駅に貼られたポスターなどでも街に氾濫していた「それは懐古か、反逆か」というキャッチコピーが、申し訳ないけれど #epicfail の状態と言わざるを得ない感じだったのは、その言葉が貼りつけられた「展覧会の目玉作品」が、「懐古か、反逆か」の時代のものでは全然なかったことが最大の原因であろう。

「懐古か、反逆か」は1848年の「ラファエル前派兄弟団」(PRB) 結成時から数年の間のものだ。一方、ポスターで使われたダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの「プロセルピナ」は1874年の作品。PRB結成時は20歳だったロセッティが、その後曲がりなりにも芸術家として活動して46歳になったころの作品だ。「反逆」は、この人の場合は死ぬまで続いたと思うのだけれども、「懐古」(すなわち、マニエリスム前、すなわち「ラファエル前」のカクカクした平面的な人体描写やら、当たり前に用いられている遠近法を使わない空間描写やらを使うこと)の時代は、「プロセルピナ」のころにはとっくに過ぎ去っていた。
PRB結成時の理念箇条書きは、会場内で上映されていた解説の映像にはあったが(しかも一部抄訳で)、パネルになってたかどうか……(人が多かったので見落としたパネルもあったかもしれない)。「懐古か、反逆か」というキャッチコピーを使うのなら、最も重視すべきポイントのひとつだと思うので改めて見ておこう。
The brotherhood's early doctrines were expressed in four declarations:
1. to have genuine ideas to express
2. to study nature attentively, so as to know how to express them
3. to sympathise with what is direct and serious and heartfelt in previous art, to the exclusion of what is conventional and self-parodying and learned by rote
4. most indispensable of all, to produce thoroughly good pictures and statues
http://en.wikipedia.org/wiki/Pre-Raphaelite_Brotherhood
つまり、(※以下は「内容をがっさり」であって、「翻訳」ではありません→)「ただ描くのではなく、心から表現したいと思うアイディアを持たねばならない」、「自然をいやというほど観察せねばならない」、「因襲的な芸術を排し、前近代的な芸術の直接性や真摯さに共感せねばならない」、「すぐれた絵画・彫刻を作りださねばならない」。(※レポートを書くために検索でいらした学生さんは、コピペしないで自分で訳して下さい)
この4か条の第3項が「反逆」だ。何しろ、当時の「画壇」の標準的な絵画を、conventional and self-parodyingと言っているのだ。20歳そこそこの若僧が。
では、当時の標準とはどのようなものだったのか。今回の展覧会でそれが示されていなかったことはすでに述べたが、今の時代、展覧会場の外でも、いくらでも作品を見ることはできる(ただし、現物を見ることは、やはり会場でないとできない。絵の具の厚みとか、筆遣いとかはネットでは無理だ)。
PRBの画家たちは、英国(イングランド)の美術教育のスタンダードであるロンドンのロイヤル・アカデミー(王立美術院: RA)の学生だった。
RAのトーンを決定づけたのがこのレノルズ調の作風だった。無難で、ドラマチック。色数は少なめで、全体に茶色がかっている。歴代のRA会長はここにリストされているが、3代目会長のジェイムズ・ワイアットは建築家なので別として、歴代会長の作品を見ると、「世界史の教科書や図録に載っていそうな絵」、「クッキーの缶に印刷されていそうな絵」がずらり、という印象だ。
では、PRBの3人衆がRAにいたころ、1847〜48年当時の会長は……と見ると、これは完全に「忘れられた画家」化しているようで、ウィキペディア(百科事典)には項目はあるが、同時代の「反逆児」たちとは全然扱いが違い、ウィキメディア・コモンズ(図鑑)に作品ページがない。著作権の切れた絵画をオンラインでまとめて見せてくれるWeb Gallery of Artでも2点しか作品がアップされていない。さすがにロイヤル・アカデミーのサイトにはページがあるが、作品数は5点(+彼の作品を元にした版画など3点)と少ないし、テイト・ギャラリーのサイトでも4点(うち1点は「伝」、もう1点は素描)。
いずれも、「世界史の教科書」云々という印象で、特に興味を引かれるような絵画ではない。こういう絵なら、この画家の作品でなくてもたくさん見たことがあるな、というか……。
PRBの画家たちは、こういうのに「反逆」したのだ。
と、ウィキペディアの人物伝の項目を見たら、びっくりした。この忘れ去られた画家はアイルランド人だ。しかも、カトリックである。
He was born in Dublin, of an old Catholic Irish family
19世紀の前半(「じゃがいも飢饉」の前の時代)、アイルランドのカトリックは今からはとても想像がつかないほど社会的な地位が低かった。カトリックの中の名門であったとしても、連合王国では法的に宗教差別があった時代だ(カトリック解放令が1829年)。その中で、アイリッシュ・カトリックがRAの会長だったとは。
ウィキペディアにはこんなことが書いてある――1769年、マーティン・アーチャー・シーは、ダブリンで古くから続くカトリックのアイリッシュの家に生まれた。父親は商人で、画家などという職業はシー家の者にはふさわしくないと考えていたが、本人はダブリンのロイヤル・ソサイアティで美術を学んでロンドンに渡った。そのロンドンで1788年、エドマンド・バークによってジョシュア・レノルズに紹介された。ちなみにバークはアングロ・アイリッシュ(宗教的にはアングリカンのアイルランド人)だが、政治家としてロンドンに拠点があった。
レノルズの勧めでロイヤル・アカデミーの美術学校に進んだシーは、1789年に「老人の頭部」と「紳士の肖像」の2点の絵画を出展(一定の成績をおさめた、ということ)。その後10年間で実績を積んで、1798年にRAのアソシエイトに選任された後、1800年にRA会員に推挙された。このころ、キャヴェンディッシュ・スクエアのジョージ・ロムニー(非常に魅力的な肖像画を多数残した画家。1802年没)の旧宅に引っ越して、肖像画家として身を立てた。詩作・劇作も行い、バイロン卿から誉められ、コヴェントガーデンで上演許可を得る(が、いろいろあって上演はされなかったらしい)など高い評価を得ており、小説も執筆している。当時の一流の文化人だ。
そして1830年、サー・トーマス・ローレンスの死去に伴い、シーはRAの会長に選出され、少し後に叙勲(ナイトフッド)。1845年に病気でブライトン(南部の海岸)に引退するまでロンドンで画家として活動し続け、J. M. W. ターナー(あのターナー)をアカデミー副会長とし……知らないことばかりだ。
1850年、ブライトンで没したシーは、同地の聖ニコラス教会の墓地に埋葬された(この教会はアングリカン)。
……というわけで、画家としてはもう誰も覚えていないような、美術史の教科書にもおそらく(ロイヤル・アカデミーの会長であったということ以外は)出てこないであろうような存在になってしまっているが、非常に興味深い時代に興味深い人生を送った人のようだ。
そんな「アイルランド人」が会長を務めていたRAで、「イタリアからの亡命者の息子」が友達とつるんでかなり無茶をした。それが彼らの「懐古か、反逆か」の時代である。
「反逆」前:
John Everett Millais, Pizarro Seizing the Inca of Peru, 1846

「反逆」後:
John Everett Millais, Lorenzo and Isabella, 1849

「反逆」後、そこからたくさんのものを吸収して次にいった感じ:
John Everett Millais, The Order of Release, 1853

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※この記事は
2014年04月08日
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1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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