「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2014年01月29日

その映画には、なぜほとんど台詞がないのか、作者はなぜ「言葉」(ロゴス)をそぎ落としたか、考えたことがありますか。

"12 Years A Slave" (邦題が凡庸の極みで、「12年」も「奴隷」も入ってないので全然覚えられない)の高評価&大ヒットで、スティーヴ・マクイーン監督に俄然注目が集まっている。ハリウッドとは関係のないところから出てきた映画作家が、長編映画を撮り始めてまだ3本目で、ゴールデン・グローブ賞を獲得というのは大快挙だ。

この人の名前を最初に知ったのは、たぶん、ターナー賞関連の記事だったと思う。♪ちゃちゃちゃちゃらっ、ちゃっちゃーららっちゃ♪とオートバイ奪って柵超えて大脱走しそうな名前の人がいる、と思ったものだ。むろん、このスティーヴ・マックイーンと映画監督のスティーヴ・マックイーンとは、まったく無関係である。



スティーヴ・マックイーンは1969年ロンドン生まれ。元々はアーティスト(芸術家)で、映像作品が専門(IMDBの「フィルモグラフィー」の大半は、こういった活動での映像作品である)。1999年にターナー賞を受賞(この時の作品、Deadpunは、何年か前に東京の森美術館でやった「ターナー賞回顧展」でも上映されていたので、ご覧になった方も多いと思う)。2002年にOBE(叙勲)。

2003年に英米豪軍によって開始されたイラク戦争での芸術家ミッションで、マクイーンはバスラ(南部の港湾都市)の英軍基地に行き、映像作品を何点も制作している。



2007年に発表されたその「集大成」ともいえる平面作品は、見る、触れるという「身体感覚」の作品だった(見た目ではそうは見えないかもしれない)。当時のインタビューより。
The result was For Queen and Country; unveiled in the Great Hall at Central Library, Manchester, it's a co-commission by Manchester International Festival and the Imperial War Museum. McQueen has used a large oak cabinet with sliding vertical drawers to present 98 sheets of postage stamps. Each sheet depicts a different member of the armed services who has died in the conflict, and each sheet tells us who is depicted, and when they died. The sheets are presented in the chronological order of the deaths. "Every time you pull out a sheet of stamps, there is something in the physical contact and intimacy you have with each sheet of images, and the time it takes to look at them, before replacing them and moving on. But the real point is to have the stamps made available for use."

切手として使うためには、シートの点線で1枚1枚を切り離し、裏面の糊を舐めなければならない(水を含ませたスポンジを使うなどしてもいいのだけど、英国は切手は舐めて貼るものと前提されてると思う)。その徹底した「身体性」。そういった点は1999年から今までに大量に書かれ発表されている評論&インタビュー記事に詳しいが、そういった《解説》を読まなくても、作品を見れば一目瞭然だと思う。Deadpunでの、私は映像を見ているだけなのに風が顔に当たっているかのような感覚とか。

で、このスティーヴ・マックイーンが「アート」(美術館)というフィールドを離れて、「映画」(映画館のスクリーン)のために最初に制作した映像作品が "Hunger" である。これについてはもう書いたので繰り返さない。リンク先をどうぞ:

※2008年10月の東京国際映画祭で見たときのエントリ(ネタバレ):
http://nofrills.seesaa.net/article/108447691.html
※↑から「ネタバレ」部分を極力削除したもの@NI FAQ:
http://nofrills-nifaq.seesaa.net/article/115015387.html

Hungerは、1980年から1981年にかけてのロングケッシュ/メイズ刑務所の中(特にその「暴力」)を描いた映像作品であるが、ほとんど台詞がない。

この映画について何かを「語る」とき、この「ほとんど台詞がない」という事実は、絶対に見落とすことのできない重要な要素である。

実際には、中盤で17分間ワンカットという驚異的な「議論」のシーンがあるのだが、映画の中で登場人物同士が、「挨拶」とか「指示」ではなく「言葉で語り合う」場面は、ここしかない。「言葉の国」であるアイルランドについての映画で。しかもここで神父と議論を交わすボビー・サンズは、この映画の中ではほとんどしゃべらずにただその「肉体」を存在させているのだが、Marcellaという筆名で知られるすぐれた書き手でもある(そのことは、この映画からは捨象されている。実際この映画は、サンズという人物の「政治的」な側面を、議員に当選したことも含めて、大幅にそぎ落としている。そのことで「政治的」なリパブリカンがぶーたれている文も私は読んだことがある)。

この「議論」の中身は、(英語がわかる・わからないとは関係なく)たぶん映画を見た人の大半には、はっきりとはつかみかねるものだっただろう。自身の身体のみを武器として「自殺ミッション」(と書いてしまうことに若干のためらいはあるが)に打って出ることを決意したIRA義勇兵と、彼を翻意させようと最後の努力をする神父の、「対話」というより「議論」。

彼がその後どうなったかくらいのことは知っている「観客」は、それを見せられて、基本的には、戸惑うしかないはずである。

そういうことだ。






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※これは監督はもともと北アイルランドの人だがアメリカ在住で、アメリカ人でも聞き取れるような「訛り」のない英語で作成されている(アメリカでの公開が前提)。主演はヘレン・ミレン。獄中ハンストを行うIRAメンバーである息子がエイダン・ギレン。獄中ハンストのリーダー、ボビー・サンズは(ちょっとしか出てこないけど)ジョン・リンチ。主役の「母親」と共闘する別のIRAメンバーの母親がフィオヌラ・フラナガン。
http://www.imdb.com/title/tt0117690/

0802135099Some Mother's Son: The Screenplay
Terry George Jim Sheridan
Grove Pr 1997-01

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さらに2013年9月のログより:
http://twilog.org/nofrills/date-130929/asc

「誰がテロリストか」の水掛け論が、まさにゾンビのように蘇りつづけ、その都度、ステージをアップさせてきているのが北アイルランドです。「平和・和平」に乗れない、その「語り」ではすくいとられない「念」とでも呼びたくなるようなものが、カッスルダーグで、ベルファストで、実体を得てきてます。
posted at 00:19:18

かといって、北アイルランドが「紛争」の状態に戻ることはたぶんない。それは誰の得にもならないということを、多くの人が知っている(英国政府も)。問題は、「あの頃はよかった」的な懐旧の念も底流にある「武力至上主義」と「対立との共依存」が今なお一定数の人々には不可欠だということ。
posted at 00:21:17

これまでの数年間、メインストリームの政治はそういった「マイノリティ」をただ無視してきたのだけれど、2012年12月のベルファスト市議会の民主的議決を発端にした「旗騒動」(ロイヤリスト)は結局、彼ら自身は北アイルランド自治政府の議席を持っていないのに自治政府トップの…
posted at 00:23:05

続…メイズ/ロングケッシュ刑務所跡地の「ピースセンター」計画への賛同の撤回という形でメインストリームに大きな影響を与えた(あれに反対するロジックは私には実はわからないのですが、要は「IRAのハンストが行われた地」であるから「恒久的な施設は作るべきではない」ようです)。…続
posted at 00:25:02

続…(メイズ/ロングケッシュはロイヤリストも収監されてて「武勇伝」はあるはずなんですが、ロイヤリスト武装勢力はリパブリカンとは異なり、はなから社会、つまりユニオニストのメインストリームたるミドルクラスから疎外された存在で、その疎外が「労働者階級のプロテスタント」という文言に集約)
posted at 00:26:42

続…一方で、そのロングケッシュからちょうど30年前に集団脱獄したIRA義勇兵のひとりで、最も「成功」した脱獄事例(大陸に逃げて数年後に大陸で捕まった。それまでの間…)の当事者であるジェリー・ケリーは、この夏、IRAの死者を「賞賛する」カッスルダーグのイベントでスピーチを行なった。
posted at 00:29:03

続…さらにケリーは、メイズ/ロングケッシュ脱獄から30年となる当日に、それを「祝う」文言をツイートし、「ストーモントの北アイルランド自治議会は危機状態にある」と発言。1983年の脱獄は無血のものではなく、刑務所職員が1人殺されてます。そのことへの配慮のなさは、騒ぎを大きくした。
posted at 00:31:04

続…現在、北アイルランドではユニオニストとナショナリストの対立の根本に(ついに)迫るような交渉が、CFRのリチャード・ハース(元米NI特使)を議長として行われています。しかしハースがCFRの仕事でNYCに戻っている間にケリーの「危機」発言があり、さらに草の根では……
posted at 00:33:12

続… "OMG they did it for real." と反応せざるを得なかったこの事態。 twitter.com/nofrills/statu… 「テロの被害者」と自認する組織を長年率いてきたウィリー・フレイザーと、「旗騒動」の中心、ジェイミー・ブライソンの金曜日の行動。
posted at 00:35:50

続…こんなこと、ツイートして満足してないで、ブログ書いてちゃんとストックしろよ、という話ですね。。。でもこれ、書けないんです。書きあぐねている。ずっと。
posted at 00:36:53

@picolin1 その点でいうと、あの作品のおそろしいところは、監督が「黒人」であるということですね。北アイルランド紛争で最前線に送られた英軍兵士は、全員ではなかったけど、多くの有色人種がいました。映画の中で房内の壁を清掃する職員もそうだったはず。
posted at 03:52:01

大英帝国の残滓の排泄物を高圧洗浄機で洗い流す大英帝国の残滓、もしくは資本主義のもたらした「外部の者」。映画Hungerはそれが入ってるのがすごい。
posted at 03:53:07

RT @picolin1: で、マックイーン監督の描く「人間の身体」というのがまたおそろしいんですよ。自らの肉体を自らのものにする、し続けるというのはどういうことなのか、それ自体が闘争なのではないか、という。それは3作ともそれについての物語だと思う
posted at 04:43:17

RT @picolin1: 肉体だけではない、精神そのものも「自分のものにし続ける」というのは、闘いなんだと。
posted at 04:43:23

RT @picolin1: こういう視点は、今の情報と広告によってコントロールされる現代の「自称先進国」だけでなく、コミュニティのルールや組織宗教等の支配が強い地域・時代でも変わらない問題提起だと思うよ
posted at 04:43:31

possessionとobsessionをめぐる問題でもありますわな。そしてサンズが映画の中で唯一ロゴスを使った場面で、もはや彼に残されているのはobsessionだけであることが明白になる。そして唯一の「所有物」である肉体を武器に彼は闘う。1/2
posted at 04:48:35

2/2 それがマクイーン監督によって2000年代にスクリーンに投影され語られたとき、現実世界では「唯一の『所有物』である肉体を武器に」と言えば全然別の事象が想起されてて、しかもそのことに「悪びれる」人はほとんど誰もいなかった。パレスチナ、クルド、タミルのハンスト闘争は頻発していた
posted at 04:50:46

「人間であること」をサンズに説いた(サンズは聞く耳を持っていなかったが)のが、humanismとは必ずしも相いれない組織宗教の人(カトリック教会の神父)だったという「語り」も、非常に衝撃的だった。「アイルランド、カトリック、神父」の組み合わせは当たり前すぎて再検討もしなかった。
posted at 04:54:19

あの「どんなところにもナラティヴの余地がある」というのは、「学者」や「ジャーナリスト」の態度ではなく、「アーティスト」の態度なのだ。映画の非常にわかりやすい描写と数々のアナロジー(特に受難のキリスト像)は実は「表面の化粧」で、実は廊下に流れる液体のようなものが本質だったのだと思う
posted at 04:59:15

しかもメイズ/ロングケッシュは全然、終わってないからね。「終わり」にすることを拒まれた表象。それも、いったん決まっていた「決着」が覆されたのは、ボビー・サンズの側によってではなく、(銃刀法違反相当の容疑で有罪となりぶちこまれた)サンズを「テロリスト」と指弾する側によってだ。
posted at 05:04:07

こうして、また「テロリスト」という用語に話が戻る。このように、いつが終わりでいつが始まりなのかがわからない。無限に連なっていく。
posted at 05:08:10

Schaulager Steve McQueen www.schaulager.org/smq/en/exhibit… "Unexploded (2007)" これは知らなかった作品。03年に戦争博物館のコミッションでイラクに行ったときのバスラでの映像。作家は「帝国」の暴力に直に接したわけだ。
posted at 05:11:16

※この記事は

2014年01月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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