「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年04月15日

「民主主義」はもはや皮肉にしか思えなくなった。

4月14日土曜日、駅のプラットフォームでの一瞬:
Newspaper

国民投票法案、衆院本会議で可決…自民・公明の賛成多数
4月13日18時37分配信 読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000006-yom-pol

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案は13日の衆院本会議で、与党修正案が自民、公明党などの賛成多数で可決、参院に送付された。

 民主党も独自の修正案を提出したが、否決された。安倍首相が最重要法案とする国民投票法案の今国会成立は確実な情勢だ。(以下略)

こんなに重要なことまでも「強行採決」と言われる形で、儀礼としての「審議は尽くした」という言説/態度を伴って、「民主主義的」に決められてしまう。これが現実だ。

そしてそういう現実を「もう決まってしまったのだからどうしようもない」と受け止めることが「現実主義」的な態度であるという「空気」。それも現実だ。

写真は偶然の一瞬なのだが、おじさんがスポーツ新聞を読んでいる前を通り過ぎかけている制服姿の子は、おそらく近隣の中学か高校の生徒で、おじさんが外に向けている面に書かれている「国民投票」(満18歳以上が投票する)で投票できるのかできないのか、ぎりぎりの線の年齢の子だろう。

これが2007年の日本の「民主主義」。この数年、英国のニュースを継続的に読んできて「デモクラシー・イズ・デッド」ということを強く思ったのだけど、同時に、それは「英国という自分とは関係ない国での出来事」ではないということを、いろいろな折に感じてきた。

「民主主義の死」においては、英国は日本と比較してもちょっと先進国だ(それでも「批評」とか「諷刺」という点では、魂はまだまだ死んでないと思うが)。現在の流れのなかで英国がいつあんなんになったのだろう、と思い返すと、やはり2007年7月7日が大きな転換点になっているようにも思うが(メラニー・フィリップスのベストセラー本とかはそう主張しているようだ)、もっとよく見ると「大きな転換点」というのはあまりはっきり見えない。

トニー・ブレアがYouTubeで「みなさんのご質問をお受けします」というパフォーマンスをかましているそうだ。残り任期1ヶ月以下(最短)のレイムダックが、シナトラみたいに「もっともっともっと」と人々に涙を流させながら花道を去っていくというプラン(んなことになると考えている時点でイタいが)がぽしゃった後に、それでも何かやりたいと考案したのだろう。しかしそれもガーディアンのCiFでは「キャメロンのまねっこ」と呼ばれてしまうありさま。(保守党のデイヴィッド・キャメロンは、自分のサイトでいろいろやっている。まあそれは、インターネットがすっかり普及したあとに今の地位についたキャメロンが有利なのだが。)
http://commentisfree.guardian.co.uk/jeff_jarvis/2007/04/question_time_for_all_1.html

コメント欄は相当辛辣で、のっけから「はい、質問です。その1:ドクター・ケリーの身には何が起きたのでしょうか、ほんとのことを教えてください その2:大量破壊兵器はどこにありますか」(イングランドにあるよね。スコットランドにも)、続いて「質問コーナーって意味あるの? 過去の人なのに」。それから「首相官邸から去ったあとは、裏切られた人々、死んだ人々、手足を失った人々の声が一時も休むことなくあなたを悩ませると思いますが、どうやって正気を保つおつもりでしょうか」、「脳出血を起こせばいいのにとしか思わない」、「あなたの信じる神様にはどのように言い訳をするのでしょうか」、「これまでに一度でも、質問に嘘を交えず答えたことがありますか」、「まだいるの? なにゆえ?」などなど。

しかし、最も核心をついているのは、「ブレアに質問をする」という行為の意味そのものを問うものだと思う――「ブレアが人々の質問を一応でも聞くと考えることは、投票でものごとを変えられると考えるのと同じようなことだ。頭の中お花畑だ。(believing Mr Blair will even listen to your questions is akin to believing you can change things by voting. Dream on.)」

1997年、総選挙でブレアの率いた労働党(いわゆるNew Labour)が保守党に圧勝したときの、選挙キャンペーンの政党CM(のひとつ):
http://www.youtube.com/watch?v=dmwqEg-06Ww


こんなCMがあったとは、私はこれをYouTubeで見かける前は知らなかったが、ほんとに気色悪いとしか言いようがない。「世界を変えてくれるあの人」「みんながついていきたいリーダー」像を、ここまで悪趣味に表現した映像作品、個人的にラジー賞をあげたいくらいだ。

ちなみに音楽は、D:REAMというこれまた能天気な名前の人たちの90年代半ばのヒット曲、Things can only get better(ものごとはさらによくなることしかありえない)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Things_Can_Only_Get_Better_%28D:Ream_song%29

あまり関係ないが、ブッシュの別荘に「友人として招かれた」ときのコイズミ氏の服装は、この当時のブレアを真似ていると私は思う。あるいは、条件を与えられたスタイリストがいろいろ考えたら同じ結論が出たのだろうか(その結果「リクルート・スーツ」のようなことになってしまった)。というか完コピ?



うひゃあ、D:REAMの人って北アイルランドの人だったのか!!
http://en.wikipedia.org/wiki/D:Ream
D:Ream was a Northern Ireland electronic music and rock music band of the 1990s.

http://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Cunnah
1966年、デリー生まれ。

※この記事は

2007年04月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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