「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2013年07月06日

変なのに付きまとわれそうなので、はてブのコメント一覧ページを非表示に設定します。

「仮に〜でも…はないだろう」的な基本的な仮定法も読めない馬鹿に付きまとわれて困っています。






☆つけてるアホどものidは、ひとまずはここでは書かずにおく(見ればわかるんだけど「晒す」ことは避ける。武士の情けじゃ)。

本文を読んで確認することもせず、当方への無根拠な個人攻撃・誹謗中傷でしかない他者の文に☆つけて、当方への風評被害に加担するお前らは、Midas以下の下衆じゃ。一応、証拠として押さえておく。



追記:
ありがたくも「非表示にして空気のようにスルーするのが正解」なる天界からのお告げをくだしゃれるありがたい方まで出現しているが、誹謗中傷攻撃を受けている当事者に「スルーすれ」と言うなら、ほかの誰よりも、これまでネット上でやり取りしたことすらない赤の他人であるきさまが、黙ってろ。(つまり「ウザいんじゃボケ」ということです)

当方の書いたことを読んでもいない人物によって、下図3番目と最後のような「タグ」をつけられることは、当方にとって現実的な不利益であり、被害である。しかも「☆」によって、それらの「タグ」を書き当方を誹謗している人物のコメントが、Twitterでhtn.toのリンクをクリックした人に最初に表示されるようになっている。



何より、当方、これまで、Midasなる馬鹿と絡んだ覚えはないのだが。(はてブを使っていたので、その存在も劣悪な発言についても知ってはいたが、接点はなかった。)Midasがつけたようなタグで公然と中傷される覚えはない。


※この記事は

2013年07月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 02:15 | TrackBack(3) | ブログ関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

さて、公の場で私を「エセインテリ」と罵倒したはてなユーザーX氏と★をつけてたA氏、Y氏には、謝っていただかないと。
Excerpt: ほれ。 Court to consider Mubarak release Wednesday http://t.co/gPFvOpgSZA— Egypt Independent ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2013-08-21 00:41

わかりやすいところにしつこいほどリンクをしてあるのを読みもしていないかもしれない者から、当方が「罪深い」と批判されている件について。
Excerpt: まただよ。心底うんざりだ。 id:fusanosuke_n また「ブコメ非表示」の話ですか。ページの上部に理由へのリンクがあっても、あなたのように、それすら読まず好き勝手なことを言う人が多いから非表..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-09-22 21:03

「便利だから」と使っているツールに、どんどん時間を吸い取られるのはかないません。さようなら、はてブ。
Excerpt: はてなブックマークを使い始めてもうすぐ10年になります。最初に使ったのが2006年2月1日。最初にブクマしたのは(テストのためにmozdevのページを入れてみたのは別として)スコット・コレッタ・キング..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-01-20 19:01

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼