「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年10月07日

英語圏の言葉遊び

「ラム」と日本語で言えば、それは「子羊の肉」のことであり、「ラムウール」のような複合語は別として、単独で使われている「ラム」という語が「子羊」そのものを指すことはまずない。(実際には「ラム酒」と区別するために「ラム肉」と書かれることも多いが。ちなみに前者は "rum", 後者は "lamb" であり、「ルーブル美術館」と「ルーブル紙幣」のようにアルファベットでは混同の余地のない語である。)

外来語を多く取り入れているから語彙が多いというのは英語も同じなのだが(数世紀前に、フランス語から大量に入っている)、それにしても日本語の「カタカナ語」は扱いづらい。「車のドアをロックする」は自然な日本語だが、「カー(ヴィークル)のドアをロックする」ではルー語になってしまうし、「車の扉に鍵をかける」では日常使う乗用車のような感じがしない。「メルトダウンはしないが炉心溶融する可能性がある」論(?)の混乱のときにそういう説明を試みたが、「よくわからないが難しいんだね」的な反応がせいぜいだった。

そんなふうなので、英語と日本語とでは「言葉遊び」の流儀がかなり異なる。ひょっとしたらそれがよくわかるかもしれないTwitterのハッシュタグ大喜利があったので、ほんの一部を拾ってみた。

名作映画を台無しにする! 「映画タイトルに1語加える」の英語圏ハッシュタグが笑える。
http://matome.naver.jp/odai/2138093500518051501





日本語では(大量に存在する)「同音異義語」を使った遊び(「おやじギャグ」を含め)が一般的だが、英語の言葉遊びでは韻を踏むなどの地口や、1つの語の「多義」性を利用したものが多い。意味を滑らせて遊ぶのだ。実は日本語の「同音異義語」の遊びも、音という点から見ればそうなのだが、英語では「前後の文脈」で意味が決まるので語を付け足すことによってそれは行なわれる。

上記「まとめ」には含めていないが、Passionといえば「熱情、情熱」であったり、「キリストの受難」であったりするわけで、そこをころっと入れ替えて笑いを生じさせるわけだ。




しかし、「罪の贖い」と「クーポンの引き換え」が同じ語で表される世界というのも不思議なものだが、redemptionは「redeemすること」で、そのredeemが時代とともに《意味》と使われる場面を拡充してきたということだろう。下記のブログさんに現在の用法が解説されている。
http://bizeigo.seesaa.net/article/173273376.html

日本語を外国語として学ぶ人にもきっと、そういう「興味深い」、「不思議な」ポイントはいくつもあるだろう。特に漢字はそうだ。「危機」の「機」が「機会」でも「洗濯機」でも用いられるというのは、うちらは特に言葉について考えてみようというときでもない限り、日常生活でそれらの言葉を使っているときは別に何も考えていないが、たぶん「不思議」に見えると思う。(ネイティヴ日本語話者としてみれば、「機械」と「器械」の違いは何か、みたいなところには意識は行くかもしれない。)

4167660695不思議な漢字―意外と知らない日本語の謎 (文春文庫PLUS)
志田 唯史
文藝春秋 2004-06

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※この記事は

2013年10月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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