「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年03月10日

あのとき、餓えて死ぬまで放置されていなければ、今ごろ60歳の誕生日を祝っていたに違いない。

ジェリー・アダムズのiPodに入っていることでもおなじみ(?)の、アイルランドの歌手、クリスティー・ムーアが、ボビー・サンズ・トラストに、短いが心をゆさぶるような一文を寄せている。


Today marks the 60th birthday of Bobby Sands. His name we'll always remember, his sacrifice we'll never forget. Today, I think of his parents and his siblings, his son Gerard and his grandchildren. I remember too his comrades, all of whom held Bobby in such high esteem. His smiling face is known the world over and his fight for freedom remains an inspiration wherever people rise up to face injustice. His poetry and songs still resound. Let us remember...


米アカデミー賞を含め、今年の映画賞を総ナメしている状態の12 Years A Slaveの監督、スティーヴ・マクイーンが初めて製作した「長編劇映画」が、ボビー・サンズのハンガーストライキを含む「闘争」を描いたHungerだった。この映画については過去に何度も書いているが最新のは:

2014年01月29日 その映画には、なぜほとんど台詞がないのか、作者はなぜ「言葉」(ロゴス)をそぎ落としたか、考えたことがありますか。
http://nofrills.seesaa.net/article/386456587.html


で、日本では映画祭で上映されたっきりのこの作品、今、オンラインで見ることができる。

配給会社のオンライン・シアター(「青山シアター」という名称らしい)で、3月18日まで、1,050円でHungerが見られる。(私はDVDを輸入盤で持っているので注意を払っていなかったが、少し前からオンライン上映していたとの由。気づかなくてすみません)
http://aoyama-theater.jp/feature/hunger



(しまらない邦題つけた上に「それ夜」と略すとか、やめてほしいわ、ほんと)

「青山シアター」では今、Hungerが1位になってるらしい。



いいね。どんどん見てほしい。そしてどんどん「わからん」と思ってほしい。「わからん」の向こうに、「痛み」だけは確実に見えると思う。それで、見終わった後に何度でも「わからん」という部分を調べてほしい。英語じゃないと情報量が厳しいけれど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bobby_sands

少し、ウィキペディア触るかね……。
→と思ったんだけど、北アイルランド紛争関連では前に作成されたページが編集によって削除されたりしてるので、やっても無駄になる可能性があるわけで、ううむ。




※この記事は

2014年03月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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