「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年09月03日

「化学兵器はサウジの…」説(2013年8月末)について、わかりやすく説明した。

8月31日に書いた件、あれで話は終わった、ノーマネーでフィニッシュです、と思っていたのだが、死んでから蘇ることが本題のゾンビのごとく、終わってから日本語化されて日本語圏だけで拡散されるという現象が確認されているとのことで、大幅にアップデートした。

「化学兵器はサウジの…」説(2013年8月末)について、何が何でどうなのか、わかりやすく解説するよ。
http://matome.naver.jp/odai/2137819880983852701


で、この↑「NAVERまとめ」を見ていただいた方がわかりやすいと思うのだが(キャプチャなどを入れてある)、ミネアポリス拠点の無名のスタートアップ、「ミントプレス・ニュース」掲載の元々の記事は、クレジットが "By Dale Gavlak and Yahya Ababneh" となっていて、記事末尾の「記者プロフィール」の欄でもDale Gavlekの方が上にあり大きく取り上げられており、誰もがDaleがメインで取材・執筆された記事だと思っていたのだが(現にロシアやイランのメディアでこれを転電する際にそう書かれたようだ)、その段階から錯誤が発生していた。というか、その錯誤を防止することを、掲載メディア「ミントプレス」はやろうともしていなかった。

つまり、この記事の現地(シリア)取材は(少なくとも英語圏では)無名の大学院生兼ジャーナリストが行なったもので、取材・執筆のメインであると誰もが思っていたDale Gavlek(フリーランス記者で、APなどでもたくさんの記事を書いている)は、この記事に関しては「アシスト」に回っていたということを、「ミントプレス」は騒ぎになった後の9月1日に「補足情報」という形で公表した。
http://matome.naver.jp/odai/2137819880983852701/2137821318493432803
http://matome.naver.jp/odai/2137819880983852701/2137821318493432903

元記事は、体裁として「AP通信の記事」と誤認してもしょうがないかなというようなもので(ロゴが入っていないなど普通のAPの配信とは全然異なるのだが、記事を見る前に「APが報じていた」と聞かされて先入観のある状態で見たらどうなるか、わからない)、その点についてconfusionを招いたという認識は、「ミントプレス」にはないようだ。騒ぎのあともこの媒体が言っているのは単に、「APの記事ではなく、うちの独占です!」ということでしかなく、この無名媒体にとってはすばらしい炎上マーケティングの機会となったのだろうなとにやにやしておくしかない。(大人って、やーね。)

と、ここまで書いたところで、またアップデートしなければならないということに気づいたので、またあとで。



アップデートした。

で、「ミントプレス」は自信満々だが、当該の記事に書かれていたようなことは「混乱期の巷の噂」にはありがちなものだ。戦争状態にはない我々には、例えば、「銀行の取り付け騒ぎ」が起きている中でその渦中にある一般市民にインタビューしたものが、その国の経済動向を分析するものとしてメディアに取り上げられるかどうか、というような例で考えてみるのがよいのではないかと思う。あるいは、70年代のオイルショックのときや2011年3月の震災のあとにも発生した「トイレットペーパーの買い占め」のときに、「トイレットペーパーは、今の在庫が払拭したら手に入らなくなる」と信じているような人にインタビューして、それを肯定的に扱っていたらどうなっていたか。あるいは……けっこう例は思いつくものであるがこの辺にして。

そのような「巷の噂」は、「巷にはこのような噂がある」という形でなら報道記事になる。イラク戦争中に、イラクのバスラで「英軍が持ち込んだ生物兵器」の噂が出たことがあった。巨大なアナグマみたいなのが夜中に人家に侵入して荒らし、人に気づかれると暴れるなどしていたそうだが、そのような獣害はこれまでになく、「英軍が持ち込んだに違いない」という発想で「生物兵器」として語られるようになったという。

その「噂」について「こういう噂がある」と書いた記事を読んだから、私はそのことを知っているのだが、その記事はその「噂」の内容について専門家のコメントを取って、「英軍が持ち込まなくてもそういうことはありうる」という方向でまとめていた(「あれは生物兵器だ」と信じている人にとっては、そういう記事は「ごまかし」にすぎないと思えるかもしれないが)。

「ミントプレス」の件の記事は、そういう調子ではなかった。"Many believe that ..." の形で、「サウジの諜報トップから化学兵器を」云々と書き、その説を「信じて」いる人(JaNに反対する立場の反アサド派ということだから、ざっくり「FSA」の人たちだろう)の話を聞いて並べ、あとは「サウジとシリア内戦」についてのエスタブリッシュト・メディアによる既報の羅列。そして最後に、"Some information in this article could not be independently verified." という但し書き。他紙の既報については「独自に確認」する必要はないので、「独自に確認することができなかった」というのはゴウタでの取材の部分であろう。

そんなものを「独占 exclusive」といってばら撒いていたのだから、単に「知名度アップ狙いの炎上マーケティング」だと思われてもしかたなかろう。

問題は、昨今のアメリカの "反オバマ" 系統の「陰謀論」の流行りっぷり(「オバマは同胞団」、「オバマはアルカイダ支援者」、「トルコのイスラム化をもくろむ人物はアメリカ現政権の支援を受けている」、「ボストン・マラソン爆弾事件のツァルナエフ兄弟はFBIにはめられた」などなど)からみると、それがただの「炎上マーケ」で終わるかどうか、という点だが。

なお、「ミントメディア」の活動資金の出所がはっきりしない(運営者は24歳で「引退したビジネスマンの投資を受けている」と説明していたが)ことなど、「つっこみどころ」はいくらでもあるわけで、それは英語圏の人たちもチェックはしているようだ。

。。。。。。というあたりのことを、「NAVERまとめ」でアップデートした。
http://matome.naver.jp/odai/2137819880983852701

あ、あと、Dale Galvakを名乗るTwitterアカウントがあったが、8月30日に開設され、9月3日には消えていたという件も。中身はRTばかりで、自分のアカウントからのツイートは記事の見出しとURLばかりで、自身の「発言」はなかったようだが、これは話題の人物をねらった便乗犯のなりすましではないかと考えられている(プロフィール欄に、Daleとは関係のないドキュメンタリー映画のURLがはられていた)。

話題に便乗してなりすまして自分のサイトを宣伝して回っている「エドワード・スノーデンのなりすまし」(中身はchronicle.suっていう「デマ」専門サイト)ほど悪質でなければよいのだが……アカウントは一度削除しても一定期間内なら復活はできるので、要注意かもしれない。

※この記事は

2013年09月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:46 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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