「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年07月27日

「アイルランド」を語る言葉(短く)

こんな「ヒマ」記事があって……




「地名 is」を検索する場合のGoogleのオート・コンプリート(サジェスト)の結果で、一番上にあるものをまとめました、という主旨の記事だが、自分でもやってみたら全然違う結果だった。

アイルランド:

"... part of uk" はあるが "... part of the uk" はなくて、"... not part of the uk" はある(Googleのtheの扱い方って、どうなってんのかね。「翻訳」でも謎に思うことあるけど)。(ほんで、theの有無がどういう意味を持つかとかわかんない人が「日本語のページでもGoogle翻訳を使えば英語にできますよ」とか言ってたりするんだが)

ベルファスト:

The Daily Edgeの言ってる "awful" は見当たらない。

私の見た画面で1位になってるこの "in what country" でfeelin' luckyのリンクをクリックするとウィキペディアのエントリに飛ぶのだが、これ、見てわかるのかね……


なお、「ベルファスト」に関して人々が検索しているのはこの曲の歌詞。「いろいろと相変わらずだけど、実はボーン・アゲインしてる」という内容の歌。


一方、The Daily Edgeの記事でも最も「ネタ」っぽいアーマーのは、1位ではないけれど、本当にあった…… ^^;

「カトリックかプロテスタントか」とか、「ベルファストに近いのか」といったことは、私も調べました。

関連して、数か月前に同じ媒体がTwitterのハッシュタグを使った企画として「アイルランドを表す3語」を広く募った結果のまとめ:
http://www.dailyedge.ie/ireland-word-map-847151-Mar2013/

もうね、Twitterでやるからかなりカオティックなんだけど(JedwardやOne Directionのファン集団がハッシュタグ「会いたい人」と多重使いで荒らしまわり、ジャスティン・ビーバーのファンとバトった形跡が……)、日本で語られる「ロマンチック」系のものがない(笑)。具体的には、「ケルト」とか「妖精」とか「文学」とかが、ない(笑)。イエイツもベケットもジョイスも、影も形もない(笑)。



この図は、別にマッピングしたわけではなくアイルランド島の形になるように結果を組み合わせたらこうなったというだけで偶然なようだが、謎なのは、ジャイアンツ・コーズウェイのあたりに浮かんでいる "England" って…… (^^;)

なお、The Daily Edgeのこの記事のページのコメント欄に、明らかに「リパブリカン」な人のコメントが複数あるのだが、いずれもがんがんvote-downされていて、これぞネット上のアイルランド(ネットで見ている限り、アイルランドでリパブリカンの主張をする人は「いわくつき」、「変人」の扱い)と個人的に思う。

それと、結果にあるTEDはあのTEDではなく、Father Tedが分解されてるんだと思う。

※この記事は

2013年07月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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