「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2014年03月05日

重厚長大な長編ドキュメンタリーとアラビア語作品…アカデミー賞の注目は長編劇映画関連(とフォトボム)だけではなかった。

3月3日、米アカデミー賞の授賞式が行われた。今年は個人的にちょっと関心高めだった。むろん、多くの部門にノミネートされていたスティーヴ・マックイーンの12 Years A Slave(さっき邦題調べたばかりなのにもうわかんなくなってる。「それでも夜明けが来る」だっけ? 自己啓発本や「心の風邪」とか言ってる系の本のオビみたいなの)ももちろん気になっているのだが、関心の対象は長編ドキュメンタリー部門である。

テレビがない環境なので授賞式の中継は見ていないが、Twitterの画面でそれなりに注意を払ってリアルタイムで見ていたところ、とにかく一番の話題はこれ(笑)。いろいろ派生作品も存在しているので、「まとめ」ておいた。

2014年、米アカデミー賞、最優秀フォトボム賞は……ベネディクト・カンバーバッチ!
http://matome.naver.jp/odai/2139387203192915001


見どころは、いかにBBCが真顔であるか、である。その点から見れば、ベネディクト・カンバーバッチはお笑いのハードルを上げるためにハリウッドに送り込まれた英国からの刺客であることに疑いの余地などカケラもない。

また、上記には入れていないが、派生作品で1977年のリヴァプールでのラモーンズのライヴで最前列にいるカンバーバッチとか、アイルランドのナショナル・ギャラリーのこれとか、あっという間に飽きられる感の満載っぷりもあわせて、なかなかのものだ。




さて、本題。長編ドキュメンタリー部門である。

アカデミー賞(2014年3月授賞式)にノミネートされていた「骨太ドキュメンタリー」と「アラブの映画」
http://matome.naver.jp/odai/2139388780396553801


発表時、今年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門はノミネート作全部受賞してほしいくらいだと思った。

アメリカのドローン戦争を調査取材した過程を1本のドキュメンタリーにまとめたDirty Wars(→IMDB)は、ずーっと前からTwitterでフォローしているジャーナリスト、ジェレミー・スケイヒル(スカヒル)の仕事で、映画のアカウントもTwitterにある。

作品は、オバマ政権がいかに欺瞞的であるか、その暴力の現場をごりごりと調査報道するもので、これがノミネートされたこと自体が大きな驚きだった。何しろ、昨年(2013年)「ハリウッドとCIAはこんなにも仲よくやってるんですよ」という作品が最優秀作品賞をとり、大統領夫人によってそれがアナウンスされるという茶番劇が演じられたのが、ほかならぬ「アカデミー賞」なる劇場だったのだから。




The Square(→IMDB)は、エジプトのあの「広場」を、ずっと……「1月25日」のあの行進から継続して、アルジャジーラのカメラが見ていた「建物の上から」のアングルではなくデモ隊のひとりとして、「タハリール広場」の「革命」の興奮が去ってなお続けられた政権側(軍政側)の暴力の行使と、権謀術数に満ちた(つもりだったに違いない)ムスリム同胞団周辺の動きなどをずっと記録し続けていたカメラの映像から成る。……と書くと「NHKスペシャル」的な「外部からの分析」のように見えるかもしれないが、もっと「地べた」感が強い。実際の抗議行動参加者に「密着」し、あの広場にいた人たちの、「僕は君のことは好きだし友人だと思っている。でも(君の所属する)ムスリム同胞団は、大嫌いだ!」という《リアル》を記録している。監督はJehane Noujaimさん、エジプト生まれで米国拠点の映画作家である。(ちなみに女性だ。)

撮影していたのは、クレシダ・トゥルーさん。「タハリール広場の女性たち」のひとりだ。クレシダさんは、2011年1月以降ほとんど常に最前線からの報告をしてきたジャーナリスト、ベル・トゥルーさんのお姉さん(だと思うが妹さんの可能性もある)。個人的に、Twitterでフォローしたり、リストで読んでいたり、報告をアーカイヴしたりしてきた人々の、重要な一部である。










ベルさんはTwitterのアバターに自分の顔写真を使っているが、クレシダさんのお姿は今回初めて拝見した。クレシダさんの夫で、映画で全体の進行役の役目のハリド・アブダラさんや、法律の専門家でTwitterでは法的な解説をたくさんしてくれているラギア・オムランさんたちが、ドルビー・シアターの前のレッドカーペットに並んで撮影された集合写真でそれを知る(ベルさんのRTで)というのは、非常に不思議な感じがした。




というわけで、ベルさんのツイートを中心に「エジプトから初めて米アカデミー賞にノミネートされた作品」が受賞なるか、を見守ってる人々のツイートをアーカイヴしたのが、上記「まとめ」のコアである。
http://matome.naver.jp/odai/2139388780396553801




2013年11月下旬から、ウクライナのキエフで続いてきた「広場でのデモと座り込み」が、1年前ならきっとBBCなど大手メディアで「タハリール広場」にたとえられていたであろう、という無常さも……実際、2011年から12年の、ロンドンやマドリード、バルセロナなどでのデモは、「タハリール広場」が引き合いに出されていた……含めての「今」だ、ということも、改めて、胸に刺さる。エジプトで口を封じられたジャーナリストたちはまだ解放されず、英米はもちろん、パキスタンなど世界各国から「口を封じられたジャーナリストたち」の連帯の写真付きメッセージが毎日TLに流れてくる(日本からは絶無だが)。そのなかで、「映画」という形で「語る立場」を維持し続けることは、どれほど貴重なことか。

長編ドキュメンタリー部門には、このほか、The Act of Killing(インドネシアの「死の部隊」を扱った衝撃作)とCutie and Boxer(NYC在住の日本人芸術家夫婦の日常)がノミネートされており、両作とも日本公開済か公開決定済である。

さて、今年のアカデミー賞には、The Square以外に2本の「アラブの映画」がノミネートされていた。短編ドキュメンタリー部門のKarama Has No Walls(尊厳には壁はない、という意味)と、外国語劇映画の部門のOmarだ。

Karama Has No Wallsは、2011年3月、イエメンの平和的抗議行動に対して治安当局が発砲、14人が殺された事件についてのドキュメンタリーである。この作品については、お恥ずかしいことにこれまでまるで注意を払っていなかったので、3日の授賞式の様子を追いながら初めて知ったことばかりだった。

監督はサラ・イシャークさん(こちらも女性)。イエメン人で、大学教育のためスコットランドに行き、その後10年ほどは英国が拠点だったそうだが、2011年の抗議行動直前にたまたまイエメンに戻っていて、そのまま現地でジャーナリストとして組織の立ち上げなどを行なっている。







監督のこのウエストのベルトは、イエメンの男性が短剣を持ち歩くときに着用するあのベルトをモチーフにしたものだそうだ。その説明も「まとめ」のページに入っている

イエメンは、2011年の前までは、(「イエメン沖」という形での言及を除けば)国際ニュースになることはほとんどなかったし、なる場合には「アルカイダに対する米国の攻撃」という、それ自体にツッコミ入れなきゃだめでしょう、というようなことを米国側から伝えるようなものばかりだった。

2011年以降、そこにいるのがどんな人たちなのかということも、単なるニュースで少しは伝わってくるようになった。少なくとも、姿は見えるようになった。より大きなニュースとしては、タワックル・カルマンさんのノーベル平和賞の受賞があったり、2012年の世界報道写真の1位の「負傷した男性を抱きかかえる親戚の女性」(上半身だけの画面だが、男性は裸、女性は真っ黒なアバヤで顔も何も見えない)が話題になったりしている。

外国語映画賞のOmarは劇映画なので、見ないことには何も書けないのだが、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で特別審査員賞を受賞するなど既に高い評価を受けている作品だ。宣材の写真(ポスターやDVDのジャケ)からは「壁に隔てられた恋人たち」という映画のように見えるが(実際、恋愛は重要な要素になっているようだが)、パレスチナ(ヨルダン川西岸地区)を舞台とした、「インフォーマー」(スパイ)の物語だ。監督は自爆者2人を描いた『パラダイス・ナウ』のハニ・アブ・アサド。『オマール、最後の選択』の邦題でかなり先だけど日本公開が決定しているという。




※この記事は

2014年03月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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