「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2007年04月18日

「殺人」か「テロ」か。(メモ)

北アイルランド関連のニュースを継続的に読んできて、「犯罪」(殺人など)と「テロリズム」の境界線はどこにあるのだろう、と思ったことは1度ではない。例えばプロテスタント系武装組織(「テロ組織」に指定されている組織)のリーダーだった男(内紛で失脚した)が自宅玄関で訪問者によって射殺されたとき、ガーディアンのウェブサイトでのそのニュースのカテゴリーはterrorismではなくcrimeだった。下手人がその武装組織内部とつながっていて、背後関係もそこらへんだけだったからだ。もしカトリック系武装組織が背後にいれば、あれは「テロリズム」のカテに入っていただろう。

また、北アイルランドでは、警察は「犯罪捜査と犯罪防止」に特化し、「カウンター・テロリズム」はすべて警察ではなくMI5の担当とする、という方針が決まっている(もう具体的に動き出しているのかもしれないが、細かくは追っていない)。その「犯罪」と「テロ」という境界線はどこにあるのだろう。例えば、デニス・ドナルドソン射殺は「犯罪」なのか、「テロ」なのか?

その「言葉」があることによって、それが「自明のこと(説明するまでもないこと)」だと思い込んでいるということは、案外多いんじゃないかと思う。



長崎市長銃撃事件は、偶然にも、米国のヴァージニア州立大学での銃乱射とほとんど同じタイミングで起きた(日付は、世界各地それぞれだろうが)。それゆえなのかどうか、私がちょっと拾い読みした何本かの英語の記事(AP通信のとかメジャーなもの)では、「日本における銃犯罪」という切り口になっていた。「死亡」が発表されたあとにアップデートされたBBCのAsia-Pacificのカテゴリでは、完全に「ギャングの犯罪」の扱いだ。
mayorshotdead-bbc.jpg

「日本では銃の所持は法律で厳しく規制されている」ということは知れ渡っている。ただしそれは「日本では銃の所持はゼロ」ということを意味しない、ということはそれほどは知れ渡っていない。そりゃアメリカに比べれば銃の所持は全然少ないのだが――一般の商店とか一般の家庭に「護身用」の銃がある、なんてことは日本ではありえない――「法律で厳しく規制されている」という「言葉」を何となく、あるいは雑に受け取った人は、それを勝手に「ゼロ」あるいは「ゼロに近い」という意味に解釈してしまう。

ちょうど「○○の証拠は見つからない」といった「言葉」を、「○○は存在しない」と解釈するのと同じように。(先日、1974年のダブリン・モナハン爆弾での「アイルランド共和国警察と北アイルランドのプロテスタント系武装勢力の癒着」について「証拠は見つからない」との正式な結論が出されたばかりだ。実際には事件発生直後にその「証拠」とやらは廃棄処分になっているはず、という内容の注釈つきだったが。)



長崎市長を銃撃した実行犯は、動機について「犯罪であってテロではない」という内容の供述をしているそうだが(個人的に市制に恨みがあった)、ほんとのところではどうなのだろう。今の供述内容が「ほんとのところ」だということで決まりなのだろうか。

こういう、「ほんとのところ」が何なのかわからない、という漠然とした不安をばらまくエクストリームな暴力は、過剰なくらいに心配しておいていいんじゃないかと思う。



I got my propaganda, I got revisionism
I got my violence in high def ultra-realism

-- Nine Inch Nails, Survivalism
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市長は背後から撃たれていた。背後を守るという意識はなかったということだ。それは別に特別なことではないのだろう。ただ、そのことから、北アイルランド関係のニュース映像などで、ジェリー・アダムズの前後左右ががっちり固められている(大統領とか首相ほどではないが)のは、やはり「特殊」なことなのだろう、と改めて思う。

……体内からは銃弾2発が見つかった。右の背中から右の心室を貫き、心臓が裂けていた。1発は胸骨で止まり、もう1発も近くから見つかった。
 伊藤市長が病院に運ばれたのは17日午後8時10分ごろ。既に心肺停止状態で、人工心肺装置をつけるなど救命措置を取った。手術は午後8時49分から約4時間にわたり、その後、集中治療室に入ったが、出血は止まっていない。 

最終更新:4月18日2時31分 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070418-00000014-jij-soci




17日夜、仕事しながらネットでニュースサイト見てたら「長崎市長が銃撃された」というニュースが出た。あわててつけたテレビの画面の写真をflickrにアップロードした。私のcontactには日本にいる英語話者がけっこういて、どこで誰が撃たれたのかといったことだけでもはっきり英語で書いてあれば少しでも役立つだろうと思ったからだ。
Nagasaki city mayor shot

アップロードしたらすぐに、ときどき互いにコメントをつけあう仲の西洋人@日本在住(英語話者)からコメントがついた。「今、David E. KaplanのYakuzaという本を読んでいるのだけど、極右とミリタント・ウルトラ・ナショナリストとヤクザの歴史はつながってて、どれがどれと区別がつかないと書かれている」のだそうだ。

amazon.co.jpで見てみたら、この本は「中身の閲覧」ができるようになっている。第一章のさわりだけだが。

0520215621Yakuza: Japan's Criminal Underworld
David E. Kaplan Alec Dubro
Univ of California Pr 2003-01

by G-Tools


ともあれ、「ミリタント・ウルトラ・ナショナリスト」なんて海外のニュースでしか接したことのない語だから、よくよく考えればそれが日本に存在することは知らないわけではないのだけれど、それでもやはり一瞬、非常に戸惑った。「それ」をそういう「言葉」で表すことは、私の日常の中にはないからだ。

※この記事は

2007年04月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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