※この「リアルタイム」は今年もやろうと思う。昨年は書くのもリアルタイムだったが、今年は前もって、タイマー設定で(Twittbot.netを利用)。
これが完全にはうまくいかなかったので、ログを控えておく。
うまくいかなかった原因は、短縮URLを使っている場合、Twittbot.netの画面で「140字」でカウントされていても、Twitter側でさらに「短縮」するt.coのURLによって、その短縮URLより文字数が多くなること。(まったく、実に余計なお世話だ。)
以下、ログ:
29 Jan 1967- The Northern Ireland Civil Rights Association (NICRA) was formed in Belfast. pic.twitter.com/Wicf3Q0M
— ConflictNI (@ConflictNI) January 29, 2014
NICRAがベルファストで結成された5年後、デリー:
'Bloody Sunday' 30 January 1972 pic.twitter.com/ooSZ8Zv1BQ
— ConflictNI (@ConflictNI) January 30, 2014
昨年作成>2013年、41年目の「ブラディ・サンデー」に、「公民権」という言葉を手掛かりに。 - NAVER まとめ http://t.co/78jsA3zkOX
— nofrills (@nofrills) January 30, 2014
BLOODY SUNDAY 30th JAN 1972 DERRY CARNIVAL ATROCITY http://t.co/XN1jpxFEns スライドショー。この点数の写真、さらにはテレビニュース用の映像を撮影できるほど大勢の取材陣。その目の前で英軍はデモ隊を銃撃した
— nofrills (@nofrills) January 30, 2014
2014 / 1 / 31
00:45
現地時間1972年1月30日15.45(日本時間31日00.45)ごろ、デリーの公民権デモの本体は英軍のバリケードに遮られ、ロスヴィル・ストリートへと進路を変えた。一部参加者はそのままウィリアム・ストリートを進み、英軍バリケードへと向かった。http://is.gd/9186M9
→上掲の理由により送信エラー。
Status is over 140 characters.
https://api.twitter.com/1.1/statuses/update.json
00:50
……ウィリアム・ストリートで英軍と対峙したデモ隊は、英軍兵士らに対し投石などを行なう。対する英軍は放水車を投入する……そういった光景は、当時のデリーでは「当たり前」のものだった。何も、特別なことはなかったという。 http://is.gd/9186M9
00:55
1972年1月30日、アイルランドのデリー。現地時間15.55ごろ、英軍パラ連隊の兵士たちがウィリアム・ストリートの空きビルから5発発砲、15歳のデイミアン・ドナヒーと59歳のジョン・ジョンストンが負傷した(ジョンストンは同年6月12日死) http://is.gd/9186M9
→上掲の理由により送信エラー。
Status is over 140 characters.
https://api.twitter.com/1.1/statuses/update.json
01:00
1972年1月30日、アイルランドのデリー。このころには、ウィリアム・ストリートの暴動は終息しつつあり、人々は散らされていた。英軍は逮捕作戦の遂行許可を申請した。デモ参加者たちは、フリー・デリー・コーナーでの集会へと向かっていた。 http://is.gd/9186M9
01:10
1972年1月30日、アイルランド、デリー。16.10ごろ、ロスヴィル・ストリート・フラットのあたりにいた人々に対し、英軍の発砲が開始された。 http://cain.ulst.ac.uk/events/bsundaychron.htm http://is.gd/9186M9
01:25
"当時、この通りのこの辺にバリケードがあり、バリケードの向こうは「フリー・デリー」、つまり英治安当局にとってno-go areaだった。銃撃は、このエリアで行われた。" >拙:
→ URLが正しくない。正しいのは:
http://nofrills.seesaa.net/article/249282958.html
01:40
1972年1月30日、アイルランド、デリー。16.40ごろには、英軍による銃撃は終わっていた。13人が撃ち殺され、14人が負傷していた。 http://cain.ulst.ac.uk/events/bsundaychron.htm http://is.gd/9186M9
01:45
Hidden Truths: Bloody Sunday 1972 http://138.23.124.165/exhibitions/hiden/default.html 1972年1月30日、アイルランド、デリーの写真集。 http://is.gd/9186M9
01:50
1972年1月30日、アイルランド、デリー。逮捕された人々は英軍基地に連行された。翌日には大半は起訴なく釈放されたが、基地で殴打され、バトンラウンド(プラスチック弾)の銃撃の中を逃げ回らされるなどしたと証言している。 http://is.gd/bpPOYj
01:55
17歳のジャッキー・ダディは、ロスヴィル・フラットの駐車場で英軍に撃たれた。その場に居合わせたエドワード・デイリー神父がラストライツを行なっているところの写真が残っている: 138.23.124.165/exhibitions/hiden/tour/11.html
02:00
…以上、1972年1月30日の「血の日曜日」事件をほぼ実際の時刻に合わせツイートしました。事件に興味がおありでしたら昨年作成した「まとめ」も。>2013年、41年目の「ブラディ・サンデー」に、「公民権」という言葉を手掛かりに。http://is.gd/9186M9
2010年6月15日、拙: How long must we sing this song? ... ブラディ・サンデー事件の真相究明報告書、公表の日 http://t.co/rdwO3W27DO #Zenback via @nofrills
— nofrills (@nofrills) January 30, 2014
2010年6月15日、拙: Bloody Sunday dead all innocent http://t.co/6MjDrPR8VH
— nofrills (@nofrills) January 30, 2014
BBC News - Bloody Sunday: 1,000 witnesses to be questioned http://t.co/mu2B9PE1Ss 2014年1月30日付け記事。ブラディ・サンデー事件はまだ「終わって」いない。サヴィル報告書を受けた刑事訴追に向けて
— nofrills (@nofrills) January 30, 2014
※英国は「時効」はありませんから、銃撃を行なったこれらの兵士たち(特定されている)は「殺人罪」に問われ得るという立場です。
※この記事は
2014年01月31日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
- 【訃報】ボビー・ストーリー
- 【訃報】シェイマス・マロン
- 北アイルランド自治議会・政府(ストーモント)、3年ぶりに再起動
- 北アイルランド紛争の死者が1人、増えた。(デリーの暴動でジャーナリスト死亡)
- 今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (2): ブラディ..
- 今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (1): ディシデ..
- 「国家テロ」の真相に光は当てられるのか――パット・フィヌケン殺害事件に関し、英最..
- 北アイルランド、デリーで自動車爆弾が爆発した。The New IRAと見られる。..
- 「そしてわたしは何も言わなかった。この人にどう反応したらよいのかわからなかったか..
- 「新しくなったアイルランドへようこそ」(教皇のアイルランド訪問)