「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2013年07月05日

「クーデターであるか否か」論争がかまびすしい(エジプト)

先のエントリで "定義通りの「クーデター」である" と述べたのだが、エジプト政府的には「これはクーデターではない」のだそうだ。



Twitterの画面があまりにこの話ばかりで:




要は、「クーデターである場合は、法的に、アメリカは援助ができなくなる」という事情があるようですが。こういう定義遊びは、なんかもうばかばかしくってね)

「クーデター」の定義は、原義(フランス語)では「国に対する打撃」なのだが、例えば「大辞林 第三版」(三省堂)によると:
http://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
既存の政治体制を構成する一部の勢力が,権力の全面的掌握または権力の拡大のために,非合法的に武力を行使すること。国家権力が一つの階級から他の階級に移行する革命とは区別される。

「(自分たちの)権力の拡大」というより「相手方の権力の縮小・削減」のためだし、「非合法的に」かどうかはまだ事実がわかっていないので何とも言えないが(そもそも「法」があるのか?)、「国営放送の制圧」、「大統領の発言の放送禁止」、「街路に戦車やAPC」、「大統領の連行(保護の名目)」という形での「武力」(軍の力)の行使はあり、「権力が一つの階級から他の階級に移行」はしていない。

ウィキペディアでは:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC
革命はイデオロギーの抜本的な改革を行い、政治権力や社会制度などの体制そのものの変革を目的とする。反乱は政治的な暴力の行使であり、より保守的な政治性を持ち政治的支配の変更を達成するために行われる。対してクーデターでは支配階級内部での権力移動の中で、既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うことであり、行為主体である軍事組織により、臨時政府の樹立と直接的な統治が意図された活動である。


で、「クーデターではない」との主張の根拠は、「軍は政治には関わらない」ということのようだが、各省庁もあって暫定大統領がいるというのに軍のスポークスマンが政治的な発表をしているときに、これを真顔で言うこと自体が信じられない。

何より、「民衆」の側も「軍は政治には関わらない」というのを信じているというのは、2011年2月にアルジャジーラ・イングリッシュの画面を(目をハートにして)見ながら、アイマン・モハルディーンの解説を聞いて「自分の知らなかった世界、想像が及ばなかったところ」として納得したつもりではいたけれど、このガンコな「軍に対する崇拝」(「困ったときは軍が何とかしてくれる!」という大衆のセンティメント)は、エジプトについて本質の部分でまったく理解できない点だ。

(いや、もう別にいいと思うんだけど、無理やり「民主主義で〜す」とキラキラしなくても、男は黙って「軍政国家」で。そう定義されると投資が呼び込めないとかいう事情はあるのかもしれないけれども。)

例えばこんなやり取りがあったわけですよ。@hackneyladはガーディアンで書いてるジャーナリスト。しばらくガーディアンから離れていたのだけどつい先日、30日のデモの直前に「今起きていることは、システムを変えるためのストラグルなのである!」という読んでて気持ちよくなる檄文のような記事がガーディアンに出ていた。










……いや、機能はしてないかもしれないけれど、「議会」あるじゃない。選挙したじゃない。そしてムスリム同胞団が単独過半数に迫る勢いだったじゃない。

そういうとき議会制民主主義の社会では何をするかというと、少なくとも「軍隊を動かして大統領を排除」ではない。でもエジプトではその選択しかないと、人々は考えている……自分の見ている限り、基本的に(=例外を除いて)、これまで「軍に操られるな」と言っていた勢力も含めて、どこもかしこもこんな感じ。

「例外」とは、ムバラク政権を倒そうという運動が始まるずっと前から言論・思想の自由と拷問反対の取り組みを続けていた人権活動家周辺や、今は仕事で国外に拠点のある考古学者さんや、「タハリールの革命家」の1人で、自身ここまでの間に殴打され、バードショットで撃たれ(目をやられているのではないかと心配したものだ)、一度はデモに参加して逮捕され出廷までさせられた(そして執行猶予だか保護観察だかの処分となった)若き写真家のモサアブさんなど。

こういった「冷静」な人々は、今、「革命だ!モルシはやめろ!」と声をあげる熱狂の中にいる人たちと比べて、全然目立たない。言葉数も少ない。むしろ、私が驚愕したのは、これまで「冷静な観察者」であった人々が何人も、「革命だ!」とやりだしている点だ。それも、「アメリカは余計な世話を焼くな」と言いながら。(意味がわからないでしょ。なぜそこに「アメリカ」が出てくるのだ、と。)

そういったことは、ごく一端ではあるが、下記「まとめ」の末尾にリンクを貼ってあるChirpstoryのログ(5ページ分)で、確認していただけるのではないかと思う。(膨大です。私もスキャニング程度にしか読めていない)
http://matome.naver.jp/odai/2137288190607625901

まあ、全体的にこんな感じなんだけど。



しかし、モサアブの今回の写真はすごい。Flickrのブログにも来ているが、彼のFlickrのページでぜひ。
http://www.flickr.com/photos/mosaaberising/page2/?details=1




さて、エジプトの「革命」の「歴史」は、まだ書かれていない。現在世に出ている分析・展望系の書籍類は、2013年7月のクーデターで、とりあえず、もうお役御免であろう(「当時の記録」としては参照できるかもしれない)。こういったことを踏まえたうえで、「今回の出来事は確かにクーデターであった。しかしこれが2011年2月とどれほど違うだろうか」といった議論が、これからなされていくのだろうと思う。






















※この記事は

2013年07月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼