「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年10月22日

「暴力」が「セクタリアン(宗教・宗派に基づいた)暴力」になるとき。

毎日、何かしら「セクタリアン暴力」について目にする情報空間に私はいる。教会の壁に「セクタリアン」な文言が落書きされていたとか、20年前の「セクタリアン」な殺人について捜査が進められているとか、「原理主義」勢力が、もう一方の宗派を標的とした「セクタリアン」なボム攻撃があったとか、フットボールの試合で「セクタリアン」なお歌が歌われる問題があるとか。

だから、そういう文字情報に接さない人よりはその概念について鋭敏な神経を持っていると思うし、過敏だろうと思う。「日本人は宗教に無感覚なので」とかなんとかがっさりした言い訳をしつつ、「殺人犯の99%がパンを食べたことがありました」的なナンセンスなステートメントとして持ち出される「宗派」性などを見ると、やりきれない。

でも今のエジプトで「コプト教会が襲われた」と聞けば――それも、APとかBBCのような「国際メディア」がそう報じているのを見聞きすれば――、何の留保もなく「またセクタリアン暴力か!」と結論してしまう。

今回、最初はそうだと伝えられていたが、実はそうではなかったのではないかという事件があった。

エジプト、コプト教会での結婚式が、銃を持った男たちに襲われた(但し宗教暴力ではないと当局見解)
http://matome.naver.jp/odai/2138237509815380801


「コプト教会で行われていた結婚式に、ドライヴ・バイ・シューティング(車やバイクで走り去りながら銃撃する)があり、子供を含む式の参列者が多数死傷した」という事件だ。これが(特に字数の少ないTwitterでは)軒並み、「コプト教会に攻撃」という見出しの立て方で伝えられていた。

しかし、容疑者を逮捕したエジプト当局は、「セクタリアンな暴力ではない」と見ている。宗教は動機ではないのではないか、ということだ。つまり、「キリスト教徒だから銃撃した」わけではないのではないか、と。
Major General Hani Abdel Latif, spokesperson for the Interior Ministry, said security forces had intensified efforts to arrest the assailants.

He added that there are three Muslims among the 18 people injured, which shows that the attack was not sectarian in nature. The three received bullets in the stomach.
http://www.albawaba.com/news/egypt-cairo-church-christians-528160


自分がなぜこれを「セクタリアン暴力」と思い込んでいたのかを、エジプトにおけるセクタリアニズム(というかコプト教徒に対する暴力と、その暴力を引き起こすまいとする人々の努力)について2011年1月以降の自分のツイートのログをあさりつつ、概観してみたのが、上記のNAVERまとめのページである。ご一読を。

この事件が、(「コプト教会に」という情報なしで)「結婚式に銃撃」と伝えられていたら、きっと見え方は全然違っていただろう。

(なお、「NAVERまとめ」というツールは、こういう作業が非常にやりやすい。思考の流れを阻害しないのだ。類似のStorify.comなどと比べても全然便利である。)

※この記事は

2013年10月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:50 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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