部一同へのスピーチで語っている。




まさにこの点で、アメリカでは沸騰しまくっている人たちがいる。それを「保守派」だの何だののレッテルで語れないのがオバマ政権下でのゆがみきった米国の俺様主義の実態だが、特に目立つ発言をしているのはピーター・キング(かつてIRAを支持していたくせに、そのことについて反省もせず自己弁護と自己正当化を行ったうえで、今は「対テロ」系「族議員」のまとめ役みたいなことをしている)のような人々だ。




キングは、グレン・グリーンウォルド(ブラジル在住)とローラ・ポイトラス(欧州拠点)が米国に戻ってきたときも沸騰していた。












みんなの生温かい笑いがひでぇっすな(笑)

なお、この日の米東海岸は異様に気温が高かったようで、女性はノースリーヴ、男性はワイシャツ1枚が目立ちます。翌日は一転、雪。



華氏の75度は摂氏の23.9度、華氏の22度は摂氏のマイナス5.4度だそうです。o_O
via http://homepage1.nifty.com/t-morimori/cal/etc1.htm



※この記事は

2014年04月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 16:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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