「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2013年11月30日

「回復」が必要なときに、「収奪」する、ということ。

どなたかのRT経由でニューズウィーク日本版のTwitterフィードを見て、下記の記事を読んだ。

リオのスラムに群がる貧困ツアーの功罪
Poverty Porn Hits Rio

住民の気持ちや交流はそっちのけ、リオ最大のスラムにむらがる外国人観光客
2013年11月29日(金)15時18分
カーラ・ザブラドフスキ
http://www.newsweekjapan.jp/stories/business/2013/11/post-3119.php

「群がる(むらがる)」とかpornとかいったどぎつい表現は人目を引くためのものだが、それ自体が「観光」、「見世物」、「見物」という構造を表している。

記事は2分もかけずに読める分量なのでぜひお読みいただきたいが、要は、映画で見た光景の中に実際に足を運んで、「あらー、本当にこんなひどい環境でこんなに大勢の人が住んでいるのねー」と口にする、という欲望を満たしてくれる消費の形、ということだ(と私は思う)。しかも、「ツアーの収益の一部は現地の子供たちのために役立てられます」というおまけつき。これで「参加者」(実際には「消費者」である)には良心の呵責もなくなり、それどころか「何か良いことをしている」という満足感も買える(それが事実なのか、気分だけなのか、という問題は別として)。

「貧乏見物」を肯定する側も、拒否・批判する側も、「参加」する側もみな、それぞれ、自己正当化する言葉を持っている。ニューズウィークの記事には出てこないが、ツアーの主催者はきっと「俺がやらなくても誰かがやるだろうから」という常套句を口にしていることだろう。

ところでこの「貧乏見物」ツアーは、誰のために行われているのだろう。言うまでもないが、ツアー主催の観光業者(&業者からリベートを受け取っている地元の「顔役」)と消費者のためだ。見物対象となるスラムの住民や、そのコミュニティのためではない。記事には「ひと握りの人間だけが儲けてスラム住民のことなどお構いなしだ、と批判が絶えない。観光客からサファリの野生動物か何かのようにじろじろ見られるのは嫌だと、あるファベーラの住民代表は言う」とあるが、それはつまり、「観光マネー」は「現地の人々」を素通りしているということを意味している。

こういうものでも、それこそ「観光用の車が行く必要が生じれば道路が維持されるのだからよいのだ」といった無理やりこじつけたような正当化もなされるのが世の常である。記事には「ファベーラのほとんどは2年前は足を踏み入れることができないくらい危険だったが、W杯と五輪の開催を前に多くのファベーラが政府によって『制圧』されたという」として、「街が安全になったのは観光業のおかげ」といわんばかりのツアー主催側の言い分が、あまり直接的ではない形で(ここ、論理的にちょっとわかりづらい。原文を大幅にカットしているのかもしれないが)示されている。

記事には「啓発にも役立ち」とあるが、その「啓発 (awareness)」とやらは何になるのか、ということは、記事の末尾を読めば誰もが感じることだろう。2009年夏のイランの動乱を伝えたときに「よかった、日本は平和で」みたいな反応にさらされた自分としては、業者の言う「啓発」云々というおためごかしには指を立てるより反応のしようがない。

この記事の末尾に出てくる人は「私はあのスラムに生まれなかったことを神に感謝しよう」と思い、これからの日々を悔いのないように生きることを決意し、旅行を終えて帰ったら地元のスープキッチンを運営する団体に寄付をするかもしれないが……程度にしか思えないのだ。実際、記事のトーンもそんな感じ。

こうしてニューズウィークで、「人を見世物にするとんでもないツアーがある。強欲な業者があれこれいって正当化しているが、参加した人も『まあ、ひどいわねぇ』と言うだけ言って、どうせすぐに忘れてしまう」(←映画『ホテル・ルワンダ』の最初の方、アメリカ人のジャーナリストがホテルの支配人相手にこぼすシーンになぞらえた)という話を読んで、「まあ、ひどいわねぇ」と言うだけの簡単なお仕事が完了する。場合によってはツイッターなりブログなりにちょっと書く。私のニュースの消費はこれで完了だ。

「観光」、「見物」っていうのは、本質的に、そういうものだと思う。「来た、見た、感想を言った」だ。

そして、メディアを介した報道 (report) というものもまた、「見物」を疑似的に体験させるものだ。「行ってない(部屋にいた)けど、テレビで見た、感想を言った」。

それらが、その人個人に大きな変化をもたらす可能性はもちろんある。けれど、それは「観光事業」の目的ではない。

ぶっちゃけ、「観光」の場合、重要なのは、その「来た、見た、感想を言った」のプロセスで「現地」にお金が落ちることだ。

上記NW記事で紹介されているファベーラの貧困見学ツアーはその機能すらほとんど担っていない(訪れる観光客が車の外に出ることはほとんどなく、あっても屋台のフルーツを買うときくらいだそうだ)。その点、非常に疑問を覚えるわけだ。

「啓発」を目的とするならば、直接の見物であれ報道であれ、重要なのは、その結果として「問題」が解決されるなり「課題」が達成されるなりなんなりすることだろう。「この自然環境を維持していかなければならない」という課題であれ、「この歴史的建造物は修繕の必要があるがその費用がない」という問題であれ。

けれど、この「ブラジルのスラム見学ツアー」については、NWの記事で紹介されている範囲では、そういう結果の可能性を感じることができない。

ここに、「観光」というコンセプトの陥りやすい穴があると私は思う。車から一歩も出なくても、実際にその場所に身体を置き、自分の目で見ることで、「来た、見た」という行動はとることができ、消費者の欲求は満たされる。目的は、実に簡単に達成されてしまう。

現地に行くだけでも、行かないよりは「まし」かもしれない。けれども、「〜しないよりはまし」なことと、「〜すれば何か良い結果を生じさせる」こととは、別だと思う。

そして、「行く」ことがそれだけで正当化されるのは、ぶっちゃけ、行った人が行った先にお金を落とすという、極めて即物的な「経済効果」ゆえだと思うし、それがない形の「車で行って素通りするだけ」の「ブラジルのスラム見学ツアー」には、「現地の人を見世物にする」(&地元のギャング団にみかじめ料的なものが入る)こと以外に何かあるのだろうかと思わずにはいられない。

ツーリズムというのは、本質的に、とても無責任なものだ。なぜなら、ツーリズムを行なう主体(観光客、参加者)は、その対象(観光地、見学先)から「帰る」先があるのだから。そこに暮らしている人(上記の例ではブラジルのスラムの住民たち)は、そこから「帰る」ことはできない。

これは、先般、「戦場ツーリズム」という現象について誰かが言っていたことなのだが、「ツーリズム」に限らない。「外国のNGO」だって「ジャーナリスト」だって、そこを離れてしまうことができる。伊藤計劃の小説にその「いずれ去ってしまう者」の身勝手から始まる(救いのない)物語があったが、そういうことだ。

The Indifference EngineThe Indifference Engine
伊藤計劃

いま集合的無意識を、 Self-Reference ENGINE Boy’s Surface 象られた力 グラン・ヴァカンス 廃園の天使T

by G-Tools

※この短編集の表題作、「The Indifference Engine」のこと。同じ作者による『虐殺器官』のスピンオフ(番外編)であるが、単独でも読める作品である。

その上で、何をするか、何ができるのか、ということは当然ある。

しかし、「観光客がそれを見に来るから」、「観光客が見たいものだから」という理由で、「負の遺産」をそこに固定化してしまうことは、許容範囲を超えていると思うのだ。ブラジルの例でいえば、「スラムに観光客が来るから」という理由で「スラム」をそのままにしておくことが許容されるかどうか、ということだ。

2003年、米軍がミサイルを撃ちこんで破壊したバグダードで、彼は建築を学ぶエリート学生だった。Bloggerを利用して彼が英語で書いていたブログで、彼は、ブッシュ大統領が「大規模戦闘終結宣言」とやらをしたあともずっとずっと長い間、「破壊された建物が、取り壊しもされず、そのまま野ざらしにされている」さまを心底嘆いていた。とにかく、そんなものは撤去してほしいと。

その少し後、東京で彼と直接話をする機会があって、彼が宿泊している場所の最寄り駅である山手線沿線の駅を歩いているときに、建築の話になった。そのとき、彼は言った。「僕はもう、建築には興味をなくしてしまった」と。建築物が破壊され、そのまま野ざらしにされているのを見て、心が痛んだ時期を超えて、麻痺してしまった。その後は、大学生・大学院生として情熱を傾けていた「建築」への興味をすべて失ってしまった、と。東京の、ぴかぴかした建築物の中で、彼はそう言った。

ダーク・ツーリズムだなんだという議論で、「震災遺構を残す」という主張を聞くと、私はそのバグダードの彼のことを思う。彼が撮影してアップしていた「破壊され、野ざらしにされているコンクリートの塊」のことを思う。

それを主張すること自体の残酷さを思う。

そもそも「ダーク」という、「マニアック(な音楽)」、「マイナー(な小説家)」みたいな無遠慮な表現(それらは究極的には「《一般の人》と違って、《そういうもの》に興味のある《僕》」をアピールする表現でしかない。英語でも日本語でも)で、あらかじめ「外部の者の価値判断」を押し付けている点で、あまりにひどすぎないか。それを「受け入れる」というプロセスを、そこに暮らす人々に強いていることについて、もう少し「まなざし」的なものが必要なのではないか。そこに、人は暮らしているのである。

「破壊されたもの」を撤去できるときに、撤去しないで残すことは、「回復」には寄与しない。

(むろん、そこに暮らす人々が「撤去しないこと」を選択する場合は、残すことが「回復」の一助になるのだろう。しかし、そこに暮らす人々が「撤去しないこと」を望まない場合は、外部の者が「撤去するな」などと言うことはできない。「風化させてはならない」? クソ食らえであろう。)

その点、「もの」としては撤去してもなお、ヴァーチャルな形でその「もの」に「接する」機会を人々に与えてくれるテクノロジーの活用は、本当にすばらしいことだと思う。

東京でそれがあったら、浅草の見え方なんかは劇的に変わる。(東京に観光に来たアメリカ人に東京大空襲への言及のある碑の説明文を訳して聞かせたら、不機嫌になられてしまったことがある。リメンバー・パールハーバーとかいうのが始まりかねないムードでね。)



本稿でバグダードのブロガーのことを「彼」と書いたのは、名前を出すことで一般性を失い、「私の知り合い」という印象をどうしても与えてしまうことを避けたいからであるが、「彼」とは当然、私がブログを日本語化していた彼である。その彼の大学の同級生のひとりが、やはり建築をやめて現在はジャーナリストとしてリビアやシリア、ソマリアから伝えているが、先日その彼(「彼」ばっかりでややこしいね)がシリアから書いていた記事で、「遺跡の建築物の直線」にほんの1行だけ言及していたのを見て、私は泣いてしまった。(シリアにはうなるほどたくさんの「遺跡」がある。それを、アサド政権は今また、量産しているのだ。建築物でしかない「直線」を有したそれらを。)

さかしら顔をした怠惰な、「アウシュヴィッツ・ビルケナウでは実感ができる」とかいうポストモダンの弛緩しきった「実感至上主義」(それは「映画の感想」の「主人公に共感できませんでした、☆1つ」とどう違うのだろう)に、私は、まっすぐに、中指を立てつづける。

※この記事は

2013年11月30日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:55 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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