「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年03月29日

「耐え難いほど正義に反する」と裁判長は。

3月27日のビッグニュース。めったに聞けないという共同通信の「大ニュース」の鐘の音が報道機関に響き渡ったという。「世界で最も長く監獄で身柄を拘束されている死刑囚」としてギネスブックに登録されている日本人が、ついに、再審請求が認められ、釈放された。

「袴田事件再審開始決定・袴田さん釈放」を、英語圏はどう伝えているか。 #Hakamada
http://matome.naver.jp/odai/2139590856651608901


「英語圏の……」と銘打ってあるが、流れはわかるようNHKなど日本語の報道の記事もクリップしてある。

静岡地裁の裁判長が、「これ以上、勾留を続けることは耐え難いほど正義に反する」という、非常に強い言葉、すごい言葉を使っている。(一方、抗告すると息巻いている検察側は、"静岡地方検察庁の西谷隆次席検事は「予想外の決定であり…」" だそうだ。本当に「予想外」だったのなら、現実認識能力という点でいろいろとチェックしてもらったほうがいい。)

裁判長の強い言葉は印象に残った人が多かったようで、上記NAVERまとめのアクセス解析(これがついているのはNAVERまとめはとてもよい)を見ると、かなり多く検索されている。



「袴田事件」は、英語圏ではアムネスティ・インターナショナル(AI)が積極的な取り組みをみせてきた。AIは死刑そのものに反対しているが、それ以前に、日本の死刑制度は執行前の段階で、あまりに残忍で非人道的である点が非常に深刻に問題視されている。つまり「死刑囚は外界との接触を断たれる」、「独房に入れられる」、「いつ死刑が執行されるかが事前に知らされない」、「吊るされる本人も当日の朝までそれを知らない」。死刑判決が確定したら、1人拘禁された状態で、今日吊るされるか、明日か……という不安が常に、片時も、そばを離れない。「不必要な苦痛」である。それを問題視しているのはAIだけではない。

英語圏の記事のどれを見ても、その点についての記述が、多かれ少なかれ含まれている。英語記事は概して、「よかったねぇ、釈放されたんだ」調ではない。「48年も非人道的な苦痛にさらされてきた」調だ。

中でも最も明確で読みやすかったのが、エコノミストのブログである。

以下、ツイートしたものをコピペする。(NAVERまとめにも入っている)

Death row in Japan: Long time to wait | The Economist http://econ.st/1gxmB0s #Hakamada 「日本では死刑囚は外界との接触を奪われる。法務省に言わせれば『彼らの心の平安を乱さぬように』だそうだ」
https://twitter.com/nofrills/status/449809209194848257

承前。「本件は不快な問いをいくつか提起する。袴田さんを投獄するために使われた警察の権力(弁護士なしで最高3週間、容疑者を拘束し尋問できるというものなど)は現在もそのままだ」。エコノミスト、とてもよいブログ記事だ。(数字が厳密でない箇所があるのでコメント欄で指摘済)
https://twitter.com/nofrills/status/449810358144729088

承前。「確かに袴田さんは自白調書に署名した。しかし後に、殴打され強要されたと主張し、この自白を取り下げた。日本の弁護士たちは、刑法犯について法廷はあまりに自白に頼りすぎていると言う。日本の有罪率は99%ほど。死刑制度が存続しているので、冤罪は取り返しがつかないことになりうる」
https://twitter.com/nofrills/status/449810986011066368

また、ガーディアンのジャスティン・マカリー記者の記事も、読んでよかったと思った。(ただし、コメント欄にいの一番で投稿しているのが変な人で、しかも反響がよい。「731部隊」なんか、一切関係がないというのに……)

袴田事件再審開始決定・袴田さん釈放、英語記事1つだけ読むならこれです>Japanese man freed after 45 yrs on death row as court orders retrial gu.com/p/3nqk5/tw via @guardian
http://twitter.com/nofrills/status/449209497509048321

ガーディアンのトップページではこうなっていた。



BBCでもトップページで扱っていたが、それはNAVERまとめのほうでご確認いただきたい。
http://matome.naver.jp/odai/2139590856651608901

なお、袴田巌さんはボクサーだったが、ボクシングのWBCも袴田さんをサポートする活動をしていて、袴田さんに「名誉王者」のベルトを授与することを決定し、4月6日に東京で授与式を行うそうだ。詳細は下記に書いてある。
http://matome.naver.jp/odai/2139590856651608901?&page=4

(意外なところで、ウクライナの「広場」の政治家の1人、元ボクシング・ヘビー級王者のクリチコ氏の名前を見ることになったが、クリチコ氏といえば、今日、大統領選に出ないということを表明するというサプライズがあった。キエフ市長選に出るらしい。)

「名誉王者」のベルトをご本人に受け取っていただくためにも、検察側の抗告はどうか、断念していただきたい。

https://www.facebook.com/amnesty.japan?hc_location=timeline
より、転記。

【袴田事件:情報訂正とアクション継続のお願い】
★引き続き、アクションにご参加ください!

先ほど、このFacebookとツイッターで、静岡地検が再審決定に対し即時抗告をしたとお伝えしましたが、この情報は誤りでした。深くお詫びいたします。

今日、袴田さんは釈放されましたが、再審開始決定そのものに対する検察からの即時抗告の可能性は、依然残っています。そこで、静岡地検に対するアクションの継続を、改めてお願いします。

-------------------------------------------------

■要請先:静岡地方検察庁
https://www.kensatsu.go.jp/kensatsumail/feedback.php?id=013

■アクション期間:3/31まで※検察が抗告をした場合は終了

■要請文例(参考)

静岡地方検察庁 検事正
長野哲生様

拝啓 静岡地裁の再審開始の決定をうけとめて、即時抗告をしないように要請します。

袴田事件に関する新証拠に照らし、また、1968年の逮捕当初の取調べから自白を強要されたとの袴田さんの主張を考慮すれば、この事件はもう 一度審理をおこなうべきです。袴田さんは78才と高齢であり、47年以上の長期間の拘禁で健康状態も懸念されます。

袴田事件は、速やかに再審を開始すべきです。
十分な検討を、よろしくお願いいたします。

敬具

※転記は以上。
kensatu.go.jpのURLはメールフォーム。
件名と本文、名前を入力して送信します(メールアドレスなどは任意)。
本文は1000字以内で、適宜改行しながら入力したほうがいいみたいです。
(昔の電子メールのように。)
本文は、上記の文例を参考にして、自分で書いてください。
必ず、読まれます。

※この記事は

2014年03月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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