昨日まで「王制廃止論者ですか?」ボタンがあったところは、シリア内戦の難民についての特集。ガーディアン。The Guardian via kwout http://t.co/L8Hlno94zx
— nofrills (@nofrills) July 25, 2013
25日の大きなニュースのひとつ。「170万人」にせよ「10万人」にせよ、控えめな数値だろう。(「170万人」には国内避難民 IDPは含まれていないし。)
BBC News - Syria death toll now above 100,000, says UN chief Ban http://t.co/lMRhZRrgMz ああ。。。
— nofrills (@nofrills) July 25, 2013
シリアの人口は2011年世銀の数値で、2,082万人。内戦で、そのうちの170万人は国外に逃れ、10万人が命を失ったと。http://t.co/lMRhZRrgMz (人口の数値のソース=外務省: シリア・アラブ共和国 http://t.co/CIZxqr0znE )
— nofrills (@nofrills) July 25, 2013
その前の日。ヨルダンのザアタリ難民キャンプが「街」化しつつある光景。
Syrian refugee camp becoming ‘home from home’ http://t.co/rFBAiXZvBW via @JordanTimes
— nofrills (@nofrills) July 24, 2013
シリア内戦で「死者10万人」を突破したとの国連の発表を見ている横では、今日もまた、「誰それが殉教した」という報告が流れてくる。「ただの数字ではない」。それぞれに名前と顔と生い立ちがあり、家族があり、友人や仕事や、希望や落胆がある。
Another activist&recent FSA fighter Abu Osama was martyred a few days after his friend @saif_hurria in #Homs pic.twitter.com/ul0z9CrrnQ
— Rose Alhomsi (@tweets4peace) July 25, 2013
「数日前に亡くなった@saif_hurriaの友人で、活動家でFSAの戦士であるアブー・サマが殉教した」。そう淡々と報告しているように見えるこのアカウントの主は、ホムス出身の在外シリア人、ローズさん。自分のいる場所(英国)で支援活動を組織し、昨年9月にはトルコ側国境のすぐそばにあるシリアの国内避難民キャンプ(国境の外に出た国連支援のある難民キャンプより、さらに環境は悪い)に支援物資を持っていくなどしていた。親しい人たちや親戚の人たちを、もう、ずいぶん多く亡くされている。
上記ツイートで「数日前に亡くなった」とある@saif_hurriaさんは、ホムスの「市民ジャーナリスト」のひとりだ。私も、そしてシリア情勢に注意を払ってきたあなたもきっと、彼のビデオ報告の1本や2本は見ているはずだ。
He filmed videos in English from inside the siege of #Homs..he was the voice of the voiceless. Died today in battle. RIP @saif_hurria #Syria
— Rose Alhomsi (@tweets4peace) July 22, 2013
これは昨年9月、ホムス旧市街のキリスト教の教会が破壊されているという報告。
Old Homs, a report describes the destruction in Om al zenar church due to the bombardment 25-9-2012. http://t.co/aDVALnEN
— Saif Al Arabi_Homs (@saif_hurria) September 25, 2012
イラク戦争で、Lancet誌が「死者は10万人を上回っている」との調査研究結果(米ジョンズ・ホプキンス大学の研究者らによるもの)を掲載したとき、当時私が見ていたネット上の空間は、 "That's impossible" という(感情的な)反駁であふれ返った。TwitterやFBはもちろん存在もしていなくて、ブログのコメント欄やフォーラム(日本でいう「BBS、掲示板」)だったが、もし当時Twitterなどが存在していたら、「この調査は間違っている」とか「ジョンズ・ホプキンス大というだけで信じるんですか。権威主義ですね」といった言葉の《量》は、あんなものでは済まなかっただろう。
(と思いつつ、ランセットの「イラク戦争の死者10万人」の報告はいつのことだったか、と日本語圏で検索すると、ちょっと見た程度では、報道記事らしい記事は「しんぶん赤旗」くらいしか見つからない。2004年10月。11月のファルージャ包囲攻撃の準備が進められていたころだ。なお、その2年後の2006年10月には、同じくランセットでの報告で、ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームは「65万人」という数値を出している。【日本語での参照情報】)(英語では普通にBBCやガーディアンのサイトなどで掘れば出てきますが、今はそれは本題ではないので……)
で、「シリア内戦での死者10万人」という国連の数値について、TwitterやFBのような「装置」がある中で、どのくらいの言葉が出たか?
たまたま私が見た/見ていなかったタイミングや、どれほど自発的にそれらの言葉を探したかという点で、上の「ランセット誌でのイラク戦争死者10万人」のときとはまるで異なるので比較にもならないのだが、「シリア内戦での死者10万人」という国連の数値については、「ほとんど誰も、何も言っていない」という印象は、否定しがたい。
確かに、ほかに大きな、緊急性の高いニュースと重なっていた(スペインの列車事故)。シリア内戦を取材していたような国際メディアの記者が、朝鮮戦争停戦60年のイベントのために北朝鮮に入っているというタイミングもある。
そういえばこんな写真がツイートされてたんだった。
Epic epic one million times epic RT @SANA_English Democratic Korean President stresses absolute solidarity with Syria pic.twitter.com/HtwJoKTUPw
— Tom Gara (@tomgara) July 25, 2013
7月10日、11日に私の見ているTwitterの画面上で最大の話題となっていた記事より。アレッポで取材を続ける「外国のメディアで書いている外国人記者(フリーランス)」の、赤裸々としか形容できない記事。(これを「メディア批判」という方向で評している意見も見たが、違うと思う。ここにあるのは、「批判」などではない。単なる「絶望」、単なる「人間性の極限」だ。)
承前。「それでも私たちは、『シリアがどんなことになってるか知らなかった』などと誰にも言わせないためにここにいるというふりをしている。実際には賞を取りたいといった動機で、ピュリッツァー賞を競い合っているかのように互いに邪魔し合っている」 http://t.co/gpQlHEUaAX
— nofrills (@nofrills) July 10, 2013
承前。「私が最初にここに来たとき、シリアの人々は私を呼び止めて『アサド政権の犯罪を世界に知らせてくれてありがとう』と言われた。今日、ある男性は私を呼び止めて『恥を知れ』と言った」イタリアのFrancesca BorriによるCJR記事 http://t.co/gpQlHEUaAX
— nofrills (@nofrills) July 10, 2013
「恥を知れ」という言葉の背景には、「世界は私たちのひどい境遇を見て、そして何もしない」、「ジャーナリストは私たちのひどい境遇を記事にして写真におさめて、そして報酬と名誉を得る」という認識がある。
そして、実際にはジャーナリストは、大した報酬は得ておらず(この記事を書いたイタリアの記者の場合、1本70ドル。必要経費もろくに賄えない)、名誉を得るのは大勢の中の一部だけである。
そういう中で、アサド政権側によるヴィザ発給制限などでジャーナリストがシリア国内に入れなかったころ(トルコ国境の「解放」前)、「蜂起」(「内戦」移行前)を伝えるために家にある撮影機材を持って街に出たような「市民ジャーナリスト」が実情を伝えていた。そこにはむろん「それが誰なのかはっきりしない」という余地があり、誤情報・デマ(日付や場所についての嘘をはじめとして)も横行していたけれども、少なくとも、「戦闘は起きていない」、「交戦は生じていない」、「テロリストが襲ってきたので応戦した」という政権側の言い分が本当に正しいのかどうか、それぞれに判断する手がかりを、彼ら「市民ジャーナリスト」はふんだんに与えてくれていた。
そういう環境があっても、「知る」権利がある程度保証される環境が全世界規模で(と書くと「インフラのないハイチやネパールでは確認できませんよ?しょせん、先進国のお遊びですよ?」という薄っぺらい反応が返ってくるものだが、「全世界で」と「全世界規模で」の違いくらいわかるよね)実現された中でも、これほどの規模で人が人を殺している、という根源的な「悪」の状態は、改善されないどころか、一時的にでも止めることすらできていない。
2009年、イランで選挙の不正疑惑が大きなうねりとなったとき、なぜイランとは縁もゆかりもない人たちまでもが「オンラインで情勢を見守る」ように動いたかというと、「目」があるところではひどいことは行なわれにくい、という「鉄則」のようなものがあったからだ。イランに限らずどこでも、外部の人の目のない「密室状態」が作られることは、単にそれだけで「よくないこと」だったし、今でもそれはそうだ。(2007年のビルマなど参照。)
しかし、だからといって「目」さえあれば、惨事は避けられる、というわけではない。
2009年のイランでは、まだ「目」が機能していた。弾圧の当事者にとってembarrassingなことがあれば、それを広く伝えること(多言語化を含め)は、抑止力として一定の機能を果たしていた。
2011年以降のシリアでは、もはやそうではない(エジプトでもかなり、ひどいけれど、暴力の質がシリアはもう……)。「目」があったところでおかまいなしに、村がまるごと標的にされて村人たちの喉が切り裂かれ、頭をブルドーザーか何かで潰され、そのまま放置される。地下室に逃げ込んだ女や子供30人くらいが全員、惨殺されているような状況が、生じる。
そういうのが2年半近く続いた中での「10万人」という数値である。
※この記事は
2013年07月26日
にアップロードしました。
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