「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2007年04月09日

シン・フェイン党首のイースター演説。

今から91年前、1916年のイースターの期間中にはダブリンで「イースター蜂起」が起こされた。イースター蜂起は4月24日から30日の出来事だが、毎年の記念行事は日付ではなく「イースター」を基準に行なわれる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Easter_Rising

イースターは3月下旬から3月下旬の間で毎年日付が変わるが(満月を基準に算出する)、今年は先週の金曜日、6日がグッドフライデー/聖金曜日、8日がイースター・サンデーだった。

というわけで、アイルランドのイースター蜂起を記念するシン・フェインの行事は、8日に行なわれた。その席でのジェリー・アダムズの演説の内容が次のように報じられている(PA記事)。

MONDAY 09/04/2007 12:01:42
Adams: 'SF aim to be in both governments'
http://u.tv/newsroom/indepth.asp?id=81388&pt=n

The Sinn Fein leader told his party's 1916 Easter Rising commemoration in Dublin that along with unionists, the Irish Government had a role to play in the process of national reconciliation by focusing on the needs of citizens north and south.

つまり、南(アイルランド共和国)政府は、(北アイルランドの)ユニオニストともども、南北双方の人々のニーズに焦点を合わせることによって、ナショナルな(<どう日本語にしていいかわからん)和解のプロセスで果たすべき役割がある、と。

遠まわしすぎて意味がわかりづらいが、要は、南北の別を前提とせず、南の政府(共和国政府)も北(「英国」の一部とされている)にコミットすべきである、ということである。もっと短くいうと、「統一アイルランド」という考え方で動け、という話になるだろう。

シン・フェインは北ではDUPに続く第2党(ストーモントでも、ウエストミンスター=英国の国会の下院でもDUPの次に多くの議席を持っている)だが、「唯一の東西をまたがる政党」であるにも関わらず、南では5議席(下院の定数166のうち)だけだ。

アイルランド(南)の総選挙は今年5月に予定されており、シン・フェインの今年のイースター記念行事での演説は、総選挙に臨む姿勢を示すものとして注目されていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Irish_general_election%2C_2007

北での「成功」(和平プロセスの成功=ペイズリー・アダムズ会談での合意による自治政府の復活=「英国の支配」からの脱却)を大々的に掲げて、シン・フェインは南での選挙を戦うつもりだ。というか、シン・フェインが北の政府の一翼を担うだけでなく、南でもそうしたいという意思を明示したことになる。

それも党利のためではなく、「本物のナショナルな政府を実現させるため」だという(not for the sake of it but to deliver a real national government)。

"A genuine process of national reconciliation has to happen. Sinn Fein is ready to play our part," Mr Adams said.

"I believe that many within the unionist tradition are ready also.

"The Irish Government will have a key role to play. The first step is for the Irish Government to start thinking, acting and legislating with an eye to the needs and rights of every citizen on this island.

"The Irish nation does not stop at Dundalk. The Government here must provide the opportunity for political representatives in the north to participate in the political institutions here in Dublin. And I believe that through time, unionist political parties will join with us.

"I believe the logic of the all-Ireland approach in business, in building a single island economy, in delivering public services, in a whole range of areas is not lost on unionism.

"There is only one option for Irish republicanism as there is only one option for unionism. We must work together to deliver for all of the people. Nobody else is going to do it for us."

...

Mr Adams said: "We want to be in government in both parts of Ireland because that is how we can bring about a truly national government. But republicans will not go into government for the sake of it.

"We will go in to government to deliver for people in ending the two tier health system, in building social and affordable housing, in reducing class sizes, in tackling the scandal of so many young people dying on our roads and through suicide. We will go into government to end poverty. We will go in to make a difference for the better, to end partition and unite the people of this island."

なお、この記事によると、シン・フェインは集会を行なう前にダブリン中心部で記念パレードを行なったが、そのときに予想外なことに、パンクのファンの一団(a group of punk rock fans)が歓声をあげた、とのこと。アダムズに駆け寄って記念写真を撮る人とか、名前を連呼する人とかもいたそうで、このへん、インディメディアあたりに何か転がっているかもしれないから後で見てみます。何かあったら追記ということで。


※この記事は

2007年04月09日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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