kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年02月25日

ウクライナの「抗議行動」であれ、「革命」であれ、それを「語る(英語圏の)言葉」がおかしいということについて。

「抗議する人」が米誌TIMEのPerson of the Yearに選ばれたのが2011年、そのあとも多くの「抗議行動 protest」が行われ、報じられ、終息し、今も継続されており、あるいは散らされ、弾圧された。しかし、2011年のチュニジアやエジプトのように「革命」として見える事例はほとんどない。

しかし今年2月20日から22日にかけて、ウクライナから流れてきたのは、確かに、「革命」の風景を記録したものだった。





「カルキフで書類を燃やす治安当局」(たぶん内務省の諜報機関か何か)。革命で政権の座を追われる側が、逃亡直前に、都合の悪い文書を焼却するのはごく通常のことだ。近いところでは2011年2月、エジプト、カイロの内務省にタハリール広場のデモ隊がなだれ込んだときに、真っ黒に焼けた書類の山や、まだ火を放たれてほどない書類の山があったことがデモ隊の写真で記録されている(しかもFBやTwitter, Flickrを通じて、瞬時に世界中でシェアされた)。

上記写真が撮影されたカルキフ (Kharkiv) はウクライナ第二の都市だそうだ。それも東部、ロシア語圏なおかつヤヌコヴィッチ支持の地域にある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kharkiv






首都キエフ、「独立広場」は、2013年のエジプトがあんなふうになっていなければきっと「ウクライナのタハリール広場」として喧伝されていたに違いない。




ウクライナの一連の動乱が始まったのは、2013年11月後半だった。個人的に東欧は、正直、「観測範囲外」だが、自分が何もしていなくてもTwitterで誰かが書いているか、誰かが書いたものを別の誰かがRTしているか、メディアのアカウントがヘッドラインを配信してくるので、否応なく気付く。

それも、大きな動きだと、アメリカのジャーナリストやギリシャのメディア・アクティヴィスト(ニュース・キュレーター)など何人かがごちゃっとRTしてくるので、「よくわからないが何か起きている」ということはいやでも気づく。(関係ないが、どうでもいい話題でも自分がフォローしている人が3人以上RTしたりTWしたりしていれば、めっちゃ大きな話題に見える。最近では、「ピアース・モーガンのCNNの番組が打ち切りになる」件がそうだった。UKのメディア業界人やアーセナルのサポが「うげ」と一言言うだけで拡散される。)

ウクライナのこの動きについて私が知ったのは、「ハッシュタグ」だった。私の見ているTwitterの画面に突如、#Euromaidanというハッシュタグが急増したのだ。今思い返すと、2010年12月のチュニジア、#SidiBouzid のハッシュタグであの「革命なう」を知らされたのと似てはいるが、あいにく、それから3年の月日のうちに、状況はいろいろと変わり、当方も「ハッシュタグ革命」に当時ほどの関心を(少なくとも明示的には)向けられなくなっていた。それにそもそもウクライナである。「オレンジ革命」のことはまだ忘れていない。

ともあれ、その #Euromaidan という文字列から、そのとき起きているとBBCなどで既に伝えられていた「親EU」の大衆行動についてのものだと把握することは容易だった。あとで調べたところ、Maidanは「広場 Square」の意味だという(語源的に、アラビア語の「ミダーン」などと通じてるのかな)。つまり「ユーロ広場」。独立広場という地名に与えられた新しいアイデンティティ。

「ハッシュタグ」と「新語」という組み合わせと、優れた写真家による強烈で印象的な写真は、「このような事態が存在している」ということを広く知らしめた。このPR手法は、非常に見事だ。

とはいえ、ログを見ると、そのときは自分はウクライナにはまるで関心を払っていない。回ってきたツイートをRTすることすらしていない。ほかのニュース(パリでリベラシオンの本社で銃撃事件があったり、北アイルランドでの英国の「死の部隊」の存在がドキュメンタリーで暴露されたりしていて、22日にはアレック・リード神父が亡くなっている)に関心が向いていたからなのだが、それだけではなく、「PR手法」による満腹感と(写真見て「ああ」と思って、その先がない)、「ここまでPRされているならあとから検索しても調べられるので書き留めておかなくてもよいだろう」という意識もあっただろうし、それに、ロシアと関係の深い東欧についてたとえTwitterのような場であっても書くことは、けっこう神経を使うのだ。ごにょごにょ……
http://twilog.org/nofrills/date-131121
http://twilog.org/nofrills/date-131122

そもそも、ウクライナについては断片的なニュースをBBCで見ているだけで(例えばロシアとのガス取引のこととか)、国内でこんな大きな「広場占拠」に至るまでの流れを私は把握していなかったし、それに、こういう「広場占拠」型の「デモ」のニュースは、もうあまり「見ていたい」とは思わなくなってしまった。「慣れ」である。それ以前に、言葉の壁という問題がある。中東は言葉の壁があっても、英語圏のジャーナリストが大勢いるし、現地の英語話者もこぞって情報を英語化して外に出そうとするが、東欧は、英語を使うこと自体に「色」が……ごにょごにょ。あとはもう完全にこちらの問題なのだが、ウェブ翻訳を使って読んでみようというほどの関心もないわけで、当然、人間の翻訳者にお願いして読まねばならないようなものなら読まずにいることになる。

こうして、ウクライナ情勢に関しては、非常に「情報が偏った」状態で、BBCやガーディアンの見出しのフィードと、ワシントン・ポストなど世界の報道機関で働いているジャーナリスト(中には現地取材に入った人もいる)のツイートを通じて、英語だけで何となく見ていたのだが、2月20日過ぎに「革命の風景」が流れてくるまでの間、結局、「最初に暴れたあれは誰だったのか」ということを明確な言葉の形で把握することはできなかった。

英語という言語の習慣では、今回のウクライナのようにデモ (protest) が「火炎瓶が飛び交う」ような状況になった場合、そのデモ参加者については、protesterという表現のほか、その「暴れ」について違法性が高いと匂わせたい場合にはrioter, mob等が用いられる(毎年7月の北アイルランド参照)。そこまで「色」をつけたくない場合はactivistが用いられる。彼らが何らかの武器を持っていればmilitantという用語が出てくる。バラクラバなどかぶって迷彩服を着ていれば、なおさらだ。しかし今回はとても奇妙なのだ。








※最後のソース(ウィキペディア): http://t.co/96Y3fu5Zlz

それについて書いたのが、下記である。というか、まだ書きかけだ。

ウクライナのデモと「極右」について、BBCなど私が見た範囲でどのように報道されてきたか(メモ)
http://matome.naver.jp/odai/2139300461356543901


BBCで ukraine far-right で検索した結果のキャプチャ。(BBCの今の検索は結構タコなのであまりあてにならないが、ウクライナの動乱についての多くの記事の中に、これらの記事は埋もれていた。Twitterで見出しが配信されたかどうかも(よく調べればわかるかもしれないが)……。



こういうふうだったのは、ひょっとしたら私だけなのかもしれないと思ったが、写真家で音楽評論家の石田昌隆さんも同じような感覚でいらしたようだし(石田さんはベースとなる知識も豊富である上に、非常に感覚が鋭い方だと思う)、ほかにも「(デモを見ていて)違和感があった」という方はTwitter上におられるので、私だけではないのだろう。




上記「まとめ」への反応を見ると、「ウクライナの極右」というだけで目を白黒させてしまう、といった御意見もあるが、「モンゴルのネオナチ」より全然飲みこみやすいと思うんで、読んでみてください。ただし、私の書いていることは英語経由です。(ただし、その「英語」の中には「ロシア発の英語」も「ウクライナ発の英語」もあります。)

それより、欧州連合という枠組みを嫌っている極右勢力(純血主義の排外主義者たちはどこにでもいます)が、なぜ「ユーロ広場」運動に参加し、それも「切り込み隊長」(山本さんじゃなくて、文字通りに)的な役割を担ったのかが気になり、そこを調べて、その筋の現地報道を英語化している某所(と、もったいつけるまでもないですね……宣伝はしないのでURLは貼らないけど「すとーむなんちゃら」です)などをあさってみると、欧州極右を取材しているジャーナリストのブライアン・ウィーランさんが報告しているようなことが確認できるわけで、何というか、その……。

National socialist group Wotan Jugend has described the experience they are gaining from the protests; "Leaderless resistance What is happening now in Kiev - is a lesson, a lesson to all those who so eagerly watching national revolution taking place in Ukraine, blowing drool with envy at the keyboard."
http://imgur.com/a/1ghhi/#s0sR7dL

(国家社会主義の集団、Wotan Jugendは、今回の抗議行動から得ている経験について次のように述べている。「キエフで現在起きているのは指導者なき抵抗である。これは学びのよい機会である。キーボードを前に羨望の涎をたらしつつウクライナで起きている国民革命を熱心に見つめている者たち全員にとって、学ぶところは多い」)


※「国家社会主義」という用語を知らない方は、調べてください。

というわけで、むろん、ウクライナのこのデモに極右が関わっているからといってデモそのものが極右のものというわけではない。始まった当初は平和的な政権への異議申し立てで、ハンドバッグ持ったおばちゃんや腕を組んだ大学生カップルがあれこれ独占している大統領とその一派にNOをつきつける、というものだった。そこでなぜ「EU」なのかはちょっとわからないが(EUは彼らが思い描いているような「自由」の桃源郷ではない)、ともあれその「政権にNO」の声のシンボルとなったのが、「空にたなびくEUの旗」だった。(偶然だが、明るい青と黄色という爽やかな補色の色合いは、ウクライナ国旗と同じで、それらの旗を中心にした広場の写真は、目に快いものだった。)

そこにいつ、なぜ本質的に「反EU」である「極右」が絡んできたのか……それを知るには、極右見てる系のジャーナリストや極右研究者の記事・ブログなどを、ある程度丹念に見てみなければなるまい。

また書きたします。

※この記事は

2014年02月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼